Day 23.怪盗
病院に着いた一輝は、母親と愛香と共に待合室のベンチへ並んで腰を下ろした。白い照明に照らされた待合室には、静かな空気が流れていた。
「もう、何してるの。愛香ちゃんにも迷惑かけて」
「い、いえ、私は……私が、勝手に」
「違うだろ」
一輝はうつむき、自分の指先を見つめたまま言った。
「俺が、甘えてたんだ。愛香にも、三枝にも、須藤にも……大雅たちにも」
誰も答えなかった。張りつめた沈黙の中、愛香は口を開きかけては閉じた。
やがて名前を呼ばれ、一輝は母親と共に診察室へ向かった。
レントゲン撮影を終えると、今度は愛香も診察室へ呼ばれた。
「ごめんなさいね、愛香ちゃん。この子がどんな練習をしていたか、一番詳しいのは愛香ちゃんだから」
申し訳なさそうな一輝の母親に、愛香は首を横に振った。
診察室で待っていたのは、学生スポーツを専門とする年配の医者だった。愛香は一輝の練習メニューを書き留めたノートを、その医者へ差し出した。
「へえ、よくできてる。……いやこれ、わたしが作ったメニューだな。えっと、ああ、サッカー部だ」
「は、はい。サッカー部のマネージャーの友達に、助けてもらってて」
「うん、いいと思う。でも、これだけなら、腰はこんなに歪まないはずだ」
医者はふっと笑って一輝に顔を向けた。
一輝は思わず目を逸らす。
愛香が自分を睨んでいるのは分かっていた。それでも、一輝は顔を上げることができなかった。
「うん。しばらくはバスケ禁止」
「そんな!」
「バスケどころか歩くのも辛いだろうに。まったく、若い子はすぐ無茶をする。このあと電気流すから、呼ばれるまで待合室で待っててね」
一輝は母親と愛香と共に診察室を出た。
待合室のベンチで、愛香も母親も何も言わず、一輝を挟むように座っていた。
ふと、愛香が顔を上げ、ポケットからスマホを取り出した。
「あ……メイちゃんだ」
一輝が横から覗き込むと、画面には練習メニューの一覧が表示されていた。
「……これ」
「腰がダメなときにできることって」
一輝は手を強く握りしめた。
短い爪が手のひらへ食い込み、鈍い痛みが走る。
「愛香」
「なに」
「悪かった」
「なにが」
一輝はうつむいたまま、続けた。
「愛香が止めてくれたのに、無茶して。愛香が呼んでくれた助っ人のこと、ないがしろにして」
「ほんとだよ。メイちゃんと須藤くんに謝って」
「……ごめん、愛香。ごめん」
「私じゃなくて」
「俺は、誰よりも愛香のことを無下にしてた。ごめん」
一輝は顔を上げ、隣に座る愛香を見た。
愛香は頬を赤く染め、困ったような表情で一輝を見返している。
一輝はその表情から目を離せなかった。
「……一輝」
一輝が口を開きかけたとき、待合室のスピーカーから一輝の名前が聞こえた。
「っ、い、行ってくる」
「う、うん。いってらっしゃい……」
一輝はぎこちない足取りで立ち上がり、治療室へと向かった。
背後から母親の、
「まさか、まだ付き合ってなかったの……?」
という呆れたような声が聞こえ、一輝は顔から火が出そうになった。
***
電気治療を終えた一輝は、母親と共に再び医者の前へ腰を下ろした。
今後の治療方針を聞き終えると、一輝は先ほどメイサから送られてきた練習メニューを医者へ見せた。
「あの、直るまで、これってやっても大丈夫ですか?」
「へえ? ああ、はは、これもわたしが前に作ったメニューだな。バスケ用に多少手は入ってるね。ああ、三枝さんか」
「知ってるんですか」
「うん。サッカー部の子をたまに連れてくるからね。そのときによく話すよ。熱心な子だね」
一輝は喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。
医者はちらりと一輝の顔を見て、すぐにカルテへ視線を落とした。
