育てると聞く
翌日から、麗華は翠微の能力の検証を始めた。
朝露が畑の苗を濡らし、冬が近い空気の中に土の匂いが立ち昇っていた。麗華は夜のうちに準備を済ませていた。
修行場の畑を六つに区切り、それぞれ異なる条件を整えた。水分の多い区画、乾燥した区画、養分を多く含む土壌、痩せた土壌、霊脈の流れが太い場所、細い場所。
「翠微。一つずつ回って、何が聞こえるか教えなさい」
「はい」
翠微は素直に頷いた。最初の区画——水分の多い土壌——に膝をつき、両手を土に当てる。指先が翡翠色に光った。
「……満足してます。ぷくぷくって。水がいっぱいで嬉しいみたい」
麗華は帳面に記録する。次の区画へ。
「こっちは——苦しそうです。ひりひりって。水が足りない」
三つ目。
「この子たちは元気ですけど、なんか……偏ってます。右と左で声が違う」
「どう違う」
「右は満足してるけど、左は鉄が足りないって——あ、鉄って言っちゃったけど、正確には分かんないです。何か硬いものが欲しいっていう感じ」
麗華はその区画の土を採取し、指で揉んだ。確かに、左側の土は色味がわずかに薄い。鉄分の含有量が異なる可能性がある。
(的中している)
四つ目の区画——霊脈の流れが太い場所。
「わ。ここすごいです。穀物がみんな歌ってる。ふわーっとあったかくて、気持ちよさそう」
「歌っている?」
「はい。なんていうか……合唱みたいな。みんなで同じ方向を向いてる感じ」
五つ目——霊脈の流れが細い場所。
「ここは静かです。眠ってるみたい。力が弱いから、穀物もぼんやりしてる」
六つ目——養分を多く含む土壌。
「ここの穀物は——怒ってます」
「怒っている? 養分は十分なはずだが」
「養分はいっぱいあるけど、水が少なくて吸えないって怒ってます。ごはんは目の前にあるのに箸がないみたいな」
麗華は思わず筆を止めた。
(この子の表現は感覚的だが——的確だ)
養分過多の土壌では、浸透圧の関係で根が水を吸いにくくなる。教科書的な知識としては知っていたが、翠微はそれを「ごはんはあるのに箸がない」と表現した。穀物の「声」を通じて、土壌の状態を直感的に理解している。
検証結果を並べた。
翠微の感知は六つの区画すべてで正確だった。しかも麗華が判断に時間をかける内容を、翠微は一瞬で「聞いて」いる。
「先生、どうでしたか」
翠微が不安そうに訊ねた。麗華は帳面を閉じ、翠微の方を向いた。
麗華は帳面を閉じ、検証結果の全体を頭の中で反芻した。六区画、全て的中。しかも麗華が分析に時間を要する情報を、翠微は触れた瞬間に「聞いて」いる。
「翠微。お前の能力は——私のものとは系統が違う」
「系統?」
「私の地養術は、霊脈の力を穀物に注ぐ——『育てる』力だ。だがお前がやっていることは、穀物や土壌の状態を直接感知する——『聞く』力だ」
麗華は地面に指で二つの円を描いた。
「同じ地養術でも、二つの系統が存在する。育てる力と、聞く力。鳳家の秘伝書には『育てる』しか記載されていない。お前の『聞く』力は——秘伝書の範疇を超えている」
翠微が目を見開いた。
「あたしの力って、そんなに変なんですか」
「変ではない。貴重だ」
麗華は立ち上がり、空を見上げた。薄い雲が流れている。
「考えてもみろ。穀物が何を求めているかを正確に知ることができれば——無駄な水遣りも、過剰な施肥もなくなる。水が欲しい畑には水を、養分が足りない畑には養分を、的確に届けられる。地養術に頼らずとも、収穫量を上げられるかもしれない」
「えっ。それってすごいことじゃないですか」
「すごいことだ」
翠微の瞳が輝いた。それから、すぐに曇った。
「でも先生。あたし、育てる力はまだ全然で——先生みたいに穀物に力を注ぐのは、上手くできないです」
「それでいい」
麗華は穏やかに言った。
「お前は育てることだけを目指さなくていい。聞く力を伸ばしなさい。私が育て、お前が聞く——二人でやれば、一人ではできないことができる」
翠微が顔を上げた。目に涙が浮かんでいる。
「あたし……役に立てますか」
「もう立っている」
翠微が袖で涙を拭いた。「はいっ」と声が裏返った。
修行場の片隅に座って検証を見守っていた暁風が、腕を組んだまま小さく頷いた。
昼になり、修行を切り上げた三人は麗華の居室に戻った。麗華が朝のうちに仕込んでおいた粟粥を温め直し、漬物と蒸した卵を添えて卓に並べる。粟粥は弱火でじっくり煮込んであり、粒がとろりと崩れて自然な甘みを出している。蒸し卵はつるりとした口当たりで、胡麻油の香りが仄かに漂う。漬物は大根と蕪の塩漬け。歯触りが良く、粥の甘さに塩気が心地よく寄り添う。
「今日の検証、面白かったな」
暁風が粥を啜りながら言った。
「あの子の能力は実戦で使える。農地の管理が劇的に変わるぞ」
「ええ。ただ——」
麗華は匙を止めた。
「秘伝書に記載がない能力だということは、鳳家がどこかの時点でこの系統を——切り捨てた、あるいは忘れた可能性がある」
「忘れる理由があったのか」
「わからない」
粟粥の湯気が、二人の間にゆらゆらと立ちのぼった。穀物の甘い香りが部屋に満ちている。
「祖父様なら何かご存じかもしれない」
麗華は匙で粥をかき混ぜた。粟の粒が崩れ、とろりとした粥になる。鳳凰領の粟は地養の恩恵で甘みが強く、砂糖を加えなくても自然な甘さがある。
(鳳家の秘伝書に書かれていない能力——鳳家が『閉じた』ことで、失われた知識があるのではないか)
翠微の力は、閉じられた扉の向こうにあるものを示している。
だが、その扉を開けるべきかどうか——答えはまだ、出なかった。
粟粥の最後の一口を飲み干し、麗華は空の椀を卓に置いた。穀物の甘い余韻が舌に残っている。この味を生み出す秘伝は、鳳家の柱だ。だが柱に寄りかかり続ければ、いつか柱は折れる。




