不器用な師
地養術の実技指導が始まった。
修行用の畑——麗華が翠微のために用意した小さな区画で、麗華は穀物の前に膝をつき、両手を土に当てた。土は朝の冷気を含んで冷たかったが、指先を沈めると、その奥から霊脈の温もりが伝わってくる。
「よく見ていなさい。霊脈の力を穀物の根に注ぐ。こう——力を、根に向かって、流すの」
指先が淡緑色に光り、力が土に染み入った。穀物の茎が微かに揺れ、穂先の色が一段鮮やかになる。力が根に届き、根から茎へ、茎から穂先へと伝わっていく。
「こんなふうに——感覚で、根の位置を掴んで、そこに向かって力を送る。分かる?」
翠微が首を傾げた。
「先生……もう少し具体的に教えてもらえませんか」
「具体的?」
「『こう』って言われても、その『こう』が分からなくて。力をどっちに向ければいいんですか? どのくらいの強さで? 手のどの部分から出すんですか?」
麗華は口を開きかけ、閉じた。
困っていた。
地養術は幼い頃から祖父に教わり、体に染み込ませてきた。呼吸のように自然な動作だ。だから「どうやっているか」を言葉にするのが難しい。歩き方を説明しろと言われているような気分だった。右足を上げて前に出し、次に左足を——そんな説明では誰も歩けるようにならない。
「えっと……力を、穀物の根に向かって……やるのです。感覚的に。根の位置を掴んだら、そこへ意識を集中させて——」
「先生、それさっきと同じです」
「……わかっているわ」
麗華の眉間に皺が寄った。翠微が困った顔をし、麗華も困った顔をしている。師弟そろって困っていた。秋の陽が修行用の畑に差し込み、二人の困惑した顔を平等に照らしている。
「おう、やってるな」
声が後ろからした。振り返ると、暁風が畑の畦道に立っていた。腕を組み、にやりと笑っている。肩に巡回用の弓を担ぎ、足元に泥がついている。巡回のついでに寄ったのだろう。
「見学しに来たのですか」
「巡回の途中だ。ついでに覗いた」
暁風が畦道を歩いてきて、二人の様子を見た。翠微が「暁風どの!」と嬉しそうに手を振り、暁風が軽く手を上げて応える。
「上手い者ほど教えるのが下手だな」
麗華の目が細くなった。
「何ですって?」
「剣術の師範でもよくある話だ。自分で剣を振るのは天才的なのに、弟子に教えるとなると『こうだ』しか言えない。感覚でやってきた者は、感覚を言葉に変換できない。禁軍の教練でも、一番強い奴が一番教えるのが下手だった」
「……うるさいですね」
麗華がむくれた。暁風はそれを見て、堂々と笑った。声を立てて笑う暁風は珍しい。いつもの堅い表情が崩れ、口の端が上がって白い歯が見えている。
「怒るな。事実だろう」
「事実でも——言い方というものがあるでしょう。人の教え方に口を出すなら、あなたが代わりに教えてみなさい」
「地養術は使えんが、教え方なら助言はできる」
翠微が二人の間でおろおろしている。師匠と将軍が言い合いを始めた。いや、言い合いというほど激しくはない。暁風が軽口を叩き、麗華が不機嫌になる——だがその不機嫌には、本気の怒りがない。むしろ、麗華の唇の端がわずかに上がっているのを、翠微は見逃さなかった。
「だがな」
暁風が腕組みを解いた。表情が少し真面目になった。
「俺も新兵に剣を教えたことがある。上手い者が下手に教えるコツは一つだ」
「何ですか」
「やって見せて、相手の言葉で語らせる。自分の感覚を押し付けるのではなく、相手がどう感じたかを聞く。剣を振らせて、新兵に『今、どう感じた? 手にどう伝わった?』と聞く。そうすると新兵が自分の言葉で感覚を掴み始める」
麗華は一瞬、言葉を失った。
暁風の助言は的確だった。麗華は自分の「根」の感覚で教えようとしていた。だが翠微の感覚は「流れ」であり「音」だ。麗華の言葉では翠微に伝わらない。翠微には翠微の感覚がある。それを引き出すのが師の役目だ。
(この子の耳で聞かせればいい)
「暁風——それは、いい助言ですね」
「おう」
「素直に褒めたの、初めてかもしれませんね」
「……そうか」
暁風が少し照れたように目を逸らした。耳の先がわずかに赤い。
麗華は翠微に向き直った。
「翠微。わたくしがもう一度やるから、今度はお前の耳で聞いてみなさい。わたくしの力が土に入っていくとき、何が聞こえるか教えて」
「はい!」
麗華が再び土に手を当て、地養術を施した。淡緑の光が指先から土に染み込んでいく。丁寧に、ゆっくりと。
翠微は目を閉じ、耳を澄ませた。
「……あ。聞こえます。先生の力が——音を立ててます。しゅう、って。水が砂に染みるみたいな音です。それが根っこの方に向かって……細い線みたいに伸びていく」
「そう。その音がする場所が、穀物の根のある位置よ」
「音が集まるところ……ここだ!」
翠微が地面の一点を指さした。正確だった。穀物の根が最も密集している場所。麗華の「根」の感覚で確認しても、翠微の指さした位置は正しい。
「よくできたわ」
「先生! 聞こえました! 先生の力の音が!」
暁風が畦道から二人を見ていた。麗華が振り返ると、暁風が軽く手を上げた。
「差し入れだ」
暁風が風呂敷を広げた。中から肉まんが五つ出てきた。湯気が立っている。領民の食堂で買ってきたものだろう。白い皮がふっくらと膨らみ、継ぎ目から肉汁が微かに染み出している。
「将軍殿の差し入れは量だけは立派ですね」
「味にも文句はないだろう」
「そうですね。文句は申しません」
三人で肉まんを頬張った。修行用の畑の畦道に座り、秋の陽を浴びながら。翠微が「美味しい!」と頬を膨らませ、暁風が黙々と食べ、麗華が小さく一口ずつ齧る。肉まんの皮は厚めで、もちもちとした食感。中の肉餡は豚の挽肉に葱と生姜が利いて、噛むと肉汁がじゅわりと溢れた。
「先生」
翠微が肉まんを飲み込んでから言った。
「さっきのやり方、分かりやすかったです。先生がやって、あたしが聞く。そのほうが、言葉で説明されるより分かります」
「そう。それはよかったわ」
麗華は肉まんの最後の一口を噛んだ。
(教えること自体が、わたくしの術への理解を深めている)
翠微に教えるために、自分の感覚を客観視する必要が生まれた。「根」として感じてきたものを、言葉に変換し、翠微の「耳」に合わせて伝え直す。その過程で、麗華自身が地養術を新しい角度から見ることになった。
師もまた、弟子から学ぶ。
暁風が差し入れの風呂敷を畳んでいた。麗華をからかうときの軽口と、翠微に向ける穏やかな目線。鳳凰領の秋の午後に、三人の影が並んでいた。
(……悪くない光景ね)
麗華は思った。口には出さなかったが。




