Day 15.ラナンキュラス
二回目の練習試合は、惨敗だった。
「ありがとうございました!」
一輝がそう言って頭を下げ、振り返ると、二年生三人は今にも噛みつきそうな険しい顔をしていた。愛香とメイサは口をへの字に結び、大雅は肩を落として悲しげな表情を浮かべている。
「ウケる」
つい一輝が吹き出すと、愛香に背中を叩かれる。
「ウケないよ、ばか」
「そだね。悔しいなあ」
体育館には試合を終えた選手たちの声が響き、熱気の残る空気が開け放たれた扉の外へと流れ出ていった。
「その割に嬉しそうなの、なんなん」
メイサは顔をしかめてそう言いながらも、ノートを持つ手とは反対の手で藤也の頭を優しく撫でていた。その様子がおかしくて、一輝はどうしても表情を引き締められなかった。
大雅がしょんぼりした顔のまま、メイサを覗き込む。
「三枝さん、俺も撫でて」
「は?」
今の「は?」は藤也のものだった。メイサは意にも介さず、そのまま受け流している。
「はいはい、着替えて帰ろうぜ。愛香、三枝、学校戻って動画見せて。撮ってるだろ」
「うん、撮ってる。帰ろう」
一輝も愛香に向かって手を上げかけたものの、結局そのまま下ろした。
学校へ戻ると、一行は視聴覚室で昼食をとりながら試合の動画を見返した。昼の日差しが窓から差し込み、静かな室内には映像の音声だけが淡々と流れている。
映像を見返すと、相手チームと自分たちとでは動きの質が明らかに違っていた。攻守の切り替えも、一歩目の速さも、画面越しでもはっきりと伝わってくる。
「切り返しはえー」
一輝が呟くと、大雅が息をはいた。
「しかも当たりが強いんだよ。何度吹っ飛ばされたか」
二年生三人も腕を組み、時折うなり声を漏らしながら食い入るように動画を見つめていた。
「手首がぐいって動くんすよね……」
「わかる。ぐいってな!」
「しかも姿勢が低いから、手元が見えにくくて……」
一輝が振り向くと、愛香とメイサは目を見開き、動画を食い入るように見つめながら何かを言い合っていた。
時折、手元のボールペンがさらさらと走り、ノートが次々とめくられていく。
「あそこ、一輝反応遅れてる」
「体幹もう少し鍛えよう。目で追えてても、身体が付いていってない」
「須藤くん、踏み込めてないね」
「股関節のストレッチ、増やさせようか」
一輝が二人のマネージャーを眺めていると、いつの間にか隣では大雅も同じように愛香とメイサへ視線を向けていた。
「ああやって俺らの練習が増えていくんだ」
「なあ……つーか、試合中の動画だけで体の固さとかわかるもんなん?」
「あの二人はそればっか見てるしな」
一輝はハッとして大雅を見た。
「なに?」
「あ、いや……こういうのなんて言うんだっけ。あれ、アハ体験」
「知らんけど、たぶんちげえよ」
愛香とメイサの手は止まることなく動き続け、ノートには次々と分析が書き込まれていく。
画面の中では試合がなおも流れ続け、視聴覚室には映像の音声と、時折交わされる分析の声だけが静かに響いていた。
***
その後も、一輝たちは週に一度ほどのペースで練習試合を重ねていった。
たいていはメイサがどこから見つけてくるのかわからない伝手で対戦相手を探してきたり、ときには顧問の灰田がふらりと顔を出して、
「週末、隣の市の地元チームとやっておいで」
と言い出すこともある。
近くの小学校のPTAバスケチームのおばちゃんたちは予想以上に強く、一輝たちはあっさり惨敗した。帰りには握りたてのおにぎりを持たせてもらい、それが驚くほどおいしかったうえ、「またおいで」と気さくに褒められ、どう反応していいかわからないまま帰ることもあった。
練習試合は勝つこともあれば、負けることもあった。
