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Day 1.春の形見

「バスケ部の一年生が、全員辞めちゃった?」



 三枝(さえぐさ)メイサが声を上げた。


 三年二組の昼休みの教室はざわめいていて、メイサの声はさほど目立たない。


 しかし、向かいに座って俯いていた赤江(あかえ)愛香(まなか)はますますうなだれた。


 二人の間の弁当箱はすでに片付けられていて、一緒に食べていた他の二人、美玲(みれい)夢希(むぎ)は、なんとなく二人の話に耳を傾けながら、残りの弁当をのんびり口に運んでいた。



「……うん。部長の黒杉(くろすぎ)一輝(かずき)って知ってる?」


「えっと、四組の人だっけ」



 メイサは首を傾げた。



「そう。私の幼馴染なんだけど、ちょっと……横暴で」


「えっ、それで一年生みんな辞めちゃったの? 夏の大会前に?」



 ストレートなメイサの台詞に、愛香は背中を丸め、美玲と夢希は苦笑した。



「メイちゃん言い方」


「もうちょっとぼかすとかさあ」


「いいよ……メイちゃんの言うとおりだもん。一輝が横暴なせいでバスケ部の一年生はみんな辞めちゃったし、私は雨なのに自転車で来ちゃって、傘もないし……」



 メイサがふと顔を上げると、昼前から降り出した雨が絶え間なく窓を叩き、灰色の空が教室を薄暗く包んでいた。



「別に雨は黒杉関係ないっしょ。私傘持ってきてるから、折り畳み傘貸すよ」


「ありがと……なんかさ、朝練で一輝が一年生にキツくてさ、そのフォローばっかしてたら、私もやんなっちゃったんだよね」


「ふうん。まなちゃんも辞めんの?」


「……辞めない」



 唇を噛む愛香に、メイサはにこっと笑った。



「でも、しばらく休んでもいいと思うよ。黒杉、まなちゃんに甘えてるんじゃないの」


「……どうだろう。一輝が私のことをどう思ってるか、よくわかんないんだよね」


「幼馴染なんでしょ?」



 弁当を片づけながら、美玲が言った。


 夢希はにやっと笑うと、愛香の顔を覗き込む。



「彼氏?」


「違う」



 愛香はむすっとした顔で即答した。



「……一輝に、そんな感情はないと思う」


「まなちゃんには、そんな気あんの?」


「なくもなくもないけど、付き合ったらモラハラ野郎になりそうで言い出せないし、あと『愛香のことそんなふうに思ったことねえわ』とか言われたら立ち直れない」


「めっちゃあるじゃん。でもね、好きならなおのこと駄目なことは駄目って言わないといけないと思うよ」



 メイサの台詞に、愛香はますます顔をしかめた。



「言えたら苦労してないやい」


「そりゃそうだ」


「ていうかメイちゃん、行ってあげればいいじゃん。サッカー部の女子マネ、そろそろ引退っしょ」



 美玲が言うと、メイサは目を丸くした。


 愛香も夢希も、そろってメイサへ視線を向けた。



「まあ、そうだけど」


「バイトしてるんだっけ?」


「してるけど、彼氏の家のお店だから融通はきくけど……」



 メイサは愛香を見る。


 愛香は目を細め、メイサをじっと見つめていた。



「なるほど?」


「えっ、なるほどって?」


「一輝は私の言うことなんて聞かないけど、メイちゃんの言うことなら聞くかも」



 むすっとした顔で言う愛香に、メイサは首をかしげた。



「そうかなあ?」


「私、一輝のフォローばっかで、マネージャーらしいこと全然できてないから、もう一人いてくれるとすごく助かるんだよ。それに、メイちゃん大学推薦でしょ? 廃部しかけの部活を助けたら、内申よくなんない?」


「なるかなあ?」



 首をかしげたままのメイサに、愛香は机に身を乗り出して迫った。



「お願い、メイちゃん。助けて」


「……とりま、様子見に行くよ」


「ありがとう!!」


「や、見に行くってだけだからね。すぐに何とかできるわけじゃないよ?」


「それでも全然! 私一人で行き詰ってたから、嬉しい」



 愛香は身を起こし、椅子に座り直す。


 予鈴が鳴り、メイサは急いで手洗いへ向かった。


 途中で四組の教室を覗いてみたが、どれが黒杉一輝なのかはわからなかった。


 メイサはサッカー部の部員たちの顔を思い浮かべる。



(ひっ叩いて、現実を突きつけてやるのが一番早いんだけどなあ)



 落ち込むばかりの愛香には難しそうだと結論づけ、メイサは自分の教室へ戻った。


 必要ならば、メイサがそれくらいの嫌われ役はやってもかまわない。いつもサッカー部でやっていることだ。


***


 放課後、メイサは体育館のキャットウォークからバスケ部の練習を眺めていた。


 体育館は男子バスケ部と男子バレー部が半分ずつ使っており、床を震わせる振動がキャットウォークの足元まで伝わってくる。そのほとんどは、バレー部のコートから響くものだった。


