Day 2.予感
須藤藤也が朝一番に登校すると、園芸部の倉庫前には三年生たちが集まっていた。
「おはようございまーす」
「おはよう、須藤。いいところにきた」
三年生の一人で園芸部の部長である草野が、藤也に笑顔を向けた。
藤也も笑顔を返して立ち止まる。
「すんません、用事思い出したんで失礼します」
「そうはいかねえ。これをやるから、きりきり働いてくれ」
そう言って差し出されたのは部員名簿で、藤也の名前の横には「副部長→部長」と書いた付箋が貼ってあった。
「俺ら、一学期の期末試験が終わったら引退だからさ。あとのことはよろしく」
「そのつもりではいましたけど。わかりました。謹んでお受けします」
藤也が素直に頭を下げると、草野は笑顔で藤也の肩を軽く叩いた。
「よろしく。じゃあ今日からは、俺らはいないものと思って動いてくれ」
「今日から!?」
飛び起きて聞き返した藤也に、三年生たちは吹き出した。
「まったく不在にはならねえけどさ、受験向けの放課後講座がそろそろ始まるんだよ」
「だから、二年と一年だけでも回せるように、部員の配置よろしく」
「俺一人でですか!?」
「二年の副部長と一年の副部長も候補を挙げてあるから、須藤が決めていいよ。二年は一緒にやりやすいやつ、一年は来年部長になってくれそうなやつにするといい」
「はあ……」
藤也が部員名簿に目を通しているうちに、ほかの部員たちも次々と登校してきた。
三年生たちは一、二年生に交じり、それぞれの担当する花壇へ向かっていく。
「えー、どうしよう」
「おはようございます、須藤先輩」
「おはよ、世菜。あ、お前来年部長する?」
やってきた一年生の世菜に藤也は声をかけたが、世菜はあっさり首を横に振った。
「しません。そういうの苦手ですし、今だって裏門の担当、三年と俺だけじゃないですか。三年が引退したら、俺一人になっちゃいます」
「だよなあ。来年、一年が入ってくれたらいいけど」
「え、今年人足してくれないんですか?」
ぎょっとした顔の世菜に藤也は「え?」と聞き返した。
「世菜なら一人で何とかできるだろ」
「……できますけど」
「困ったら言え。あ、でも一人で寂しいなら俺も行くけど」
「それはいらないです」
世菜は淡々と言い残すと、倉庫からじょうろを取り出し、自分の担当へ向かっていった。
残された藤也は、もう一度部員名簿へ視線を落とした。
***
昼休み。弁当を食べ終えた藤也は、二年生の男子十人ほどと一緒に体育館へ来ていた。
「藤也、パス!」
「ばっか、狙われてるって」
「もらい!」
制服のまま、体育館を駆け回りながら、どたばたとバスケをしていた。
藤也はボールを受け取った瞬間、ふと昨日メイサに言われたことを思い出した。
腰を落とすときは、つま先を外へ広げすぎないように。腹に力を入れて。
腕だけじゃなくて……あと、なんだっけ?
ボールが思ったよりも高く上がる。
ゴールの輪にがちゃんと当たって弾かれた。
同じチームの男子が、弾かれたボールを軽々とつかみ、そのままゴールへ叩き込んだ。
「悪い」
藤也が謝ると、ゴールした男子、青川海斗が立ち止まった。
「ぜんぜん。つーか藤也、バスケうまいよな」
「普通だろ。しかも今外したとこだし」
「でも今のって、思ったより飛んじゃったんじゃねえの?」
「……なんでそう思ったんだよ」
「投げた後、びっくりしてたから。あとなんかゆっくり動いてた」
藤也は口を閉じた。
海斗は藤也の隣のクラスだが、あまり親しくはない。休み時間にサッカーやバスケをするときに顔を合わせる、友達の友達くらいの間柄だった。
「よく見てんね」
「そっちもだろ。キャットウォークって、いちゃつく場所じゃねえけどさ。いや、いちゃついてるにしちゃ、あの女の先輩の顔、怖すぎたけど」
「……海斗、バスケ部だったんだ」
「そうだよ。あのさ、藤也。助けてくんない?」
藤也が聞き返す前に、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「バスケ部、やばいんだよね。あんなだけど、それでも俺は辞めたくないんだ」
海斗は今にも泣き出しそうな顔をしていて、藤也は何も言えなかった。
***
放課後、藤也が部活に行こうと立ち上がると、教室の前のドアから海斗が駆け込んできた。
「考えてくれた?」
「そもそも何させられるか聞いてねえけど」
「バスケ部のことは?」
「……ちょっとだけ」
海斗が藤也の前の席に腰を下ろしたので、藤也は椅子に座りなおした。
