Day 29.影
「ありがとうございました!」
選手五人と、その後ろでメイサと愛香、灰田も頭を下げた。
全員が頭を上げると、相手の主将が一輝へ静かに手を差し出した。
「……すまなかった」
一輝が答えられずにいると、相手はわずかに表情を曇らせた。
「君たちが、予想以上に強くて、手段を選べなかった」
一輝は何度か瞬きをしてから差し出された手を取った。分厚くて硬い手だった。
「いや……俺たちは最初から取れる手段なんかなかったから。普通に、そっちが強かった。それだけだ」
相手は顔をくしゃりと歪ませると、仲間の選手たちに肩を叩かれ、慰められていた。
一輝は手を離すと、小さく息をついてベンチへ戻った。
「……俺の筋肉が足りてないから」
ベンチに座り込むなり、藤也が呟いた。海斗と翔が吹き出す。
「他にもあんだろ。俺の足が遅いとか」
「俺の視野が狭いとか」
三人の間に、重たい沈黙が落ちた。
開け放たれた窓の外ではセミがけたたましく鳴き、その声だけがやけに大きく体育館へ響いていた。
「とりま、帰ろう」
メイサは淡々と荷物をまとめ始めた。
ベンチに座り込んだままだった大雅が、ぼんやりと顔を上げた。
「そうだね。あの、立てないから、慰めて」
メイサはじろりと大雅を見て、その正面に立つと、頭へタオルをふわりとかけた。
「おつかれさま。よく頑張りました」
「泣きそう」
「泣いてていいから着替えて、片付けて。ここに座り込んでると迷惑になる」
「うん……」
大雅はタオルで顔を隠したまま立ち上がり、ゆっくりと着替え始めた。
愛香はビデオカメラをしまい、ドリンクを鞄へ詰めていった。片付けを終えて立ち上がろうとすると、着替えを終えた一輝が手を差し出した。
「持つ」
「え、いいよ。疲れてるでしょ」
「そんな細い腕じゃ、持たせられねえだろ」
「大丈夫。灰田先生が持つから」
「はいはい、持ちますよ」
灰田は笑いながら荷物を持ち上げ、車へ運んだ。一輝と着替えを終えた大雅も黙ってその後に続く。
灰田がトランクを閉め、部員たちを見回した。
「みんな、おつかれさまでした」
返事をする者はいなかった。
灰田は目を細める。
「今後のことは明日以降に話そう。今日は帰って、ゆっくり休むといい。三枝さんと須藤くんも、忙しい中助っ人をありがとう。三枝さんの活躍については、サッカー部の顧問の先生と担任の先生に伝えて、内申でもきちんと評価してもらえるようお願いしておくよ」
「……ありがとうございます」
「須藤くんについても、園芸部の顧問……教頭先生に、しっかり伝えておくから」
「いえ、俺は……結局、肝心なときに役に立てなくて」
「そんなことはない。君がいなければ、僕たちはこのコートに立つことすらできなかったんだから」
藤也は俯いたまま、唇を噛み締めた。
「黒杉、白石、赤江もお疲れさまでした。本当に素晴らしい活躍だった。青川と茶野は今日はゆっくり休んで、明日からまた頑張ろう。俺たちの戦いは、これからだから」
「打ち切られてるじゃないですか」
海斗が呆れた顔を灰田に向けた。
「誌面で終わったからといって、僕らの人生まで終わるわけじゃない。同人誌で続くことだってある」
「なんすかそれ、もう。漫画読みすぎッスよ」
翔も顔を上げて苦笑した。
「言っただろう。僕はジャンプが大好きなんだ。友情、努力、勝利。今回つかめなかった勝利をつかむまで、努力を止めないでほしい。それを支えるのが、僕の役目だ」
灰田はにこりと微笑み、車へ乗り込んだ。
車が去ってから、愛香はメイサに顔を向ける。
「メイちゃん、愚痴らせて。須藤くん、メイちゃん貸して」
「どうぞ。俺は学校に顔を出さないと」
「あ、俺も行く」
翔が藤也を見た。
「柳が、どうなったか聞きたがってたから」
「そうなん。じゃ、一緒に行こう。海斗は?」
「俺はあっちで姉が睨んでるから荷物持ちしてくる」
海斗は顔をしかめながら、校門脇に立つ女性を指さした。
「ウケる。じゃあ、また」
「ウケねえよ。また」
海斗を見送り、一輝と大雅は顔を見合わせた。
「俺らも学校行くか」
一輝が言うと、大雅が頷いた。
「そうだな」
全員でなんとなく顔を見合わせると、それぞれ帰るべき場所へ歩き出した。
***
メイサと愛香はマックで昼食をテイクアウトし、そのままメイサの家へ向かった。
メイサの部屋でテーブルを挟んで向かい合って座るなり、愛香はそのままテーブルへ突っ伏した。
「悔しいよおおお!!」
「うわ、びっくりした」
「メイちゃんは悔しくないわけ?」
「悔しいけども」
メイサは紙袋から紙コップを取り出し、続けてポテトやナゲット、アップルパイ、サラダ、バーガーをテーブルへ並べていった。
「悔しさはノートにぶつけるからなあ」
「だからたまに筆圧で穴開いてるんだ」
「そうだよ」
淡々と言って、メイサはコーラを一口飲み、ポテトをかじった。
「今回はね……接戦だったし」
「ほんとだよ!」
愛香の手の中で、紙コップがくしゃりと歪んだ。
「ていうかラフプレー多過ぎ! 海斗くん、足首大丈夫だったかな」
