Day 10.大学
土曜日の朝。須藤藤也はトラックの助手席で、機嫌よくタブレットをスクロールしていた。
「藤也、午前中は部活だっけ」
運転席では、藤也の父親・藤乃がハンドルを大きく切りながら声をかけた。
藤也の実家は造園屋兼花屋で、休みの日の朝になると、藤也は花の仕入れについて行くのが習慣だった。
目当ての花を無事に仕入え、家へ戻る道すがら、藤也は入荷した花の情報をタブレットに入力していた。
「うん。朝一は園芸部に顔出して、そのあとバスケ部」
「頑張るなあ」
父親がやけに嬉しそうな声で言うものだから、藤也は顔を上げた。
「親父も高校同じだろ。園芸部やってたんじゃねえの?」
「俺は入ってないよ。そもそも部活を立ち上げたのは母さん……藤也の婆さんで、二人目の部員が藤也の爺さん。俺は人と話すのが嫌いだから、部活はやらなかった」
「コミュ障め……」
藤也は肩をすくめて父親を睨んだ。
「だから、藤也がそうやっていろいろ頑張ってるのを見るのは楽しいし、嬉しいよ。別に自分のことをやり直したいとは思わないし、俺の高校生活も悪くなかった。でも、それとこれとは別だろ。メイサちゃんも一緒なんだろ? いいじゃん、青春」
「なんで知ってるんだっけ」
「こないだメイサちゃんがバイトに来たときに瑞希と盛り上がってたよ。藤也の筋肉はどこを育てるべきかってさ」
「何してんだよ……」
瑞希は藤也の伯父で花農家を営んでいる。筋トレが趣味だから、きっとメイサとそういう話題で盛り上がったのだろう。
その様子を想像すると微笑ましいような、むず痒いような。
藤也はちょっと笑って、手元のタブレットに視線を戻した。
***
帰宅後、藤也は父親と共に花を運び終えると、タブレットを母親に引き継ぎ、自転車にまたがった。
庭で低木の手入れをしている祖父と妹たちに見送られながら、藤也は学校へ向かう。
「はよざいまーす」
まずは中庭で園芸部に声をかけた。
すでに来ていた草野から昨日までの作業内容を聞き、副部長の柳も交えて今日の作業をどう進めるか決めていく。
「この後はバスケ部だろ。いってらっしゃい」
「行ってきます。……先輩、最近、俺に甘くないですか」
「あー、うん」
草野が苦笑した。
「須藤に構ってると、三枝が張り合ってきておもしろいから、つい」
「……あの、俺を通して俺の彼女にちょっかいかけるの止めてもらっていいですか?」
「そういうつもりじゃないけどさ。あ、教頭が差し入れくれたからあげる。来年の修学旅行先の下見行ったんだってさ」
「もらいますけど……」
草野は小分けされたちんすこうをバスケ部の人数分差し出した。藤也はそれを受け取り、運動部の部室棟へ向かった。
***
バスケ部の部室は扉が開け放たれていた。夏に差しかかるこの時期は、どの部活もそうして換気をしている。閉め切ってしまうと、汗のにおいがこもって部室にいられなくなるからだ。
部室では、バスケ部の四人がちょうど着替えを終えたところだった。
「はよー。おやつもらったからあげる」
「ちんすこう? ああ、修学旅行の下見か」
受け取りながら大雅が苦笑した。
「さっき三枝さんもミニサーターアンダギーくれたよ。須藤には後で別に渡すってさ」
「なんでメイサが?」
「サッカー部の顧問も下見行ってたらしいよ。ほら、一年の担任持ってるから」
「ああ、来年は行くんすね」
藤也は着替えて四人と一緒に体育館に向かった。
メイサと愛香がボールとスコアボードの用意をしている。
「三枝せんぱーい、おはようございます!」
「おはよう、須藤くん」
「……これはこれで、いいな」
穏やかに笑うメイサを見て、藤也は小さくガッツポーズをした。
一輝が「何言ってんだ……?」と嫌な顔をしている。
愛香が笛を吹いた。
「じゃあ今日もよろしくお願いします。まずはストレッチね」
「お願いしまーす」
男子たちは軽く頭を下げ、それぞれストレッチを始めた。
一輝は寝転がって足を回した。前より大きく動くようになった気がする。いや、そんなすぐに変わるわけないか。でも筋肉痛にはなりにくくなってきたし――そんなことをあれこれ考えていた。
「黒杉、動きが雑」
メイサはかがみ込み、一輝の膝をゆっくり外側へ押した。
「ちょっと慣れてきて、動きが小さくなってるよ。ゆっくりでいいから、大きく動かして」
「いてえ」
「筋肉が喜んでるんだよ」
「なんかキモいこと言い出したな……」
メイサが笑顔のまま離れていくと、一輝は大人しく、痛みを感じるところまで足を動かした。
