Day 24.タイムカプセル
帰宅した一輝は、疲れ切ったようにベッドへ倒れ込んだ。
かろうじてスマホを持ち上げ、バスケ部のグループトークに、
『二週間運動禁止。ただし三枝が作った練習メニューは医者から許可が出た』
と送信すると、そのまま画面を閉じた。目を閉じた途端、張りつめていた意識はあっという間に眠りへと沈んでいった。
数時間後、一輝が目を覚ますと、窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。
重い体を引きずるように起き上がり、開け放したままだったカーテンを閉めると、晩ごはんと風呂を済ませた。部屋へ戻ってスマホを手に取ると、バスケ部のグループトークには励ましのメッセージがいくつも届いていた。
ひとつひとつ目を通し、一輝は小さく唸った。
やがて再びベッドへ身を預けると、一輝はメイサの名前をタップした。
……が、メイサは通話には応じなかった。
「まあ、しゃあねえか」
一輝が息を吐いて目を閉じかけたそのとき、スマホが震えた。画面にはメイサと藤也の名前が並び、グループ通話の着信が表示されていた。
「……もしもし」
通話に応じると、画面にはメイサと藤也の顔が映し出された。どうやらビデオ通話だったらしい。
メイサはすっぴんのまま現れ、藤也はやけにごつい眼鏡をかけていた。
部活で見る姿とはあまりにも雰囲気が違い、一輝は思わず言葉に詰まった。
『なに?』
メイサはいつもより低い声で、一輝に視線を向けていた。
「は? なにって」
『用事があるから電話してきたんじゃないの? 今、ダーリンといちゃついてるから手短に言って。三文字くらい』
「短え」
『一文字超えたから終わり』
「待て待て、謝りたいんだって!」
一輝は慌てて声を上げた。画面の向こうでは、メイサは無表情のままこちらを見つめ、藤也はうつむいていた。しかし肩が小刻みに震えており、どうやら笑いをこらえているらしかった。
「二人にめちゃくちゃ助けられたのに、酷いこと言ったから、その、ごめん」
一気に言い切ると、藤也が顔を上げた。
『はは、ふふ、いいけどさ、あはは』
『ちょっと藤也、笑いすぎ』
『メイサがこんな怒ってるの珍しいから』
『邪魔されたから』
『しかもそこかよ。まあ、俺としても、ハニーの部屋着見られて面白くないんだけど』
「別に見てもなんとも思わねえよ。修学旅行で見てるし」
藤也は目をきゅっと細め、メイサへ視線を向けた。
メイサは『それはそう』と、あっさり頷いた。
『あ、でも修学旅行はまなちゃんたちとお揃いのルームウェア着たんだよ。藤也、あとで送るね』
「ふざけんな、三枝だけの写真にしろよ」
一輝が思わず口を挟むと、メイサはにやりと笑った。
『まなちゃんと撮った写真もあるよ』
「それはくれ」
『いや、黒杉先輩、普通に赤江先輩に見せてくれって言えばいいじゃないですか』
「さすがに寝間着着てこいとは言えねえよ」
『自分が見に行くって選択肢は?』
「……無理」
『声小っさ!』
「うっせえよ。あー、とにかく、あれだ。俺が悪かったです。ごめんなさい……」
画面越しに、メイサと藤也は顔を見合わせた。
『まあいいけど、ダーリンが嫉妬するし、いちゃいちゃするのに邪魔だから電話してこないで』
『俺も別にいいけど、俺の彼女に個別に電話しないで。試験前だし』
「……うん。二度としない。二人ともごめん。あ、三枝は休み中の練習メニュー、サンキュ。医者が褒めてた」
『ああ、あれ。いいよ。あそこに書いてある以上でも以下でもダメだからね』
「わかった。じゃあ二人とも、おやすみ」
一輝は通話を終えると、メイサから送られてきていた練習メニューを開いた。
体を起こし、手首を伸ばそうとして、ふと動きを止めた。
一輝はLINEの履歴を開き、上から三番目の名前をタップした。
『なあに』
愛香はすぐに出た。
「ビデオ通話にしていい?」
『いいよ』
ほどなくして、スマホの画面に愛香の顔が映った。
「三枝が送ってきたストレッチやるから、繋げといて」
『はいはい。私は試験勉強してるからね』
愛香に頼むことは、一輝が思っていたより、ずっと簡単だった。
