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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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灯りの夜

 収穫祭の前夜祭は、灯籠とともに始まる。


 日が傾き、山の端が紫に染まる頃から、鳳凰領の空気が変わった。炊飯の匂いに焼き菓子の甘い香りが混じり、どこかで笛の音色が響き始めている。


 日暮れとともに鳳凰領の街路に無数の灯籠が灯された。竹の骨に紙を張った素朴な灯籠から、絹に鳳凰の紋様を描いた華やかなものまで。川沿いの柳の枝に吊るされ、軒先に掲げられ、子供の手にも一つずつ。灯籠の炎が川面に映り、橙色の光が水面で揺らめいて、鳳凰領の夜が温かな色に染まっていく。


 風が吹くたびに灯籠が揺れ、光の波紋が街路に広がった。どこからか笛の音が聞こえ、太鼓が低く鳴り始めている。


 麗華は屋台通りを歩いていた。いつもの藍染めの袍ではなく、祭りらしく深紅の上衣に金糸の帯を締めている。鳳家の当主として祭りの開幕を宣した後は、領民と同じように祭りを楽しむのが鳳凰領の習わしだ。髪はいつもより丁寧に結い上げ、銀の簪に小さな翡翠の飾りを添えている。


 隣には暁風がいた。灰白の袍に革帯という普段の格好だが、襟元だけがいつもより丁寧に整えられている。春蘭に「祭りくらい身なりを気にしなさい」と言われたのだろう。


 少し後ろを春蘭と翠微が歩いていた。春蘭は紺の袍に淡い花模様の帯を締め、翠微は母に借りたらしい祭り着を着て目を輝かせている。祭り着は少し大きくて袖が余っているが、翠微は気にしていない。


「帝都の祭りより賑やかだな」


 暁風が屋台の並ぶ通りを見渡して呟いた。


「帝都の祭りは宮廷の行事でしょう。民が見上げるだけの。華やかではあっても、民の手が届く場所にはない。ここは違います。民が自分たちのために祝うから、賑やかなのです」


「なるほどな」


 屋台から甘い匂いが漂ってきた。糖葫蘆タンフールー——山査子さんざしの実を飴で絡めた串刺し菓子だ。赤い実が飴で覆われ、灯籠の光を受けて宝石のように輝いている。屋台の主人が竹串を回しながら飴をかけ、手際よく並べていく。


 暁風の視線がそちらに吸い寄せられるのを、麗華は見逃さなかった。禁軍随一の将軍の目が、一瞬だけ子供のように光った。飴の艶やかな輝きに見入っている横顔が、普段の堅い表情からは想像もつかないほど無防備だった。


「召し上がりますか?」


「いや、別に——」


「二本ください」


 麗華が屋台の主人に声をかけた。暁風が「勝手に買うな」と言いかけたが、麗華はすでに銅銭を渡していた。


 糖葫蘆を一本、暁風に差し出す。暁風が受け取り、無造作にかじった。


 飴がぱりっと砕けた。中から山査子の酸味と甘みが口に広がる。酸っぱくて甘い。飴の硬さと果肉の柔らかさが交互に舌を刺激する。暁風の表情が一瞬、ほどけた。堅い武人の顔が、ほんの一瞬だけ無防備になった。


「……旨い」


「でしょう」


 麗華も自分の分を一つ齧った。甘酸っぱい。祭りの夜にふさわしい味だ。飴の甘さが口に残り、山査子の酸味がそれを追いかける。子供の頃、祖父に連れられて祭りに来た記憶が一瞬だけ蘇った。


 二人は屋台を巡った。焼き餅、肉包子にくぱおず、甘酒。暁風は次々に手を伸ばし、武人の体力にものを言わせて食べ続けた。焼き餅を二つ、肉包子を三つ、甘酒を一杯。麗華がまだ糖葫蘆の二つ目を齧っている間に、暁風は屋台の半分を制覇しかけていた。


「そんなに食べて大丈夫ですか。お腹を壊しますよ」


「軍の糧食に比べれば、何を食っても旨い」


「褒めているのか腐しているのか分かりませんね」


 後ろから翠微の声が飛んできた。


「先生! 先生、あっちに焼き栗の屋台がある! 行ってもいいですか!?」


「春蘭、翠微を見ていてあげて」


「かしこまりました。翠微、走らないの」


「はーい!」


 翠微が春蘭の手を引いて走り去った。祭りの夜に興奮する少女と、それを苦笑しながら追いかける侍女頭。灯籠の光の中に二人の姿が溶けていく。春蘭の「走らないと言ったでしょう」という声が遠くから聞こえた。


 気がつけば、麗華と暁風は二人きりだった。


 屋台通りの人混みの中で、二人は並んで歩いた。灯籠の灯りが麗華の深紅の衣を照らし、暁風の顔に柔らかな影を落としている。周囲の領民たちは祭りに夢中で、二人のことを気にしている者はいない。


「この領地は」


 暁風が呟いた。


「何ですか」


「いい場所だ」


 それだけだった。暁風は不器用な男だ。言葉が足りない。だが「いい場所だ」の四文字に込められたものが、麗華には分かった。


 皇帝の命で監視役として来た場所。最初は「危険な反逆者の本拠地」だと思っていた場所。それが今、「いい場所だ」と。


「……そうですね。いい場所です」


 通りの先で、灯籠が一斉に夜空に放たれた。


 竹と紙で作られた天灯てんとうが、一つ、二つ、十、二十——数えきれないほどの灯りが、ゆっくりと夜空に昇っていく。橙色の光が星のように散らばり、漆黒の空を温かく彩った。領民たちが歓声を上げ、子供が手を振り、老人が目を細めている。


 麗華と暁風は立ち止まり、並んで空を見上げた。


 灯籠の光が暁風の横顔を照らしていた。いつもの堅い表情がほどけ、黒い瞳に橙色の灯りが映っている。唇の端が、わずかに上がっていた。


 麗華はその横顔を見つめた。


(——何を見ているの、わたくし)


 視線に気づいて慌てて目を逸らした。灯籠の光が頬を染めているのが、祭りの熱気のせいだと自分に言い聞かせた。


「綺麗だな」


 暁風が空を見ながら言った。


「灯籠が、ですか」


「ああ。灯籠が」


 それ以上は言わなかった。だが暁風の視線が、空から横へ——麗華のほうへ一瞬だけ動いたのを、麗華の鳳眼は見逃さなかった。


(——今、こっちを見た)


(いいえ、気のせいよ。灯籠を見ていただけ)


 灯籠が夜空を昇っていく。橙色の光が星空に散らばり、鳳凰領の空を埋め尽くした。領民の歓声と笛の音色と太鼓の響きが、夜空に溶けていく。


 鳳凰領の収穫祭の、穏やかで温かな夜だった。どこかの屋台で焼き栗の殻が弾ける音がして、甘い香りが風に乗って二人のもとに届いた。


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