次のストレッチをしようと一輝が顔を上げると、大雅、翔、藤也がプランクをしていた。その前には愛香が座り、ストップウォッチを片手に声をかけている。
「大雅、お尻に力入れて。翔くん、お腹落ちてるよ。須藤くん、あと五秒だから頑張って!」
「もうちょっとメイサっぽくお願いします」
「余裕ありそうだからあと十秒追加ね」
「メイサっぽいですけど、十秒は無理かも……」
藤也はその場に倒れ込んだ。
その向こうでは海斗がメイサにしごかれていた。
「無理です、痛いです、曲がんないです!」
「無理じゃないし、痛いのは練習不足だし、曲がるんだよ」
海斗はメイサに足首を曲げられ、悲鳴を上げていた。
一輝は顔をしかめながら、二人のもとへ歩み寄った。
「俺の次のメニューもそれなんだけど」
メイサは顔を上げた。
「じゃあ先輩、お手本見せてあげて」
「……善処します」
一輝は唸りながら、涙目の海斗と同じように足を大きく踏み出し、肩を入れて前へ体重をかけようとして――そのまま転げた。
「はい、立って。足を踏み出すところからやり直し」
「うぐ」
一輝は渋い顔でメイサに従った。
数分前にまったく同じやり取りをした海斗も、一緒にストレッチを続ける。
***
少し離れた場所では、愛香に足を押さえてもらいながら腹筋をしていた藤也が、一輝と海斗、そしてメイサをじっと見つめていた。
「須藤くん、集中してほしいんだけど」
「してます。ちゃんと指定の回数腹筋してるじゃないですか」
「そうだけどさ。私とメイちゃん、代わろうか?」
「いえ、大丈夫です。俺は遠くからメイサがマネージャーやってるのを見るのが楽しいので」
「それ、楽しいのか……?」
隣で同じように腹筋をしていた大雅が首を傾げた。
藤也は笑顔で頷く。
「俺、メイサとは学年も部活も違いますからね。マネージャーがどんなことしてるのかもよくわかってませんし。だから、同じ部活でいつもと違う顔が見られて眼福です」
「眼福って……そんなもんか?」
反対の隣にいた翔が呆れた声を出した。
「まー彼女のいない人たちにはわかんないですね」
あはは、と笑う藤也を見て、大雅は肩をすくめた。
「あそこで彼女でもないくせに嫉妬剝き出しで睨んでるやついるから気をつけろよ」
藤也と翔は身体を起こしながら、大雅の向こうへ視線を向けた。
一輝がメイサに身体を支えられながら、こちらを――いや、愛香をじっと見つめている。
「ウケる」
「付き合えばいいのに」
「大雅、からかわないで」
愛香が呆れた声を出した。
メイサが「集中して!」と声を上げて、一輝がうめき声を上げるのと、ほぼ同時だった。
***
その後はメイサを先頭に学校の外周を二周し、体育館へ戻ると1on1を繰り返す。
十一時を過ぎたころにメイサが手を叩いて止めた。
「はーい、今日の練習ここまで。クールダウンしながら今後の予定の話して、試合動画見るよー」
大雅と海斗がスコアボードを片づけ、翔は最後まで1on1をしていた一輝と藤也からボールを受け取り、片づけ始める。
藤也が一輝に勝てたのは入部前の一回きりで、あれから一度も勝てていなかった。
愛香はスマホで体育館の隅にあるテレビモニターに試合を映し出す。
「なんだ、これ」
一輝は汗を拭きながら目を細めた。
藤也も座り込んだまま、メイサに汗まみれの頭を拭いてもらいながら、首をかしげる。
「大学生の試合?」
「そだよ。今度練習試合する相手ね」
「は? はあ?」
一輝の声が裏返った。
片づけを終えて戻ってきた大雅、海斗、翔は、一輝の裏返った声に目を丸くした。
愛香が手元のレーザーポインターで片方のチームを指した。
「来週末、こっちのチームと試合することになりました」
バスケ部四人が息を呑んだ。
藤也は首をかしげたまま、メイサを見た。
「なあ、メイサ。大学生と試合って珍しいの?」
「サッカー部はたまにあるよ。バスケ部はそうでもなさそうだけど。それと、三枝先輩とお呼び」
「はい、三枝先輩」
「調教師か……?」
大雅が嫌そうな顔でつぶやいたが、メイサは無視して手元の書類をめくった。
「この人たち、明日の日曜日も練習試合があるらしいから、みんなで見に行っておいで」
「三枝と須藤は?」
一輝が聞くと、藤也は淡々と答えた。
「俺は実家の手伝い」
「私はその花屋でバイト」
メイサもそう言って愛香を見る。
「まなちゃん、敵情視察、よろしく」
「任せて」
力強く頷く愛香に、メイサはにこっと笑い返した。その様子を、一輝はどこか眩しそうな表情で見つめていた。
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