Day 21.モーニングセット
一回戦を終えた数日後の朝。
愛香が家を出ると一輝の自転車がなかった。
「なんか、前にもこういうことがあった気がする」
小さくため息をつき、自転車を走らせた。
自転車を駐輪場に止めて体育館に向かうと、案の定一輝が筋トレをしていた。
「一輝」
「愛香、早ーな」
「こっちのセリフ。ねえ、前にも同じことしなかった?」
愛香が言うと、一輝が一瞬泣きそうな顔をした。
「一輝?」
「……俺が、ちゃんとしなきゃじゃん」
「何言ってんの」
愛香は一輝の隣にしゃがみ込んだ。一輝はキャットウォークの窓をぼんやりと眺めている。窓の向こうには、青く澄んだ夏空が広がり、朝の日差しが体育館の床を明るく照らしていた。
「俺のせいで部員いなくなっちまって、愛香と海斗が助っ人呼んできてくれたじゃん。けどさ、三枝と須藤だって、それぞれの部活があるわけでさ」
「何を今さら」
「ほんと、今さらだよな。でも、ちゃんとしなきゃって思った。愛香だってずっと頑張ってるのに」
「気づくの遅いでしょ。いや、そうじゃなくて」
愛香は一輝の視線の先へ回り込み、その顔を覗き込んだ。
「“ちゃんとする”っていうのと、“無茶をする”っていうのは違うことだよ」
「……正論言うなよ」
「言う。一輝。わたしたちの目的はなあに」
「え? えっと、少しでも勝つこと」
「分かってんじゃん。だから、無茶して体を壊さないでほしい」
一輝は愛香をじっと見つめた。
愛香はそれ以上、何を言えばいいのかわからなかった。唇を噛んだとき、足音がした。
「はよー、何してんの」
大雅だった。
後ろから、メイサと藤也もやってくる。
「おはよ……」
座り込んでいた愛香と一輝を見て、メイサがきゅっと目を細めた。
「黒杉、またあんたまなちゃんに甘えてんの」
「違う。……甘えてたから、甘えないようにしたくて」
「じゃあ、なんでまなちゃん、そんな顔してるの」
一輝は何度か瞬きをして愛香を見た。そしてぎょっとした顔になった。
「愛香、なんつー顔してんだ?」
「さっきからずっとこんな顔だけど」
「マジかよ」
「マジだよ。もー、ほんとしょうもないんだから。はい、いいから立ち上がる!」
メイサがパシパシと手を叩いた。
「黒杉と白石、須藤の三人は走っておいで。まなちゃん、次の対戦相手の話しよう」
「……わかった」
立ち上がって体育館を出ていく一輝の背中を、大雅と藤也は顔を見合わせてから追いかけた。
「まなちゃん、黒杉は今度はどしたの」
「や、私もよくわからなくて。また私より早く来て練習してさ」
「ふうん」
メイサは腕を組んだ。
「んー、んー……わからんでもないけど」
「え、わかる?」
「予想……っていうか、サッカー部の連中を見てきて、そんな気がする、くらいの予想だけど。たぶん、じっとしてられないんだよ」
愛香はメイサを見返し、それから考え込むように自分の唇へ指先を当てた。
「そうかも。そうかも?」
「そういうときは、あれだ。走らせよう」
「走らせる?」
「うん。発散してもらおう」
メイサが笑ってノートを開いた。
「白石に早起きしてもらおうか」
***
しばらくすると海斗が体育館に姿を見せ、少し遅れて翔も息を弾ませながら駆け込んできた。
「はよざいます! って、先輩たちいないんすか?」
翔は舞台の周りをきょろきょろと見回し、不思議そうに首を傾げた。
「じっとしてられないって言うから、走りに行かせた」
メイサが言うと、海斗も翔も「走りに?」「幼稚園児か?」と首を傾げた。
「あんたらも走ってくる? ストレッチしててもいいよ。この間の試合で出た課題もあるし」
「じゃあ俺、ストレッチします」
海斗はそう言って床に座った。
「んー俺もそうしようかな。なんか、相手チームの動きが、きゅっとしてたじゃないですか」
翔が言うと愛香がくすっと笑った。
「そうだね。動きにキレがあった。あれは、足首と股関節の可動域が広いんだと思うよ」
「やっぱり足首……」
翔は呟いて足を開いて座り、足首を回した。
「股関節のストレッチって黒杉先輩がしてたやつですよね。俺もやります」
「じゃあ、最初は一緒にやろう。寝っ転がって、片足上げて」
寝転がった海斗の膝をメイサがぐいっと押す。海斗の悲鳴が体育館に響くが、メイサは気にも留めず手を動かし続けた。
やがて、走っていた三人が帰ってきた。
「白石!」
「はいよー」
メイサに呼ばれた大雅が汗を拭きながら舞台の前にやってきた。
「大雅、明日から早起きしてね」
愛香に微笑んで言われて、大雅は目を丸くした。
「もうしてるけど!?」
「もっとだよ」
にこりと笑うメイサを見て、大雅の頬がぴくりと引きつった。
***
翌朝、一輝が家を出ると、既に愛香の家に自転車がなかった。
「は?」
慌てて学校へ向かうと、朝日が差し込む体育館で、大雅と愛香が並んで朝食をとっていた。
「何してんだ?」
「早起きさせられた。マジ眠い」
大雅が不機嫌な声で答える。
「一輝の朝ごはんもあるよ」
愛香が笑って、ランチトートからサンドイッチを取り出した。
「うちにあったものを適当に挟んだだけだから、『いただきます』と『ごちそうさま』をちゃんと言ってくれたら、それでいいよ」
「いや、なんで」
「北風と太陽」
「は?」
愛香が呆れた顔で、自分の手元のサンドイッチを食べ始めた。
「押してダメなら引いてみろでも、なんでもいいんだけどね。一輝はダメって言っても止めないでしょ」
じろっと睨まれて、一輝は目を逸らした。
「だったら、一緒にできるだけをやろうねって話」
「ちなみに三枝さんと須藤は来ねえから」
「あ、そうなん」
一輝は肩の力を少し抜き、ようやく二人の前へ腰を下ろした。
「須藤は早朝は実家の店の開店準備してるってさ」
「まじで」
愛香からランチトートを受け取ろうとした一輝の手が、途中でぴたりと止まった。
「あいつ、家のことと、園芸部の部長やって、学年一位の成績維持してバスケ部の手伝いもしてくれてた?」
「そうだよ」
愛香がムスッとした顔で言った。
「メイちゃんだって、サッカー部とバイトと受験勉強あるんだからね」
「受験勉強は俺らもあるよ」
大雅が遠くを見て言い、一輝と愛香は目を逸らした。
朝食を終え、ストレッチして一輝と大雅は走りに行く。海斗と翔もやってきて、
「えー、いいな。俺らも来ます」
「朝飯持ってこよう」
となぜか乗り気だった。
二人のストレッチを手伝いながら、愛香はふと窓の外へ目を向けた。
澄みきった青空の下、まぶしい朝日が校庭を照らし、夏の一日が静かに始まっていた。
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