Day 25.揺らぐ
月曜日の朝、一輝と愛香がいつもより遅い時間に登校すると、朝の光が差し込む廊下では、大雅とメイサが話をしていた。
「メメイちゃんおはよー。大雅としゃべってるの、珍しいね」
「おはよう、まなちゃん。黒杉も。白石に捕まっただけだよ」
「三枝さん、俺に当たり強くない?」
大雅が苦笑すると、メイサは肩をすくめた。
「優しくしたら、勘違いするじゃん」
「ぐ、そうだけどさ」
きっぱりと言い切られ、大雅は不貞腐れたような顔をした。
愛香は大雅を見上げる。
「何の話してたの?」
「三枝さんの志望校聞いてた。俺には全然無理だわ」
「大雅、メイちゃんの成績知らないの?」
「……知ってる。ワンチャン狙ったけど無理そう」
呆れたような顔をする愛香に、大雅は力なく肩を落とした。
メイサが目を細める。
「そういうところ! ワンチャンじゃなく勝てるように私が鍛えまくってんのに、まだワンチャンとか言ってんのなんなの。根性がないよ、根性が」
「俺、三枝さんのそういうところが好きなんですけども」
「残念でした、ダーリンいますー」
「知ってますー! へいへい、ちゃんと勉強しますよ」
大雅は不貞腐れたような顔のまま、軽く手を振って教室へ向かっていった。
「じゃあ、私も教室行くね」
「おう」
一輝は見上げる愛香の頭を軽く撫でて、自分も教室に向かった。
***
「まなちゃん、ついに付き合い始めた?」
一輝が大雅の後を追って四組に向かうと、メイサは愛香に視線を向けた。
「ううん。でも、うーん。なんか、今みたいなことが増えた」
「黒杉もついに自覚したのかな」
「さあ?」
愛香はそう言うと、さっさと教室へ向かって歩き出した。
メイサものんびりとその後をついていった。
***
放課後、一輝は大雅と共に図書室に向かっていた。愛香から、
『メイちゃんたちと勉強してるから、二人もおいで』
と連絡が来たのだ。
一輝は授業以外で図書室を利用することはないが、メイサはよく通っており、愛香も時々利用しているらしい。
意外に思いながら図書室を覗くと、試験前の賑やか空気の中、愛香とメイサが並んで机に向かい、その向かいの席では藤也が二人に勉強を教えていた。
「おつかれ。なんで二年に教わってるんだよ」
「そういうことは須藤くんに教わってから言いなよ」
「そうだそうだ。私よりバカのくせに」
愛香とメイサに同時に言い返され、一輝は言葉に詰まった。
大雅が苦笑しながら藤也の隣に腰を下ろしたので、一輝も愛香の隣の椅子を引いた。
藤也は顔を上げることもなく、メイサの教科書をめくった。
「で、さっきまで説明してたのがこの式」
「……あ、なるほど? じゃあ、答えは、」
「そういうこと」
「えっと、こっちは?」
「それは応用。文章をちゃんと読め。数学じゃなくて国語の話だから」
メイサは教科書へ目を落とした。窓から差し込む午後の光を受け、長いまつげが頬に淡い影を落とす。
一輝は大雅が藤也の隣に座った理由に気がついた。
「……愛香、ここなんだけど」
「私にもわかんない」
「ダメじゃん」
「須藤くんわかる?」
愛香が顔を上げると、藤也が一輝の教科書を見た。
「それ、二ページ前に解説ありますよ」
「なんで分かるんだよ」
「黒杉先輩は、なんで二年生にもわかることがわかんないんですか?」
「ぐ、悪かった」
「いえ、どっちかと言うと先輩の感想のほうが正しいので、大丈夫です」
藤也は呆れたような顔でメイサを見ていた。その視線にあるのは呆れだけではないことくらい、一輝にも分かった。
一輝は小さく息を吐いて、勉強を続けた。
しばらくして、メイサが両腕をぐっと伸ばした。
「あー疲れた」
