Day 4.花桃
「メイちゃん、ごめん……」
「なに……?」
昼休みが終わるころ、愛香が半泣きのまま教室へ戻ってきた。目元は赤く腫れ、涙をこらえた跡が痛々しい。
突然謝られたメイサは目を丸くした。その様子に気づいたクラスメイトたちも、遠巻きに様子をうかがいながら自然と声を潜めていく。
「……一輝に、助っ人嫌がられた。無理って」
「無理? 何が?」
氷のように冷たいメイサの声に、愛香は思わず涙を止めた。
メイサは普段楽しそうにしているだけに、怒っているときは静かになってギャップが怖い。
「まなちゃん。黒杉に何が無理か、聞いた?」
「え、えっと……先に相談してほしかったって」
「自分のモラハラで部活潰しかけたくせに? 図々しい。そんなんだからへっぽこ部長なんじゃん」
容赦のないメイサの言葉に、クラスで部長を務める生徒たちは思わず息を呑んだ。
その中の一人、草野が静かに立ち上がり、メイサのそばにやってきた。
「さ、三枝……」
「なに」
メイサの低い声に、草野は冷や汗をにじませながら視線をさまよわせた。
「いや、俺も須藤から話は聞いてて……」
「で?」
「ちょ、怖い……。いや、黒杉の気持ちもわかるから」
「は?」
メイサにじろりと睨まれて、草野はたじろいだ。
「自分が至らなくて部の存続が危うくなったんだろ? それをマネージャーと二年生が何とかしてくれた。だから、尻ぬぐいされたみたいで気まずいんだって」
「気まずいからって、まなちゃん泣かせていいわけ?」
草野は首を横に振って、愛香の赤い目元を見る。すぐにメイサに視線を戻した。
「よくないよ。それは、駄目だ。赤江と二年の海斗だっけ。二人の顔だって潰してる。やったことは、全然だめだ。でも、かたくなになってる男は、北風じゃ服を脱がないだろ」
「なにそれっぽいこと言ってんの」
「う、うるせえな……」
呆れた顔のメイサに、草野は苦笑した。
……かたくなになっているのは黒杉だけではない。そのことには、本人たちもまだ気づいていなかった。
「こういうときは、徹底的に叩き潰すか、おだてるかなんだけど……赤江はきっと、ずっと黒杉を支えてきたんだろう?」
草野の視線を受けて、愛香は小さく頷いた。
「だったら、もう叩き潰すしかないんじゃないかな」
「さっきの北風はなんだったの。太陽で何とかするんじゃないんだ?」
メイサが思わず吹き出すと、草野は苦笑しながら肩をすくめた。
「無理だろ。赤江の太陽に慣れちゃって、そのありがたみに気づいてないんだから」
「ていうか、なんで草野が口挟んできたの」
冷めた目のメイサに、草野がむすっと唇を尖らせた。
「うちの須藤を貸し出してるからだよ! 助っ人しねえなら返せよ、あいつ、うちの次の部長なんだぞ!」
「返しませーん、私のですー」
「知ってるよ! だからさっさと助っ人させて、さっさと返してもらおうとしてるんだろ! だいたい、須藤との付き合いなら俺のほうが長いんだからな! 二年分語るぞ、ちくしょう!」
「それは、まあ今度聞くとして」
「え、いる? 俺の須藤語り……」
少し引いた顔の草野に、メイサは指を突き付けた。
「いるよ。私の知らない藤也、教えなさいよ! ……いや、それより、叩き潰すって何か考えがあるわけ?」
「あるよ。須藤を使え。三枝はサッカー部を勝たせてきたんだから、須藤だって勝たせられるだろ」
「……なるほど?」
「えっ、なに?」
首をかしげる愛香に、メイサは草野と顔を見合わせ、にやっと笑って見せた。
***
その日の放課後、メイサは藤也と並んで体育館へ向かった。
「俺も海斗に泣きつかれたけどさ、向こうに受け入れる気がないんじゃ、どうしようもなくない?」
「まあね」
メイサは足早に廊下を進みながら、小さく頷いた。
「それはそれとしてさ、黒杉がムカつくじゃん」
「どうでもよくない?」
「よくない。まなちゃん泣かして、まなちゃんと二年のなんとかくんの顔潰して、私と藤也まで振り回して、それで悲劇のヒロインぶるとか、マジ許さない。おまけに草野にマウント取られたし」
「なんで部長に?」
不思議そうな顔の藤也をメイサは歩きながら見上げた。
「藤也、草野好き?」
「尊敬できる人ではあるよ」
「私は?」
「世界一かわいい俺の彼女です」
「……だよねえ」
メイサは「はー」とため息をつき、体育館脇の外階段を上る。キャットウォークへ出ると、今度は足音を忍ばせるように歩いた。
「で、何しに来たの?」
