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Day 30.びいどろ

 夏休みに入り、愛香(まなか)は自宅で受験勉強に励む日々を送っていた。


 推薦とはいえ成績は維持しなければならず、小論文の練習にも追われていた。


 愛香は散らかった勉強机から顔を上げた。


 窓の外には、相変わらず抜けるような青空が広がり、雲一つ浮かんでいない。


 少し物足りなさは残るものの、もう終わっていた。


 愛香は小さく息を吐き、名残を振り切るように勉強机へ視線を戻した。


***


 そんなある日、昼前に玄関の呼び鈴が鳴らされた。


 家には愛香以外誰もいない。



「はい、はーい」



 インターホンのモニターには一輝(かずき)が映っていた。落ち着きなくキョロキョロしている。


 愛香は首を傾げてから玄関に向かった。


 扉を開けると、夏の日差しをまとった生ぬるい風が玄関へ吹き込んできた。



「一輝、どうしたの?」


「うわ、愛香、びっくりした。あ、いや……今、いい?」


「いいよ、どうぞ」



 愛香はいつも通り家へ招き入れようとしたが、一輝は玄関から先へは上がらず、落ち着かない様子で後ろ手に扉を閉めた。



「一輝?」



 一輝はようやく気まずい顔で愛香を見た。



「あー、あのさ。俺、大学でもバスケしたいから、付き合ってくれねえかな」


「いいよ。わたしが行く予定の大学にもバスケサークルあるし。ん、でも一輝の成績で行けそう?」


「今のままだと厳しい。この間の模試でCだったし」


「ふうん。Cなら頑張ればどうにかならないこともないよ」



 愛香の言葉に、一輝はぎゅっと拳を握り締めた。



「あのさ、勉強、教えてくれ」


「今までも教えてたでしょ」



 愛香は笑みを浮かべたが、一輝の表情はこわばったまま崩れなかった。


 薄暗い玄関はひんやりと涼しく、しんと静まり返っていた。奥の愛香の部屋からは、エアコンの低い駆動音だけがかすかに聞こえてくる。



「一輝、変だけどどうしたの。熱ある? お腹痛い?」


「違う。……あのさ、俺、お前のこと好きだから、部屋に上がったら手え出したくなっちゃうから図書館行こう」



 愛香は一瞬目を丸くし、すぐに目をきゅっと細めた。



「手、出してくれていいんだけど」


「……大学受かったら、お願いします」



 か細い声に、愛香は吹き出した。



「意気地無し。準備するから待ってて」



 愛香がそう言うと、一輝はようやく張り詰めていた息を吐き、上がりかまちにへたり込むように腰を下ろした。


 愛香がテキストをトートバッグに入れて玄関へ戻ると、一輝も立ち上がり、自然にそのトートバッグを受け持った。


 家を出て数歩歩いたところで、愛香は隣を歩く一輝を見上げた。


 一輝の背後には、やはり雲一つない青空がどこまでも広がり、その姿があまりにも眩しく映った。



大雅(たいが)は?」


「んー、一緒の大学行きたいけど、判定がCとDの間つってた」


「じゃあ誘おう」


「そうしよう」



 二人は夏の日差しの中を並んで歩き、大雅の家へ向かった。


 大雅の家の前で呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして現れた大雅は、嫌そうな顔で二人を見比べた。



「あのさ、もだもだに俺を挟まないでくんない?」



 愛香はにこっと大雅を見返した。



「挟むよ。一生挟む」



 一輝は真顔を大雅に向ける。



「付き合えよ。お前が一番成績やべえんだから」


「……なに、お前ら俺のことそんなに好き?」



 苦笑する大雅に、愛香と一輝は目を見合わせた。



「大好きだよ」


「大好きに決まってんだろ。知らなかったわけ?」



 大雅は顔を赤くしてそっぽを向いた。



「そ、そういうことをデカい声で言うなし。支度してくるから待っとけよ」



 ばたばたと家の奥へ引っ込んでいく大雅を、愛香と一輝は顔を見合わせて笑いながら待った。


 そのときになって初めて、愛香は降り注ぐようなセミの鳴き声に気付いた。


***


 三人が図書館に行くと、窓辺にガラス細工が並んでいた。


 差し込む日の光を受けて、色とりどりの影がステンドグラスのように床へ広がっている。



「なんだっけ、見たことある」



 大雅が首を傾げると一輝が「ああ」と声を上げた。



「びいどろだろ? ぺこぺこ拭くやつ」



 愛香はふふっと笑う。



「小学校の修学旅行で買ったよね。二人が勢いよく拭きすぎて、ガラス割ってた」


「……そうだった」


「んなことあったっけ?」



 大雅は笑って頷き、一輝は首を傾げた。



「うちにまだあるよ、あのときのびいどろ」


「愛香は物持ちがいいな」


「そういえば美琴(みこと)もびいどろ買ってきてたわ。なに、人気の土産なん?」



 三人はびいどろから目を離して自習室に向かう階段を上がった。


 階段を上がりきったところで、愛香が顔を上げた。



「そういえば、美琴ちゃんは大丈夫そう?」


「うん。なんか意外と楽しくやってるっぽい。バレー部の女マネと、サッカー部の女マネが助けてくれるってさ」


「それなら、よかった」



 愛香はほっとしたように微笑んだ。



「あと三人か」



 一輝が呟いたが、大雅は階段を上がりきって頷いた。



「ま、どうとでもするだろ。俺の妹だし」


「大丈夫だよ。私たちがいなくたって」



 三人は自習室の扉を開けた。


 自習室から流れてきたひんやりとした風が、夏の熱を帯びた肌をやさしく撫でた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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