スマホの向こうでは、愛香が机へ向かってうつむいている。時折、シャーペンを走らせる手やノートの端が画面に映り込んだ。
一輝も床へ座り、スマホをテーブルへ立てかけてストレッチを始めた。腰へ負担をかけないよう、手首や足首を回し、腕や背中をゆっくりと伸ばしていく。
いつもより丁寧に体を伸ばしていると、じんわりと汗がにじんできた。
一通り終わってスマホを見ると、愛香が一輝を見ていた。
「愛香、試験勉強は進んだ?」
『ちょっと。一輝も勉強したほうがいいよ』
「そりゃそうだ」
一輝はスマホを手に立ち上がり、勉強机へ立てかけた。
カバンから教科書とノートを取り出しながら、一輝は先ほどの藤也とメイサのやり取りを思い返した。確かに、愛香と二人でビデオ通話をしている最中に誰かから電話がかかってきたら、あまり気分のいいものではない。許せる相手がいるとすれば、大雅くらいだった。
「あのさ、数学の範囲なんだけど」
『ざっくり言って、教科書半分』
「ざっくりすぎる。え、マジ? そんなにある?」
愛香と話しながら教科書をめくり、ノートを開いた。
一時間ほど勉強を続けたあと、一輝はふと顔を上げた。
「愛香」
『んー』
「ありがと」
ノートへ視線を落とし、ペンを走らせていた愛香が、目を丸くして顔を上げた。
『どしたの。熱ある? 腰痛いなら、横になったほうがいいよ。辛ければ行くけど』
愛香に矢継ぎ早に心配され、一輝は思わず苦笑した。
熱はない。
体調が悪いわけでもない。
そうではなく、胸の奥が火照るようなこの気持ちは、スマホ越しに説明できるものではなかった。
「熱はない。腰もちょっと痛いけど大丈夫。そうじゃなくて……んー、うん。やっぱ熱あるかも」
『行こうか?』
「そういう意味じゃねえから、大丈夫。でも今日はもう寝るわ」
『そうしなよ。明日は日曜日だし、ゆっくり休んで』
「サンキュ。おやすみ」
『おやすみ』
そこで通話は途切れた。
一輝は緩む口元を手で覆った。机の上にはノートもシャーペンも出したままだったが、そのまま部屋の明かりを消し、ベッドへ倒れ込んだ。
午後はほとんど寝ていたはずなのに、あっという間に眠りに落ちた。
***
翌朝、一輝が朝食を食べていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
母親が出て、「愛香ちゃんと大雅くん来たよ」と呼ばれる。
一輝が玄関へ出ると、愛香と大雅はなぜか楽しそうな笑顔で手を振った。
「いや、何しに来たんだよ」
二人を部屋へ案内し、座卓へ水滴のついたコップを二つ並べた。
「一輝が凹んでるって聞いたからいじりにきた」
「私は二人に勉強させにきた」
「なんだそれ」
一輝は苦笑して勉強机の椅子に腰を下ろす。
愛香が真顔になった。
「二人は、大学はどこにするの?」
一輝と大雅は、気まずそうに顔を見合わせた。
「さすがに決めないとダメだよ」
一輝は膝の上で拳を握りしめ、愛香をまっすぐ見た。
「……愛香が行きたいって言ってたとこ、俺でも行けるかな」
「今のままじゃ無理だよ」
愛香は即答する。当然だ。一輝にもわかっている。
しかし、一輝がもう一度口を開くより早く、愛香はふっと笑った。
「二人とも、頑張って勉強して。ちゃんと付き合うから」
「よろしくお願いします」
一輝が頭を下げると、大雅が目を丸くして一輝と愛香を見る。
「え、今、俺も含めた?」
「ったりまえだろ。俺一人で勉強するわけねえじゃねえか」
「私が付き合わないで、大雅は進学できる?」
好き勝手なことを言う二人を前に、大雅は天井を見上げた。
「俺、お邪魔じゃない?」
「んなこと、思ったことねえよ」
「それなら、今日誘わなかった」
大雅が天井を見上げて唸っている間に、一輝は教科書を取り出し、愛香も座卓へ参考書を広げた。
「もしかして、二人とも俺のこと結構好き?」
「まあ、最低限は」
低い声で言う大雅に、一輝は顔も上げずに答えた。
「最低限てなんだよ」
大雅は笑って背中を丸めた。
「……俺にも、勉強教えてください」
「いいよ」
愛香の笑顔をちらりと見やり、一輝は再び教科書へ視線を落とした。
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