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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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枯れた畑

 翠微が穀物を枯らしたのは、修行を始めて七日目のことだった。


 その日は初めて、翠微が自分の力で穀物に霊脈の力を注ぐ実技だった。修行用の畑の一区画。麗華が植えた稲の苗が、青々と並んでいる。朝露がまだ葉の先に残り、朝日を受けてきらきらと光っていた。


「いいわ。やってみなさい」


「はい!」


 翠微は気合が入りすぎていた。これまで一週間、瞑想と観察を続けてきた。霊脈に触れる感覚も掴み、麗華の力の「音」を聞くこともできるようになった。今日こそ、自分の力で穀物を育てる。


 両手を土に当て、目を閉じた。霊脈の流れに意識を向ける。温かな川のような流れが、指先に伝わってくる。いつもの感覚。だが今日はここから先——力を注ぐのだ。


(ここ——穀物の根がある場所。音が集まるところ)


 翠微は力を込めた。


 込めすぎた。


 指先から翡翠色の光が噴き出した。昨日までの穏やかな光ではない。奔流のような力が、制御を失って穀物の根に流れ込んだ。まるで細い水路に大水を流し込んだようなものだった。根が耐えきれずに——


 苗が萎れた。


 まるで水をかけ忘れて何日も経った苗のように、一瞬で葉が巻き、茎が傾き、穂先が枯れた色に変わった。青々としていた葉がくるくると巻き、茶色く変色し、力なく地面に倒れていく。一本、二本、三本——区画の全ての苗が、連鎖するように枯れていった。


「——あ」


 翠微の手が止まった。目の前の一区画の苗が、すべて枯れている。さっきまで青々としていた稲が、茶色く萎んで横倒しになっていた。静かだった。風が枯れた葉を揺らす乾いた音だけが、畑に響いていた。


「ご、ごめんなさい……」


 翠微の声が震えた。目に涙が浮かび、下唇を噛んでいる。


「先生、ごめんなさい。あたし——力の加減が分からなくて——穀物が、死んじゃった——」


 手が土の上で震えている。自分の力で穀物を育てるはずが、殺してしまった。鳳凰領の、大切な食糧を。声を聞くことができる穀物を、自分の手で。


 翠微の震える手が、枯れた苗の茎に触れた。もう何の音も聞こえない。さっきまで歌っていた穀物が、黙ってしまった。


「翠微」


 麗華の声は穏やかだった。叱責の気配がない。


「泣くな。よく見なさい」


 麗華が枯れた苗の傍にしゃがんだ。枯れた葉を指で触れ、土の状態を確かめている。指先を土に差し込み、霊脈の残留状態を読み取った。


「力を入れすぎた。穀物の根が受け止められる以上の力を、一度に注いでしまった。風船に空気を入れすぎたようなものよ。穀物にも受容の限界がある。お前の力は——その限界を遥かに超えていた」


「でも——枯れちゃいました。せっかくの苗が——大事なお米が——」


「翠微」


 麗華が翠微の目を見た。琥珀色の瞳が、秋の光を受けて金色に光っている。


「わたくしも、初めて術を使った日に祖父の大切な蘭を枯らしたわ」


「……先生が?」


「ええ。祖父が何十年も大切に育てていた蘭よ。白い花が咲く見事な鉢で、祖父は毎朝それを眺めて茶を飲んでいた。わたくしが力を入れすぎて——一瞬で枯れた。花弁が萎れ、茎が折れ、根が焦げたように黒くなった」


 翠微が目を丸くした。


「祖父は怒ったと思う?」


「怒った……んじゃないですか?」


「笑ったのよ」


 麗華の目元がわずかに緩んだ。遠い記憶を辿る表情だった。六歳の自分が、枯れた蘭の前で泣いていた。祖父が大きな手で頭を撫でて——


「『やったな、麗華。お前に力があることが分かった。枯らせるのは、育てる力がある証拠じゃ』と。そう言って笑ったわ。そのあと、ちゃんとお説教はされたけれど。『蘭はもう一鉢ある。人はやり直せる。だが次は加減しろ』と」


