Day 9.見逃す
「はい、そういうわけで、個人メニューを組みました」
三枝メイサと須藤藤也がバスケ部に参加してから一週間が経った日の早朝。
朝日が差し込む体育館では、光を受けたほこりがきらきらと舞っている。その中で、バスケ部の男子五人はそろって顔をひきつらせた。
それぞれがメイサから渡された練習メニューの一覧に目を通し、唸ったり目を白黒させたりしている。
「……マジで」
「マジだよ。やんな」
黒杉一輝は顔をしかめてメイサを睨んだが、普通に言い返され、渡された紙に目を落とした。
メニューの量は想像以上に多かった。そして一輝の苦手な足腰のストレッチと筋トレばかりだった。
「俺、これ苦手なんだけど」
一輝が呟くと、白石大雅も苦笑しながら頷いた。
大雅は体幹を鍛えるメニュー、青川海斗は柔軟性を高めるメニュー、茶野翔と藤也は基礎体力を伸ばすメニューになっている。
赤江愛香はまっすぐに一輝と大雅を見た。
「なんで私とメイちゃんが、その練習をさせようとしてるのか、ちゃんと考えてほしい」
「そうだよ。子供じゃないんだから、やだやだ言わない。なんでそのメニューになったのか考えて」
「一輝と大雅だけじゃないよ。海斗くんと翔くんもね。須藤くんのメニューはメイちゃんが一人で考えてたら、私はよくわかんないんだけど」
愛香に言われて、メイサと藤也は同じように笑顔になった。
「藤也のメニューは私の趣味も入ってるけど、今のバスケ部に足りないものを補うつもりで考えてある。内容は灰田先生とサッカー部のコーチにも相談してあるから、そんなに的外れじゃないと思うよ。頑張ってね」
翔と藤也は軽く準備体操をして、外に走りに行った。
海斗は顔をしかめながら、メニューに書かれていた一つ目のストレッチに挑戦し、数秒で断念した。
「せんせー、人間の手首は、こっちに曲がりません」
「曲がります」
メイサは自分の手首をぐにゃっと曲げて見せた。
「手首だけじゃないよ、足首もね。バスケするときは、手首も足首も柔らかいことがすごく大事だから。わかってるでしょ」
「はい……」
「まあ、いきなりは無理だから、めちゃくちゃ痛い、くらいで止めていいからね」
「ちょっとじゃないんだ……」
海斗はつぶやきながら腕を伸ばし、手首のストレッチを始めた。
すぐそばでは大雅がプランクをしており、時折メイサが
「尻が上がってる」「五秒追加」「お腹だけじゃなくて背中も意識して」
と声をかけていた。
一輝はメニューを半目で眺めながら、首をかしげた。
「おい、愛香。これ、どうやんの?」
「寝っ転がって、片膝を立てて、その膝を持ち上げて横に倒すよ」
そう言いながら愛香は一輝の膝に手を添え、床に向かって倒していく。
「へいへい……っ、いってえ!!」
「メイちゃんが言ってたでしょ。痛くて涙が出たら止めていいから」
「三枝はそこまで言ってなかっただろ! ……ていうか、愛香なんか怒ってる?」
愛香は一輝をじろっと睨んで、ストレッチの補助を続けた。
「多少。このストレッチ、私は一輝に百回くらいやれって言ってきた」
「ご、ごめん。苦手で」
「ふうん。でもメイちゃんに言われたらやるんだね」
「な、なんだよ。やらねえほうがいいのかよ」
逆切れする一輝の膝と肩に、愛香は容赦なく体重をかけた。
「違う。私が優しく言ってるうちに、やってって言ってるの」
「……ごめんなさい。あの、痛い」
「痛くしてるんです! はい、反対」
一輝は伸ばされた身体の痛みと、愛香との距離の近さに緊張しながら、それを顔に出すまいと必死に耐えた。
手のひらは汗でぐっしょり濡れているし、額にも汗がにじんでいる。
それでも、真剣な顔で一輝の補佐を続ける愛香に、それ以上不満を言う気になれなかった。
「ただいまー」
藤也は翔と共に学校の周りを走って戻ってきた。途中で園芸部員に応援され、草野から人数分の塩飴をもらってきて、メイサに差し出す。
「メイサー、部長が飴くれた」
「よかったね。でも部活中は三枝先輩って呼んで」
「はい、三枝先輩」
藤也は満面の笑みでメイサを覗き込んだ。
「園芸部の部長が塩飴くれたんですけど舐めていいですか」
「いいけど、水分補給してからね」
メイサは塩飴を受け取り、代わりにスポーツドリンクを渡すと、ついでに藤也の頭をぽんと撫でた。藤也は機嫌よさそうに海斗と翔の元へ戻り、二人から蹴とばされた。
メイサは愛香と手分けしてスポーツドリンクを配り、飲み終えた部員から順に塩飴を配った。
「はい、次。基本的に朝練はストレッチと筋トレメインでいくよ」
愛香も頷いて続けた。
「朝のうちはまだ身体が固いから、ゆっくり動かしていこうね。代わりに夕方は、軽くストレッチとランニングをしたらミニゲームを繰り返そう。メイちゃんも言ってたけど、うちの部はとにかく場慣れしてないから。最後の三十分くらいはミニゲームの録画や他校の試合を見ながら、クールダウンもしつつ、自分たちに何ができて何ができないか確認しよう」