「昼休みに草野と作戦会議してきたんだけど」
そう言いながらメイサは座り込み、肩にかけていたカバンを探りながら体育館を見回した。
「なんでだよ、俺も呼べよ。ていうか部長に近づかないでくれる? 俺、あの人のこと結構好きだから、嫌いになりたくないんだけど」
早口でまくしたてる藤也を見て、メイサはくすりと笑う。
「草野も藤也のこと気に入ってるみたいだし、相思相愛じゃん。よかったね」
「嬉しい……かなあ? 違う、なんだよ、作戦会議って」
「あのね。藤也に黒杉のこと、いてこましてきてもらおうと思ったんだ」
「いてこま……? なに?」
メイサは答えず、じっと体育館を見据えた。その手には新品のノートと、使い古されたボールペンが握られている。表紙にはバスケットボールのステッカーが貼られていて、それに気づいた藤也は思わず口元をゆるめた。
今日のバスケ部の練習メニューは、メイサが考えた内容をあらかじめ愛香に渡してあった。
メイサの隣で藤也も階下をのぞくと、バスケ部の四人が体育館を何周も走っていた。
「なにさせられてんの、あいつら」
「走るフォームを見てるの。あの人たち、ちゃんとストレッチしてこなかったから、身体の左右のバランスも悪いし、筋肉の可動域も狭いんだよね」
「……なるほど。ごめん、つまり?」
「急な横移動がしづらいの。手首と足首が固いから、動ける範囲が狭くなってる。黒杉は股関節が固いね。あと、えっと……白石は腕だけでボールを扱ってるでしょ」
やはりよくわからなかったので、藤也は黙ってバスケ部の練習を眺めた。
四人は走り終えると、軽いストレッチと筋力トレーニングをこなし、その後は二対二のミニゲームを組み合わせを変えながら繰り返していた。
藤也の目には「やらされているな」としか映らなかったが、隣ではメイサが恐ろしい勢いでペンを走らせている。
やがて部活動が終わる午後五時半。最後のボールの音が体育館に響く中、メイサはぱたんとノートを閉じた。
「帰ろう」
「あ、もういいんだ?」
藤也が尋ねると、メイサはノートをカバンにしまいながら、鋭い目でバスケ部を見やり、それから藤也を頭の先からつま先までじっと見つめた。
「な、なに?」
「明日から、放課後は体操服着といて」
「……俺は何をさせられるんだ?」
「言ったでしょ。黒杉をいてこましてもらうのよ」
歩き出したメイサの後を追いながら、藤也はスマホを取り出し、「いてこます」の意味を調べた。
「……ええ」
どうやら藤也は、黒杉を「やっつけ」なくてはいけないらしい。
「まあ……メイサが言うならやりますけど」
藤也は呟いて、颯爽と歩くメイサの背中に続いた。
***
翌日の昼休み。二年一組の教室にメイサはやってきた。
「藤也、着替えて」
「なにに?」
「体操着」
「放課後って言ってなかった?」
「時間がもったいない」
「……了解、ハニー」
他の生徒はあっけに取られて様子を見守っていたが、一部――サッカー部の男子だけは、気の毒そうな顔で着替える藤也を眺めていた。
着替えた藤也は体育館へと連れてこられた。
「まずはストレッチね。可動域を確認させて」
「はいはい。……ん、ちょ、痛っ、いってえ!!」
寝転がった藤也の膝を、メイサが横からゆっくり押し込んだ。
「思ったより硬いな。次は前もも」
「ちょ、待って、いてえ、いてえって!? 人間の体、そっちには曲がらねえから!」
「曲がるよ」
メイサはこともなげに足をぱたんと床に倒してみせた。
「俺の彼女すごいな……」
「がんばろうね。次は裏もも」
「ひえ……」
昼休みいっぱいメイサに体を伸ばされた藤也は、足元をふらつかせながら教室へ戻った。席に着くと、近くに座っていたサッカー部の男子が、苦笑まじりに振り向いた。
「だいじょぶだった?」
「だいじょばなかった……」
「やっぱり。三枝先輩、厳しいから」
「あ、そうなんだ……」
愛する彼女の新たな一面を知れたと思えば……別に悪くはない。だが、まさかストレッチだけで筋肉痛になりそうなほど体を動かされるとは、藤也も思っていなかった。
サッカー部の男子は、どこか同情するように「まあ、がんばれよ」と笑った。
「放課後が本番だから」
「えっ」
藤也が青ざめて聞き返そうとした、その瞬間だった。無情にもチャイムが鳴り響き、五時間目が始まってしまう。
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