 翠微の唇が震えた。涙を堪えようとして、堪えきれずにぽろぽろと零れた。鼻を啜る音が、静かな畑に小さく響いた。


「枯らしたということは、力があるということよ。力がなければ穀物に何の影響も与えられない。お前の力は——強いの。だから制御を覚えなければならない」


「はい……はい」


 翠微が袖で涙を拭った。目が赤く、鼻が詰まって声が籠もっている。


「もう一度やらせてください」


「ダメよ」


「えっ」


「明日だ。今日は休みなさい」


 翠微が不服そうな顔をした。すぐにやり直したい。失敗を取り返したい。その気持ちは分かる。麗華も六歳のとき、全く同じことを祖父に言った。「もう一度やりたい」と。祖父は「明日じゃ」と言って、蓮子粥を出してくれた。


「疲れた体で術を使えば、また同じことの繰り返しよ。休むのも修行のうち」


「……はい」


 翠微がしょんぼりと立ち上がった。枯れた苗に目を落とし、「ごめんね」と小さく呟いてから、畦道を歩き始めた。三つ編みが揺れ、うなだれた肩が小さく見えた。


「翠微」


 麗華が声をかけた。翠微が振り返る。赤い目と、涙の跡が残った頬。


「おいで。甘いものがあるから」


 麗華は翠微を台所に連れていった。朝のうちに作っておいた桂花糕けいかこう——桂花の花を練り込んだ蒸し菓子だ。竹の蒸籠から取り出し、小皿に盛った。


 白い菓子の中に、金色の桂花の花弁が散りばめられている。ほのかに甘い香りが立つ。蒸籠の蓋を開けた瞬間、桂花の華やかな香りが台所いっぱいに広がった。


「失敗した日は甘いものに限る。これもわたくしの師匠——祖父の流儀よ」


 翠微が桂花糕を一口かじった。


 柔らかい。もちっとした食感の中に桂花の花の香りが広がり、控えめな甘さが舌を包む。蒸したてのほんのりとした温かさが、泣いた後の喉を優しく通っていく。甘さが胃に届き、冷えた体が内側からほどけていく。


「美味しい……」


「そう。よかった」


「先生」


「何?」


「明日も来ていいですか」


「当たり前でしょう。朝食を用意して待っているわ」


 翠微がまた泣きそうな顔をした。だが今度の涙は、悔しさではなく——別の感情だった。認めてもらえることの、温かさ。


 翠微が帰った後、麗華は修行用の畑に戻った。


 枯れた苗を見つめた。一区画の稲が全滅している。小さな区画だが、収穫すれば数人分の食糧にはなったはずの苗だ。


(これが力の暴走——制御を誤れば)


 枯れた茎を指先で触れた。乾ききった繊維が、ぱりぱりと崩れる。穀物の死。力が強すぎれば、育てるはずのものを殺す。


 翠微の力は——麗華が教えてきた「育てる」力とは違う何かを含んでいる。その「何か」が暴走すれば、一区画の苗では済まないかもしれない。修行用の畑で収まったのは幸いだった。だが翠微の力が成長し、制御できないまま大きくなれば——


(制御の方法を、わたくし自身が学ばなければ)


 翠微の力は、鳳家の秘伝書にはない。教え方の手本もない。麗華が自分で考え、翠微に合った制御法を編み出すしかない。


 枯れた畑を前に、麗華は腰を下ろした。秋の夕日が畑を照らし、枯れた苗の影が長く伸びている。


(祖父様の蘭を枯らしたあの日、祖父様は笑ってくれた)


(わたくしも——翠微に、そうしてやれただろうか)


 桂花糕の甘い香りが、まだ指先に残っていた。


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