Day 3.振り返る
「赤江先輩、ちょっといいですか?」
部活が終わり、海斗は体育館で片づけをしている愛香を呼び止めた。
愛香はぎこちない動きで振り返り、不安そうに顔をしかめて海斗を見上げた。
「……なに?」
海斗は愛香の警戒ぶりに思わず笑いそうになった。だが、遠くから一輝がこちらを睨んでいるのに気づき、慌てて笑みを引っ込めた。
「辞めたいとかそういう話じゃないんで安心してください」
「そ、そっか。ごめん、つい……」
愛香はほっとしたようにうつむき、手にしていたノートとバインダーをぎゅっと握りしめた。
海斗は唇を噛み、慎重に言葉を選んだ。
「でもバスケ部四人になっちゃったじゃないですか」
「……うん」
愛香はしょんぼりした顔を海斗に向けた。
「俺の友達に助っ人頼んだんですよ。夏休みいっぱいまでですけど」
「えっ、ほんとに!? 誰?」
「二年一組の須藤藤也って知ってます?」
「二年の須藤くんって……メイちゃんの彼氏?」
思いがけない返事に、海斗は首をかしげた。
藤也とは友達の友達くらいの間柄だ。彼女がいるらしいことは聞いていたが、その相手までは知らなかった。
そういえば、藤也に助っ人を頼んだとき、園芸部の部長がそんなことを口にしていた気もする。
「すみません、藤也の彼女が誰かまでは知らなくて……。園芸部のやつなんですけど、運動神経がいいんです。だから、バスケ部でも戦力になってくれると思います」
「園芸部なら、やっぱりそうだ。須藤くんの彼女、三枝メイサちゃんね、サッカー部のマネージャーなの。私も昨日、メイちゃんに助っ人頼んだんだよね」
「マジすか。それ、顧問には?」
「言ってあるよ。じゃあ、須藤くんのことも一緒に顧問へ伝えにいこう。やったあ、これで試合に出られるね」
にこにこする愛香に、海斗はほっと息を吐いた。
「はい。先輩たちの引退試合、できそうでよかったです」
「ありがとう。あ、副部長にも言ったほうがいいね」
海斗は愛香と共に足早に部室へ向かった。
すでに着替えを終えていた副部長の白石大雅に声をかけ、部室棟の外へ連れ出す。
初夏とはいえ、体育館と部室棟の間は校舎の影になっていて、ひんやりと薄暗かった。
「なに?」
いぶかしげな顔をした大雅に、愛香と海斗は助っ人のことを説明した。話を聞き終えた大雅は、さらに深く顔をしかめた。
予想外の反応に、愛香と海斗は顔を見合わせる。
「んー……わからんではないけど……一輝はいい顔しないだろうな」
「だ、だめかな」
「だめですか……」
眉をひそめた海斗と愛香に、大雅は腕を組んだ。
「二人とも知ってると思うけど、あいつ、プライド高いじゃん」
愛香と海斗はそろって首を縦に振った。
「バカ高いね」
「エベレストっす」
「ね。だからさ、外から助けを借りるなんてこと、あいつは受け入れないと思うんだよ」
「……メイちゃんの言うとおりだ」
大雅の意見に、愛香はきゅっと目を細めた。
海斗も大雅も意味がわからない。
「メイちゃんに言われたんだ。一輝は甘えてるって」
「今の話に、甘えてる要素ありました?」
首をかしげる海斗を愛香はじろっと睨んだ。
「あった。一輝はさ、何がしたいんだっけ。バスケしたいんじゃないの」
「……たぶん」
海斗は不思議そうな顔のまま、ゆっくりと頷いた。
「バスケしたいなら人数が必要なのに、辞めさせちゃったのは一輝じゃん。だから私と海斗くんで、なんとか人数をそろえて試合に出られるようにしたわけじゃん」
愛香の低く地を這うような声に、大雅と海斗は思わず背筋を伸ばした。部室棟の裏を吹き抜ける風まで張りつめたように感じられる。
二人の様子を気にもせず、愛香は続けた。
「これで反対するなら、さすがの私も怒るよ」
愛香の手元のノートがくしゃっと歪む。
「もう十分怒ってる」と、大雅も海斗も口にはできなかった。
愛香は普段穏やかで、怒ることなどめったにない。少なくとも、海斗は一度も見たことがなかった。幼馴染である大雅でさえ、小学生のころに一度見たきりだった。
その愛香がここまで怒っているのだ。二人が口を挟むことなどできない。
「……えっと、わかった」
「なにが?」
取り繕うように言った大雅を、愛香が鋭く睨んだ。
「ともかく、顧問の灰田先生に報告しよう。やる気のない顧問だけど、二か月以上助っ人に入ってもらうなら、さすがに話は通しておかないと」
大雅がしどろもどろになりながら言うと、愛香はやっと睨むのを止めて頷いた。
「……そうだね。メイちゃんのことは言ってあるから、須藤くんのことも報告に行こう」
「あ、はい。園芸部の部長さんも、『顧問とマネージャーと部長、全員の了解が取れたら須藤を貸す』って言ってました」
愛香がさっと歩き出し、大雅と海斗は顔を見合わせてから慌てて後を追いかけた。
***
職員室に向かう途中、海斗は大雅にこっそり話しかけた。
「赤江先輩の言う『メイちゃん』ってどんな人ですか?」
「んー、サッカー部のマネージャー。見た目は派手で、バカっぽいギャルって感じかな」
「へえ」
藤也の好みはギャル系なのか、と海斗は一人で納得して頷いた。