 サッカー部のマネージャーであるメイサの目から見ても、一輝のバスケの技術は確かなものだった。


 ……しかし、それだけだった。


 後輩への態度、愛香への振る舞い、練習内容、そして身体の動かし方まで――目につくものばかりだ。



「ないわー」


「そうなん?」



 メイサの隣で、柵に腕を乗せて背中を丸めていた須藤(すどう)藤也(とうや)が、体育館から目を離さずに言った。


 藤也はメイサの一学年下の彼氏だ。雨で所属する園芸部の活動が休みになったため、バスケ部の様子見に付き合っていた。



「まず、まなちゃんに感じ悪くてムカつく」


「偉そうには見える」


「後輩にパワハラよくない。サッカー部であんな舐め腐った態度とったら締め上げる。私が」


「メイサが……。まあ、うちの先輩もあれだから、デカい声でパワハラ反対って言いづらいけど」


「二年生が委縮して動きが悪くなってる。ストレッチしてても身体がちゃんとほぐれてない」


「どうしてもね……って、え、メイサ、この距離であいつらの身体の動きがそこまでわかんの?」


「なんでわかんないの? あの右にいる二年の子、ふくらはぎが全然動いてないじゃん」



 藤也は目を細め、コートを走るバスケ部員たちへ視線を向けた。


 今はミニゲームをしているのか、体育館の半分を使って二対二で走り回っている。


 メイサは口をぎゅっと閉じ、目を見開いたままほとんど瞬きもせず、その様子を見つめていた。キャットウォークの柵を掴む手には、白く骨が浮き出ている。


 藤也は顔をしかめ、首をかしげながらバスケ部とメイサを見比べ、ときおりメイサの友達だと聞かされた愛香へも視線を向けた。


 女子マネージャーというのは、みんなこんなふうに試合や練習を見るものなのだろうか――愛香の真剣な表情にそう思った。けれど、あまりにも真剣なメイサの横顔を見ていると、茶化す気にはなれず、藤也は黙って待つことにした。



「ふむう」



 ミニゲームが終わり、メイサが思い出したように息を吐いた。


 カバンを探り、古びたノートとボールペンを取り出す。だが、ノートを開いたところで手を止めた。



「あ、間違えた」


「間違えた?」



 藤也が聞くと、メイサは照れたようにノートをカバンに戻した。



「うん。つい部活中のノリでメモ取ろうとしちゃった」


「……ちなみになんて書こうとしたんだ?」


「各選手にやってほしいストレッチの内容と練習、それから筋トレ。あと、できればスポドリのクエン酸をもうちょい増やしてほしいな。あの黒杉と、もう一人の三年、肩の動きがこわばってるし」


「……すごいな」



 藤也は「すごすぎて、ちょっと怖いけど」というのを飲み込んだ。



「そう? マネージャーなら見ればわかると思うよ。まなちゃんも、メモ取って相談しようとしてるじゃん」


「そうだけどさ。……もしかして、俺のこともそれくらい見てたりする?」



 メイサはわずかに首を傾けた。



「まあ、思うところはあるけど、藤也は運動部じゃないから、よっぽど痛めそうとか、ケガしそうとかじゃなきゃ言わないよ」


「例えば……?」



 藤也がおそるおそる聞くと、メイサの目がきゅっと細められた。



「しゃがむときに、つま先を外に向けすぎ。股関節に負担がかかってる。足腰は結構筋肉ついてるけど、柔軟が足りてない。風呂上がりに軽く伸ばすくらいでいいからやらないと痛めるよ。あと腹筋背筋足りてない。腕の力だけで重いものを持ち上げる癖があるでしょ。歩くときにお腹を引っ込めるように意識して歩いて。胸も開いてね」


「……気を付けます」



 メイサは一気にまくしたてると、またバスケ部へ顔を向けた。


 一輝と愛香が何かを言い合っている。一輝が怒鳴り、愛香も必死の形相で言い返していた。



「はー……私、ああいうの好きじゃないな」


「見てて気分はよくねえな」


「うん。友達が困ってるなら助けよう」


「……メイサさん?」


「私、明日からサッカー部のマネージャー兼、男子バスケ部のマネージャーになるわ」


「大丈夫なん?」



 心配そうな藤也に、メイサはにこっと笑った。



「サッカー部は二年と一年の女子マネに引き継ぎしてるところだったし、私以外にも三年生の女子マネがいるからね」


「いやそっちじゃなくて、メイサが。俺、あの黒杉ってのにメイサが何か言われるの嫌なんだけど」


「それは、そういうものだよ」



 メイサは冷え切った目でバスケ部を見た。


 藤也はわずかに後ずさる。



「ああいう、スポーツ舐め腐ったやつ、嫌いなの。ちょっとぎたぎた……間違えた。みんなで楽しく強くなれるように、躾けて……間違えた、言い聞かせてくるね」


「間違えてねえだろ、それ」



 外では相変わらず雨が降り続き、ときおり遠くで雷鳴が響いていた。


 雨が上がれば、ぼちぼち夏らしくなるだろうか。それとも、もうしばらく梅雨が続くのだろうか。藤也は苦笑しながら、メイサの視線を追った。


 その先では、言い募る一輝と言い返す愛香、それをかばう他の三人の部員たちが対立し、もうバスケどころではなさそうだった。

メイサ&藤也登場

前回の「負け犬~」では恋する乙女としての側面の強かったメイサですが、今回は運動部マネージャーとしてのメイサと、二年生男子としての藤也を書けたらいいなあと思って書きました。

***

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