「お疲れ。進んだ?」
「だいぶ。藤也は? ごめんね大人数で世話になって」
メイサは愛香と一輝、大雅へ顔を向けた。結局、バスケ部の三人も分からないところを次々と藤也に教わっていた。
「本当だよ。なんだよ、三年生が四人もいて。次から助っ人呼ぶか」
「誰?」
「草野先輩か、柊先輩か」
「柊ちゃん呼ぶと一ノ瀬もきてうるさいからなあ。草野はいいかも」
「やだよ、あいつ気障だから」
一輝が口を挟むと、大雅は思わず吹き出した。
「愛香にちょっかいかけられるもんな」
「草野くん、そんなことしないよ」
「草野部長となんかあったんですか?」
藤也が首を傾げると一輝は顔をしかめた。
「何にもない。断じて何にもない」
それを聞いて大雅はますます笑った。
一輝はムスッとしたまま勉強を再開した。
***
数日後の放課後、一輝が図書室へ顔を出すと、試験勉強で騒がしい室内で、愛香と草野が並んで机に向かっていた。
「何してんの」
思わず、一輝の声は低くなった。
草野はへらりと笑い、一輝を見上げた。
「うける。余裕なさ過ぎ。教室出たときに一緒になったから、そのまま来ただけ。俺は須藤に用事があるんだよ」
「須藤は?」
低い声のまま一輝が尋ねると、愛香は呆れたような顔で図書室のカウンターへ視線を向けた。
「司書の先生に呼ばれて書庫で作業中してるよ」
「忙しいな、あいつは」
「だから、俺が代わりに教えてんだよ。須藤ほどじゃねえけど、少なくとも四組さんよりは成績マシですし?」
「ムカつく」
「ムカつくなら」
草野はにこりと笑い、一輝を見上げた。
一輝は何も言えず、草野を見下ろした。
「やるべきことがあるんじゃねえの? 俺に絡んでないでさ」
草野は視線を手元の教科書へ戻した。
「赤江、さっきの説明でわかった?」
「う、うん。大丈夫、ありがとう」
「どういたしまして」
愛香が頷いたのを確認して、草野は教科書を閉じ、立ち上がった。
「わかんなければ聞いて。休み時間でもいいし、クラスLINE辿ってくれてもいいし」
一輝は草野が教科書とペンケースをカバンへしまう様子を眺めた。
草野の指先はあかぎれや細かな切り傷が目立ち、節くれ立った手は一輝の手よりもさらに硬そうだった。
「黒杉、お前もだよ」
「え?」
「わからなかったら、お前だって俺に聞いていい。別に友達じゃないし、仲良くもないけど、少なくとも顔見知りなんだから」
一輝は草野の顔をまじまじと見つめた。
草野はどうでもよさそうな顔で一輝を見ていた。
「……ムカつく」
「はは、そらどうも」
草野は笑ってカウンターへと向かっていった。
一輝は黙ったまま愛香の向かいの席に腰を下ろした。
愛香が困ったような表情で自分を見ていることは分かっていた。それでも、一輝は何も言えなかった。
しばらくして、一輝の隣に藤也が腰を下ろした。
「何しょぼくれてるんですか」
「ちょっと、器の狭さに凹んでた」
「へー、それ、あとどれくらいかかりそうですか?」
「須藤、人の心ないわけ?」
「あるから聞いてるんです。あ、赤江先輩。その問題は前のページの公式の応用です」
愛香の名前が出て、一輝は顔を上げた。
愛香はうつむき、黙々と勉強を続けていた。
「……あと三十秒で立ち直る」
「了解です。俺はもう帰りますから、頑張ってください」
「ありがと」
藤也はにこりと笑い、騒がしい図書室を後にした。
愛香は変わらず手を動かし、ノートへ丁寧に文字を書き続けていた。
一輝も教科書とノートを取り出し、小さく息を整えて机へ向き直った。
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