「それでいいよ。ただ、回数だけは最初は半分から始めようって、三枝さんに伝えておいて」
「……わかりました。ありがとうございます」
立ち上がった一輝に、医者は穏やかな笑顔を向けた。
「高校三年生ってさ、卒業っていう終わりは見えてるのに、その先が見えなくて怖いよね。でも、別にそこでぶつんと切れるわけでも、変わるわけでもない。普通に朝起きて、夜になったら風呂に入って寝る。そういう一日の流れは変わらない。大丈夫、君はまだ、若いから」
一輝は再び手をぐっと握りしめると、ゆっくりと力を抜いた。そして深く頭を下げ、診察室を後にした。
待合室で待っていた愛香は、一輝の姿を見つけると勢いよく立ち上がった。
「どうだった?」
「二週間はおとなしくしてろってさ。試験前だから、ちょうどよかった」
「そっか……」
「三枝の練習メニューは問題なし。回数だけ半分から始めろって三枝に伝えてくれってさ」
「わかった、伝える。……え、先生、メイちゃんのこと知ってるの?」
「そうみたい」
一輝が先ほどの医者とのやり取りを話すと、愛香は「はー」と息を吐いた。
「メイちゃん、すごいな」
「なあ……俺、あいつのこと馬鹿なギャルだと思ってたし、そう言って須藤に切れられたけど、馬鹿は俺だった」
「当たり前じゃん」
愛香が呆れたように笑った。
会計を済ませた母親が戻ってきた。
「どうする? 帰る?」
「私は学校に戻ります。自転車取ってこないと」
「俺も自転車置きっぱなしだ」
「一輝は乗れないでしょ。それなら学校に向かいましょうか。一輝の自転車は車に乗せて……あと顧問の先生にご挨拶して」
「いるか、それ」
「いります」
母親にきっぱりと言われ、一輝は首を傾げながらも、おとなしく後についていった。
学校へ戻ると、愛香は足早に体育館へ向かっていった。
一輝は母親と共に職員室を訪れた。
「三枝さんから話は聞いてる。こんにちは。バスケ部の顧問をやっている、灰田と申します。こちらへどうぞ」
灰田は立ち上がり、一輝と母親を職員室の隅にある応接スペースへ案内した。
灰田は病院での話を静かに聞き終えると、小さく頷いた。
「ちょうどいいんじゃない。勉強しな」
「……はい」
「せっかくだし、担任の先生も呼んで、三者……いや、四者面談にする?」
「やめときます。あの、三枝から話を聞いてるって」
「うん。黒杉くんが三枝さんと須藤くんに言ったことも、全部聞いてる」
一輝は手を握りしめた。母親が不思議そうな顔で、一輝と灰田の顔を見比べる。
「あの、息子がなにか」
「多少揉めたようですが、相手の生徒は話を大きくすることを望みませんでした。受験生ですしね」
「そう……ですか」
母親が困ったように口を閉ざす姿を見て、一輝はますます拳を強く握りしめた。
灰田は相変わらず穏やかな表情を一輝に向けていた。
「三枝に謝ってきます」
「それがいい。でも、今日はお母様も待たせてるし、月曜日でいいんじゃない」
「……はい」
その後も母親と灰田が話す傍らで、一輝はうなだれたまま黙っていた。
やがて話が終わり、母親が立ち上がる。
一輝もゆっくり立ち上がり、母親と共に職員室を出た。
「黒杉」
灰田に呼び止められた。
「……はい」
「次、どうする?」
「次?」
「そう、次だ。それを考え続けるのが人生だよ」
一輝は答えられず、何度か瞬きを繰り返した。
灰田は柔らかく微笑みながら、一輝を見つめていた。
「灰田先生って……ちゃんと先生だったんすね」
「こら! 一輝! すみません、先生、失礼なことを」
「いえ、お気になさらず。さっき、三枝さんにも同じことを言われた。きみは気づけた。じゃあ次だ。次をどうするか考えなさい。僕からの宿題だ」
一輝は灰田へ深く頭を下げ、母親と共に学校を後にした。
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