「ふうん」
一輝は頷いた。
「なんつーか……そこまでしごかれる感じでもない?」
「どうかな」
メイサはにこりと笑った。
「今日は初日だからね。何日か続けてやれば、くると思うよ」
「くる?」
大雅が首をかしげたが、メイサも愛香も微笑むだけで答えなかった。
すでに経験済みの藤也だけ、後ろの方で渋い顔をしていた。
***
その日の昼休み、一輝は早くもその意味を理解した。
一輝は弁当を机に置き、向かいで神妙な顔をして座る大雅を見た。
「なあ、大雅」
「……皆まで言うな」
大雅もまた、同じことを理解していた。
メイサの言った「くると思うよ」の意味を。
「あのさ、太ももがアホほど痛いんだけど」
「皆まで言うなと言っただろうが。俺は腹筋が痛い。くっそ、『くる』って筋肉痛かよ……あー痛え」
大雅はスマホを取り出し、バスケ部のグループラインに『筋肉痛ヤベえから、午後練休んでもよいでしょうか』と送った。
一瞬で既読が二件つき、『いいわけないじゃん』『駄目だよって、一輝にも言っておいてね』『二年どももだよ』『痛みの分だけ強くなれるから頑張ってね』と、返事を打つ間もないほど立て続けにマネージャー二人からメッセージが届いた。
弁当をつつきながらスマホの通知を見ていた一輝は、がっくりと肩を落とした。
「いや、はえーよ。ちったあ心配しろよ……」
「こうなるって、愛香も三枝さんもわかってたっぽいし……」
二人は顔を見合わせてちょっと笑った。
***
放課後、一輝と大雅が体育館へ向かうと、メイサがメガホンを手に立っていた。
「走るよ」
「無理だけど!?」
大雅が言い返したが、メイサは無視して続けた。
「まずは簡単なストレッチから。まずは首を右に倒してー、はい次、左ー」
「くっそ、無視しやがって……」
ぼやきながら首を倒す大雅に、後ろにいた愛香がくすりと笑いかけた。
「大雅、メイちゃんに許してもらえてないから」
「……そだね。ちなみに、どうしたら許してもらえんの?」
「叱られたときに、『副部長として』って言われたでしょ。副部長として、しっかり役割を果たしたら、許してもらえるんだよ」
大雅は目を細めて、一輝を見た。
一輝はメイサと向かい合い、掛け声に合わせて首を倒し、肩を伸ばし、股関節をほぐしている。
……部長として、一番前でストレッチをしていた。
その後ろには二年生三人が横一列に並び、さらにその後ろに大雅、最後尾には愛香がいた。愛香は動きが違う部員がいれば、その都度声をかけて修正させている。
「ぐ……」
大雅は腹筋の痛みに耐えて、黙々と体を動かすことに専念した。
ストレッチが終わると、今度こそ走りに出た。
メイサはメガホンを手にしたまま、掛け声をかけ、ルートを指示しながら先頭を走っていた。
一輝はメイサのすぐ後ろを走っていた。
「三枝、はえーな……」
「でしょー」
学校の外周を半分ほど走ったところで一輝がつぶやくと、すぐ後ろを走る藤也が嬉しそうに答えた。
「この間の運動会の部活対抗リレー、ぶっちぎりでしたもんね」
「……そういや、そうだったわ。なんだかなあ。俺、三枝のこと、バカっぽいギャルだと思ってたけど、全然そんなことなかった」
「そうっすよね」
藤也は口の端を上げたものの、目はまったく笑っていなかった。
その手首には黄色いミサンガが揺れている。
「俺も半年前はそう思ってました。でも、それだけじゃないんです。次に言ったら怒りますよ、黒杉先輩」
「……悪かったよ」
一輝が気まずそうな顔で答えると、いつの間にか近くを走っていたメイサがメガホンを口に当てた。
「こらー! しゃべってないで走って!」
「すみませんでした、三枝先輩」
藤也は素早くメイサに笑顔を向けた。
「へいへい、走りますよっと……腰いてえなあ……」
「あんまり痛かったらまなちゃんに言って、マッサージしてもらってね」
走りながら言うメイサに、一輝は目を丸くした。
「……あいつ、そんなことできんの?」
「勉強したって言ってたよ」
「……そっかあ」
「黒杉先輩、顔がキモいです」
「うるせえ」
「それだけしゃべれるなら、もうちょいペース上げるよー」
メイサはメガホンを口に当てて、先頭へ飛び出した。
男子五人は息を切らしながら、その背中を必死に追いかける。最後尾では、自転車に乗った愛香が遅れがちな翔を励まし、ときにはメイサが飛ばしすぎると声をかけてペースを調節していた。
そんな様子を、サッカー部の男子たちはのんびりと見守っていた。
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