勝っても負けても、試合のあとは学校へ戻り、視聴覚室で動画を見直す。その度に練習が増えたり組み替えられたりしていた。
***
ある日、一輝は試合の動画を見る際に、愛香の隣に腰を下ろした。
「どしたの?」
「どうもしない」
「寝るなら帰りな?」
「ち、ちげえよ」
信用のなさに驚きながらも、自分がこれまで信用されるようなことをしてこなかったのだと気づき、余計に面食らった。
動画が流れる間、一輝は画面ではなく愛香の手元をじっと見つめていた。
細かな文字でびっしりと埋められたノート。そのノートが、すでに何冊目になるのかさえ一輝は知らなかった。
愛香は試合の動画を見返しながら、各自の動きをノートへ静かに書き加えていく。
一輝が愛香の向こう側に座るメイサへ目を向けると、その手元のノートにも似たような内容が並んでいた。しかし、書かれていることは少しずつ違っていた。
「ああ、目の前のことが書いてあるんだ」
一輝は小さくつぶやき、改めて愛香とメイサへ視線を向けた。
二人は試合中、自分たちの目の前で起きた出来事を書き留め、動画を見返しながら別の角度で見えていた動きや変化を追記していた。
一輝は黙って画面へ視線を戻す。
そして今度は相手のチームではなく、自分たちの動きに注目する。
愛香の目には、自分たちはどう映っているだろう。
試合中、自分には見えていたものと、見えていなかったものを一つひとつ探していく。
「……疲れた」
動画が終わり、愛香が再生を止めると、一輝はそのまま机へ突っ伏した。
画面を見続けていたせいで目の奥がじんと痛み、思っていた以上に神経を使っていたことを実感した。
「一輝、どうしたの?」
愛香は不思議そうに首をかしげ、一輝の顔を覗き込んだ。
「んー……俺より、愛香のほうがずっと真剣にバスケしてたわ」
「気づくのが遅い!」
メイサが低い声で言った。
「まあ、どうでもいいんだけど」
そう言い残すと、メイサは立ち上がり、ノートとボールペンをカバンへ放り込んだ。藤也もそれに続いて立ち上がり、カバンを背負う。
「俺、園芸部に顔出して帰ります」
「私はバイト行く。また月曜日の朝ね」
二人が出ていくと、海斗と翔が振り向いた。
「俺らはちょっと走ってきます。なんか駅の向こうの公園にバスケできる場所できたらしくて」
「練習ってほどじゃなくても、もうちょい体動かしたいんで行ってきます」
「いってらっしゃい。前後でストレッチだけちゃんとやってね」
愛香が笑顔で手を振ると、海斗と翔も手を振り返し、そのまま視聴覚室をあとにした。
「二人はどうするの?」
「愛香は?」
一輝はすぐに聞き返した。
「特に決めてないけど」
「じゃあ、今までの練習試合の動画、もう一回見せてくれ」
愛香がうなずいてスマホを取り出すと、大雅も一輝の隣へ座り直した。
「俺も見ていこうかな。悪いな、邪魔して」
「そういうんじゃねえから。大雅がどう見てるかも知りたいし、みっちり付き合え」
「帰ればよかった!」
愛香はスマホを視聴覚室のプロジェクターにつなぎ、映像を映し出すと、二人の隣へ座り直した。静かな視聴覚室にはプロジェクターの作動音だけが小さく響いている。
「まずは先月、大学生と試合したときの動画ね。解説いる?」
「カンニングじゃん?」
「今はテスト中じゃなくて復習中だから。バスケはみんなでやるスポーツだよ」
「……そうだったわ」
愛香の笑顔を見て、一輝は気まずそうに口をつぐんだ。
一輝は姿勢を正し、改めて前方のスクリーンへ視線を向ける。
「まずは大雅が先制したんだよね。一輝は初めてポイントガードだったから、結構下がって様子を見てたけど、もうちょい前に出てもよかったかな。まあ海斗くんと翔くんも結構上がってたから全体を見るって意味では下がってもよかったけど、いざってときにパスを受けにくいからね。須藤くんはまだ動きが固い」