「でも、部活中はめちゃくちゃ厳しいって聞いたよ。あと結構気が強いって」
「……黒杉先輩と喧嘩しませんかね?」
目を細めた海斗に、大雅は小さく唸った。
「やむをえない」
「やむをえないですか……」
そんな話をしているうちに、三人は職員室へとたどり着いた。
灰田は課題の採点をしていたが、愛香の話を聞くと、「ふうん」と気のない返事をしながら頷いた。
「やってみればいいんじゃない。俺は黒杉に必要なのは立ち向かってくれる誰かだと思うよ」
「立ち向かう……?」
「うん」
首を傾げた愛香に、灰田はにやりと笑った。
「学生のうちに喧嘩して、仲直りして、一緒に同じ目的を目指す。そういう経験はしたほうがいい。……なんて言うと説教くさいな。んー、友情、努力、勝利? 友情ってのは、仲良しこよしだけじゃない」
職員室の時計の音が大きく響いた。
愛香は口を閉じ、大雅はその背中をじっと見る。
「先生、ワンピース好きですか?」
海斗が聞くと、灰田は小さく笑った。
「ハイキューとかスラダンのほうが好き。というか、スラダンが好きだからバスケ部の顧問やってるんだよ」
「その割には顔出してくれませんけど」
「出したいけど、俺今年、進路指導部と交通委員会、それにPTA対応までやっててさ。これ以上仕事が増えたら過労死するわ。悪いけど、教頭先生に進路指導部と交通委員会、それにPTA対応を外してくれって言ってきてよ。そしたら毎日、朝晩バスケ部に顔出すから」
愛香が顔を上げると、職員室の奥では教頭が苦笑しながら両手で大きくバツを作っていた。
灰田はがくりと肩を落とす。
愛香は頭を下げて、大雅、海斗と共に職員室を出た。
***
次の日の昼休み、愛香は四組の教室に向かった。
教室の前で深呼吸してから、ゆっくりと教室に足を踏み入れる。
「一輝、ちょっと話があるんだけど」
「なに?」
一輝の向かいで弁当を食べていた大雅は、さりげなく目を逸らした。
「バスケ部にね、助っ人を呼んだの」
「は?」
腹の底に響くような低い声に、愛香はひるみそうになった。それでも拳をぎゅっと握りしめ、足を踏みとどまる。
教室を満たしていたざわめきが、急に遠のいたような気がした。
「今のバスケ部、四人しかいなくて試合に出られないでしょ。だから、選手として入ってくれる人と、マネージャーを手伝ってくれる人にお願いしたの」
「なんだよ、それ」
一輝はじろりと愛香を睨んだ。
愛香は口をきゅっと結び、胸の鼓動を押さえるようにゆっくりと言葉を選んだ。
「今言った通りだよ。……海斗くんも、一輝と大雅にちゃんと引退試合をしてほしいって言ってたし」
「はっ、そうやって追い出そうってか」
「そんなこと言ってないでしょう」
薄く笑う一輝に、愛香は辛抱強く話しかけた。
「このままじゃ、試合すらできないんだよ」
「だとしても……いや、だったら俺に相談しろよ」
「何を?」
「え」
「何を相談するの。二年生も減っちゃって、一年生も一輝におびえて辞めちゃって、今いる海斗くんと翔くんにもきつく当たって……そんな一輝に、何を相談するの?」
「ちょ、愛香言い過ぎ」
大雅がやんわりと止めに入った。
しかし一輝が立ち上がった。
「お前も、俺が悪いって、俺のせいだって思うわけ?」
言い募る一輝に、大雅は辛抱強く説明した。
「……なんもかんもが一輝だけのせいとは言わない。でも、だから、愛香と海斗はできることをしてくれたんだろ。それを頭ごなしに否定しなくたっていいんじゃないの」
「頭ごなしに否定なんか……。俺は、その……愛香が」
一輝は気まずそうに愛香と大雅を見比べ、視線の置き場を探すように目を泳がせた。
二人が同じように困った顔をしているのを見て、一輝は唇を噛み、ゆっくりと椅子へ座りなおした。
「いきなり言われて……ちょっと、無理」
「……無理、なの」
愛香が低い声で聞き返した。
昨日の愛香の怒りを思い出し、大雅は思わず姿勢を正した。
しかし、愛香はうつむいて黙りこくっていた。
「……愛香?」
「ねえ、一輝。一輝は何がしたいの?」
「え? 俺は……」
困惑する一輝に、愛香はささやくような声で静かに言った。
「私は、一輝にも、大雅にも、海斗くんにも、翔くんにも、辞めちゃった一年生にも……みんなに楽しくバスケをしてほしかっただけなんだよ」
そう言うと、愛香は踵を返し、そのまま静かに教室を出ていった。
教室に残された一輝は、さっと顔色を変えて大雅を見た。
「……愛香、泣いてた?」
「や、ちょっと見えなかった」
「俺……駄目なんだよ。無理。愛香が泣くのだけは、本当に無理なんだ」
「自業自得すぎるだろ」
今更慌てふためく一輝に、大雅は呆れた顔で笑うしかできなかった。
大雅は、愛香がこのあと向かう先を思い浮かべた。
――きっと二組に戻って、相談するのだろう。三枝メイサに。
見た目はバカっぽいギャルなのに、部活では厳しく、気が強いと噂の彼女のもとへ。
「まあ、乗り掛かった舟だし……ある意味俺も自業自得だもんな」
大雅のつぶやきは、一輝には届かなかった。
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