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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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朝餉と修行

 修行初日の朝は、粟粥の匂いで始まった。


 麗華が台所に立ったのは、夜が白み始めた頃だった。あわを水で研ぎ、大きめの鍋に入れて火にかける。粟粥は弱火でじっくり炊くのが肝要だ。焦げぬように匙で時折かき混ぜながら、粟の粒が柔らかくほぐれるのを待つ。


 傍らでは蒸籠せいろに卵を並べた。殻のまま蒸し、火が通ったら醤油だれに漬ける。卵の醤油煮は翌日のほうが味が染みるのだが、今日は間に合わないから蒸したてを出す。蒸したての卵も悪くない。白身がつるりとして、黄身がまだ半熟に近い。


 干しなつめを粥に散らし、胡麻塩を小皿に盛った。棗の果肉が粥の中でほぐれると、甘みが穀物の味と溶け合って優しい風味になる。


(修行の朝は、体を温めるものから)


 祖父——老太爺に教わった流儀だ。地養術は体力を使う。空腹で臨めば集中が途切れ、術の制御が乱れる。だからまず食べる。しっかりと。そして食べたものの温かさが体の芯に届いてから、初めて霊脈に意識を向ける。


 幼い麗華が修行を始めた朝も、祖父が粟粥を炊いてくれた。あの日の粥には蓮の実と棗が入っていて、祖父が「まず食え。食わぬ者に術は応えぬ」と言った。あの粥の味を、今でも覚えている。


 外から足音がした。軽く、速く、少し慌てた足音。裸足が石畳を蹴る音。


 翠微が息を切らして台所に飛び込んできた。三つ編みが乱れ、頬が走って赤くなっている。


「先生! おはようございます! 遅れませんでした!」


「おはよう。座りなさい」


 翠微は卓の前に正座した。目の前に並んだ朝食を見て、目を丸くした。粟粥の湯気が立ち昇り、蒸し卵が白い皿の上で光り、干し棗の赤い色が粥の中に散っている。胡麻塩の小皿が端に添えられている。


「これ全部……あたしの?」


「そうよ。粟粥に干し棗、蒸した卵、胡麻塩。しっかり食べなさい。空腹では霊脈の声は聞こえない」


「はい! いただきます!」


 翠微は匙を握り、粟粥を一口啜った。


 温かい。粟の優しい甘みが舌に広がり、棗の果肉が柔らかくほどける。胡麻塩を少し振ると、甘さの中に香ばしさが加わる。穀物の味が喉を通り、胃の底にじんわりと沈んでいく。蒸した卵の白身はぷるんとして、黄身はまだ半熟に近い。匙で割ると黄色の黄身がとろりと流れ、粥の中に溶けた。


「美味しい……先生の粥、すっごく美味しいです」


「食べながら喋らない」


「はい」


 翠微が黙々と食べるのを見ながら、麗華も自分の分の粥を啜った。翠微が粥を啜るたびに幸せそうな顔をするのを見て、麗華の口元がわずかに緩んだ。


 同じ卓で師と弟子が粥を啜る。


(祖父様も、わたくしにこうして朝食を出してくれた)


 思い出した。幼い麗華が修行を始めた朝、老太爺が自分で粥を炊いて出してくれたことを。あのとき祖父は、麗華が食べ終わるのを待ってから「さあ行くぞ」と杖を突いて立ち上がった。


 今、同じことを翠微にしている。不思議な循環だった。師から弟子へ。祖父から孫へ。そして孫から、新しい弟子へ。


 朝食を終え、二人は霊脈の露頭に近い畑へ向かった。


 朝霧がまだ残っていた。畑の畝が白い靄の中にぼんやりと浮かび、露頭の岩肌が朝日を受けて湿った光沢を放っている。空気が冷たく、吸い込むと肺の奥まで澄んでいく。足元の草が露に濡れ、歩くたびに靴が濡れた。


「ここで瞑想をするわ」


「瞑想……ですか?」


「地養術の基礎は、霊脈に意識を向けることよ。まず感じることができなければ、何も始まらない。力の使い方は後。まず、大地の存在を知覚すること」


 麗華は翠微の向かいに座った。あぐらをかき、両手を膝の上に置く。


「目を閉じなさい。呼吸を整えて。鼻から吸って、口から吐く。ゆっくり」


 翠微が目を閉じた。


「足の裏に意識を向けて。大地に触れている感覚を探りなさい。大地の温度、硬さ、湿り気。その先に、もっと深いものがある」


 翠微は言われた通りにした。数分が過ぎた。翠微の呼吸が次第に深くなり、表情が少しずつ穏やかになっていく。だが——


「……何も聞こえません」


「焦る必要はないわ。霊脈は逃げない。いつでもそこにある」


 さらに数分。


 翠微の眉間に皺が寄り始めた。集中しようとしすぎて、逆に力が入っている。肩が上がり、呼吸が浅くなっていた。拳が膝の上で白くなっている。


「力を抜きなさい。土の声を聞こうとしなくていい。ただ、そこにいるだけでいいの。聞きに行くのではなく、聞こえてくるのを待つ」


「でも先生、何もしないで座ってるだけじゃ——」


「いいから。座っていなさい」


 翠微がむくれた顔で目を閉じ直した。


 時間が流れた。朝霧が薄れ、陽が高くなり、畑の露が蒸発していく。翠微は何度も姿勢を崩し、欠伸をこらえ、腹の虫が鳴る音に赤面した。麗華は翠微の隣で同じ姿勢を保ち続けた。自分も目を閉じ、霊脈に意識を沈めている。だが意識の半分は、常に翠微に向けていた。


 午後になり、陽が西に傾き始めた頃。


「——あ」


 翠微が小さく声を上げた。


「先生。今——何か温かいものが」


「続けなさい」


「足の裏から……上がってくる感じです。温かくて……大きくて……地面の下に、何かがいる」


 翠微の指先が、微かに——ほんの微かに、緑色の光を帯びた。


 一瞬で消えた。翠微が目を開け、自分の指先を見つめた。


「先生、今の——」


「霊脈に触れた。一瞬だけ」


「触れた……あたしが?」


「ええ。よくやったわ」


 翠微の顔がぱっと輝いた。一日中座り続けた疲労が、一瞬で吹き飛んだような顔だった。


「明日も来なさい」


「はい!」


「朝食を用意しておくから」


 翠微が嬉しそうに頷いた。


 麗華は立ち上がり、膝の土を払った。


(一瞬だが、確かに触れた)


 翠微の素質は本物だ。初日で霊脈に触れるのは——早い。麗華自身、幼少の頃に初めて霊脈に触れたのは修行開始から三日目だった。翠微は初日で到達した。


(この子は——伸びる)


 帰り道、麗華は翠微と並んで畑の畦道を歩いた。夕日が二人の影を長く引いている。


「先生」


「何?」


「明日の朝ごはん、何ですか?」


「……修行の話より食べ物の話が先なの」


「だって、先生の粥、すっごく美味しかったんです。家で食べるのとぜんぜん違いました」


 麗華は——笑った。声を立てずに、ただ口元を緩めて。


 師弟の日課が、こうして始まった。


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