一輝は相槌も打たず、愛香の説明にじっと耳を傾けていた。
隣では大雅も黙ったまま画面を見つめ、愛香の言葉を一つひとつ確かめるように聞いている。
***
二本目の動画を見終えたころには、一輝と大雅はそろって机へ突っ伏していた。
「目が、痛い!」
「慣れだよ、慣れ。今日はここまでにしておこうか」
「……うん。明日も、愛香の家で続きを見ていい?」
「いいけど、私がそっちに行こうか?」
愛香が言うと、一輝は渋い顔で首を横に振った。
「いや……愛香がうちにくると、親がうるせえから」
「……わかった」
愛香は少し困ったような、それでいて苦笑するような表情でうなずいた。一輝はその様子を見て、ふと振り返る。
「間を取って大雅の家に行くか」
「嘘だろ、俺今全力でいないふりしてたんだけど!?」
「なんでだよ。お前も一緒に見るんだよ」
大雅は呆れ半分、諦め半分といった表情で一輝と愛香を見比べた。
「やだー、二人がたまに出す甘酸っぱい空気に含まれたくねえんだ俺は」
「だ、出してねえから、そんなもん! 気を付けてるんだけど……」
「出てるよ、駄々漏れだよばか! で、何時にくんの? 妹に言っておかないとうるせえから」
ぶつくさ文句を言いながらスマホを取り出す大雅を見て、愛香は思わず笑い出した。
「ごめん。ありがとう。美琴ちゃんにお土産買っていくね」
「いらねえ……って言いたいけど、助かる」
三人は立ち上がって視聴覚室をあとにした。昇降口を出ると、夕方の校庭からはサッカー部や野球部の威勢のいい掛け声が響き、風が土の匂いを運んできた。
そのまま三人は校舎を出て校門に向かった。
「あ、赤江だ。遅くまでおつかれ」
「草野くんも部活?」
愛香が声のした方へ振り返ると、校門へ続く通り沿いの花壇の脇に草野が立っていた。
草野は体操着姿で、両手は土まみれだった。額や頬にも泥がつき、植え替えの最中だったことがひと目でわかる。
「うん。春の花が終わったから、入れ替え中。あ、これいる?」
愛香は差し出された丸みのある花をそっと受け取った。薄いピンクの花びらが幾重にも重なり合い、夕日に照らされてやわらかく色づいて見える。
「きれい」
「それ、ラナンキュラスって言うんだ。……お前にもやるよ」
草野は笑みを浮かべると、愛香の隣でむすっとしていた一輝にも同じ花を差し出した。
「花なんかいらねえよ」
「ラナンキュラスの花言葉は『とても魅力的』、ピンクだと『飾らない美しさ』。赤江に渡せばいい」
「なに、園芸部はキザじゃねえと入れないわけ?」
顔をしかめる一輝に、草野は肩をすくめた。
「甘えっぱなし、迷惑かけっぱなしより、ずっとマシだろ」
草野はもう一輪のラナンキュラスを一輝の手へ半ば強引に押しつけると、満足そうに笑って花壇の作業へ戻っていった。
大雅は目を細め、草野、愛香、そして一輝へと順番に視線を巡らせた。
「愛香、その花、明日うちの妹に土産にくれ」
「え、うん。いいけど」
「俺から言えるのはそれくらいだ。あとは一輝が頑張れ」
「うっせえ……」
一輝は露骨に嫌そうな顔をしながら、押しつけられたラナンキュラスへ視線を落とした。
「うちに花瓶とかないし、そっちでなんとかしてくれ」
差し出された花を見て、愛香は顔を真っ赤にした。
一輝はそっぽを向いているが耳が真っ赤になっているのが大雅と愛香にはバレバレだった。
愛香は一輝の家に一輪挿しがあるのを知っていたけど、黙って小さく頷いた。
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