「だから帰りはお姉さんが手を貸してたんでしょ。待ってなかったら、灰田が車で送ってたんじゃない?」
「一輝と大雅も散々ぶつかられてたし。須藤くんだいじょぶ?」
「んー、途中でがっつりテーピングしてあるし、学校戻るついでに保健室へ行くって言ってたから大丈夫だとは思うけど。一応ママさんに連絡しとくか」
メイサはスマホを取り出し、藤也の母親へメッセージを送った。ほどなくして、「了解」と吹き出しの付いたサメのスタンプが送り返されてきた。
「あーあ。わたし、これで引退かあ……。メイちゃんは?」
「サッカー部はまだ試合が残ってるから、夏いっぱいはマネージャーしてると思うよ」
「いいなあ」
「まあ、私はほとんど引き継ぎと裏方だから」
愛香は窓の外へ視線を向けた。夏の日差しに照らされた空は、相変わらず抜けるように青かった。
***
藤也と翔が学校に着くと、校門脇の花壇では、副部長の柳が部員たちへ苗を配っていた。
「お、二人ともお帰り。裏門に花農家さん来てるから、藤也、顔出してきて」
「瑞希さん? 行く行く」
藤也は表情を明るくし、そのまま裏門へ駆け出した。
残された翔は花壇の縁へ腰を下ろし、柳が部員たちへ苗を配る様子をぼんやり眺めていた。
「邪魔なんだけど」
「負けた」
「ふうん」
柳は翔へ目も向けず、黙々と苗を運んでいた。
「どうでもよさそうじゃん」
「どうでもいいよ。どうでもいいけど、おかえり」
「泣きそう」
「泣けばいい」
「天気いいなあ」
「植え替え日和だ」
翔が腰掛けている花壇の脇で、柳は等間隔に苗を植えるための穴を掘り始めた。
「そうなん」
「そうだよ」
柳は翔の隣へしゃがみ込み、掘った穴へ苗を一本ずつ植えていく。植え終えると、じょうろで静かに水を注いだ。
「俺もお前と同じで副部長なんだけど」
翔が言っても、柳は返事もせずに手を動かし続けた。
「もうちょい、お手本見せて」
「いいよ」
ようやく顔を上げた柳の頬には土がついていて、その姿を見た翔はふっと息を漏らして、手を伸ばした。
***
藤也が校門へ向かうと、軽トラックが停まり、その脇では草野が苗の一覧表を真剣な表情で見つめていた。
「部長! 瑞希さん!」
「おう、藤也」
苗を下ろし終えた藤也の伯父・瑞希が、からりとした笑顔を藤也へ向けた。
「今日、試合だったんだろ?」
「うん。でも負けた。負けたから、バスケ部おしまい」
「マジかよ、じゃあこれ、よろしく」
顔を上げた草野は、手にしていた苗の一覧表を藤也へ押しつけるように渡した。
「草野部長、今までありがとうございました」
「部長はお前だよ。俺はもうなんもしねえ」
「こいつ、うちでバイトすることになったから、しばらくは園芸部に顔出せねえな」
瑞希の言葉に、藤也は目を丸くした。草野はにやっと藤也に笑う。
「そうそう。俺が行きたい大学、園芸学部の入試に実技試験があるんだよ。だから瑞希さんに弟子入りする。推薦は柊に取られちゃったしな」
「へー、いいなあ。俺も弟子入りしたい」
「お前には立派な親父がいるだろ」
「……まあ、そうですけど」
藤也は唇を尖らせながらも、瑞希の『立派な親父』という言葉を否定しなかった。その様子に、瑞希は静かに目を細めた。
「あ、でも瑞希さん。俺、もうちょい体鍛えたいから、瑞希さんがやってる筋トレ教えて」
「へいへい、後で送っておくよ。じゃあな。そろそろ帰らねえと」
「うん、ありがと」
「ありがとうございました」
藤也は草野とともに瑞希を見送ると、苗の一覧表へ目を落とし、気持ちを切り替えるように腕まくりをした。
***
一輝と大雅は肩を並べ、ボールの音が響く体育館へ足を踏み入れた。
入口付近で汗を拭いていたバレー部の部長が、二人に気づいて顔を上げた。
「おつかれ。試合どうだった? 負けた?」
「負けた負けた」
一輝が苦笑すると、周囲にいたバレー部員たちも一斉に二人へ顔を向けた。
「おつかれっした!」
「ありがと。そっちは?」
「来週から。やー、そっかあ。お前ら終わっちゃったかあ。赤江さん貸して」
「ダメ」
一輝はすたすたと舞台のほうへ歩き、大雅ものんびりとその後に続いた。
二人は舞台の縁にもたれ、肩を並べて体育館を見渡した。
「うーん、終わった」
「終わったなあ」
体育館の半分では男子バレー部がいつもどおり練習を続けていた。窓も扉も開け放たれ、生ぬるい風が吹き込み、外ではセミがけたたましく鳴いている。朝と変わらず、空には雲一つない青空が広がっていた。
「これも見納めかあ」
「だなあ」
大雅は力の抜けた声で答えた。
「負けた挙げ句に慰められて言い訳されて、本当にムカつくな」
一輝がぽつりと言うと、大雅も同じように「だなあ」と返した。けれど、その声はさっきより少しだけ低かった。
「大雅」
「んー」
「悪かった。ごめん」
「いいよ。俺もだから」
何についての謝罪なのか、二人はあえて口にしなかった。ただ肩を並べ、バレー部の練習と体育館、そして変わらず広がる夏の空を眺めていた。
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