「俺の彼女が、バスケ部の女子マネの赤江先輩と友達で、『一年生が全員辞めちゃったから助けて』って言われた、としか聞いてねえんだよ」
「まあ、説明の九割はそれで終わりだよ。黒杉先輩のことは?」
「モラハラパワハラクソ野郎って」
「それもそうだけど……でも、それだけじゃねえよ」
海斗が唇を噛んで窓の方を睨んだ。
空は昨日に引き続き、どんよりと曇っている。
「先輩は自分が努力家だから、自分よりできないやつは努力してないって思い込みがち……なんだと思う」
「ろくでもねえ」
「そうだけどさ」
「で、海斗は俺に何してほしいわけ?」
藤也が淡々と聞くと、海斗はむすっとした顔を藤也に向けた。
「一年が辞める前に、二年や三年も抜けちゃってさ。今のバスケ部、三年と二年が二人ずつの四人しかいないんだよ。五人いないと試合にも出られなくて……」
「無理」
「まだ頼んでないだろ」
「無理。俺来月から園芸部の部長になるから、引継ぎで馬鹿みたいに忙しくて無理」
「そんな」
海斗は肩を落としたが、すぐに顔を上げ、藤也の後ろへ視線を向けた。
藤也が振り返ると、そこには草野と、藤也が今朝副部長を依頼した友人の柳がやってくるところだった。
「須藤が逃げたのかと思って見にきた」
「逃げませんよ。ちょっと捕まってただけです」
「なに、バスケ部の助っ人頼まれてんの?」
柳は海斗を見る。
海斗は気まずい顔で小さく頷いた。
「別にいいんじゃない?」
「えっ」
柳は軽く言って、草野に「ね」と話を振った。
「バスケ部やばいんでしょ。俺も茶野から話は聞いたよ」
藤也は名前も知らなかったが、茶野翔はもう一人の二年生のバスケ部員らしい。
「夏の大会だけだろ?」
「う、うん。せめて、先輩たちの引退試合だけは、やりたい」
海斗が必死に頷くと、柳はにこりと笑った。
「じゃあいいじゃん。うちの先輩たち、なんだかんだ言いながら文化祭くらいまでは手伝ってくれるしさ」
「うーん」
草野は苦笑して唸った。
「まあ、なあ。俺は昨日、赤江が教室で泣いてるの見ちゃってるし……なんだよ、あいつ。昭和の亭主関白に耐える可哀想な女みたいになってたけど。演歌かよ」
海斗がうつむいた。
藤也は昨日のバスケ部の様子を思い出し、いたたまれない気持ちになった。藤也の家では、父も祖父も、それぞれ妻である母と祖母を、お姫様もかくやというほど大切にしている。そのため、一輝が愛香を雑に扱う気持ちは、まったく理解できなかった。
そもそも付き合ってはいないらしいが、それにしても……とは思っている。
「でも、うちの部長は須藤で決まりだしさ。引き継ぎだってちゃんとしてもらわねえと困るわけよ。うーん、助っ人は長くても夏休みまでだな?」
「はい! どれだけ長くても、夏休みいっぱいです」
草野の質問に海斗が拳を握って頷いた。
「あと、須藤を助っ人に寄越すって、そっちの部長や顧問に言ってある?」
「いえ、それはまだ……」
「じゃあ、ちゃんとバスケ部の部長と顧問、それにマネージャーへ話を通してくれ。全員の了解が得られるまでに、こっちもできるだけ引き継ぎを進めるから。あと、できれば助っ人に行ってる間も、朝一だけは園芸部に顔を出してくれ」
「……わかりました」
藤也は小さく頷いた。
正直なところ、まだあまり気は乗っていない。
そんな藤也に気づいたのか、草野がこそっと藤也の耳元でささやいた。
「三枝、もうバスケ部の練習メニュー考えるって張り切ってたけど」
「誠心誠意、頑張ってきます」
背筋をぴんと伸ばした藤也を見て、草野と柳は苦笑し、海斗は安堵したように少し泣きそうな顔になった。
***
その日の夕方、藤也は校門でメイサと待ち合わせをしていた。
「藤也、おつかれー」
「おう。あのさ、メイサはいつからバスケ部に手伝い行くんだ?」
藤也が自転車を押しながら尋ねると、メイサは「えっとねー」と空を見上げた。
「黒杉がオッケーしてからだね。サッカー部の顧問とバスケ部の顧問は了解してくれたから」
「話が早いな……。あのさ、俺もバスケ部の助っ人頼まれたんだよ」
「マジか! やったあ。私ね、藤也はストレッチと筋トレでもうちょっと育てられると思ってたんだ」
「……何を?」
満面の笑みのメイサに、藤也は苦笑した。
曇っていた空はゆっくりと晴れ、雲の切れ間から差すオレンジ色の夕陽が、並んで歩く二人をやわらかく照らしていた。
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