朝廷を待たない
鳳凰領の議事堂は、もとは鳳家の穀倉を改築したものだ。
高い梁の天井に、壁一面の窓。朝の光が幅広の板張りの床を照らし、集まった領民の顔を明るく映している。農夫、職人、商人、老若男女——鳳凰領を支える者たちが、長卓を囲んで座っていた。
五十人は下らない。領民代表だけでなく、噂を聞きつけた一般の農夫や職人も詰めかけていた。朝廷の使節が帰った後、鳳凰領には不安と期待が入り混じった空気が漂っていた。朝廷との交渉は決裂した——つまり、自分たちの行く末は自分たちで決めなければならない。
鳳麗華は壇上に立った。
藍染めの交領袍に深紅の腰帯。廃妃の装いではない。鳳凰領の主としての姿だ。背筋を正し、集まった顔を一つ一つ見渡した。農夫たちの日焼けした顔。職人の節くれ立った手。商人の鋭い目。子供を背負った女。——この人たちが、鳳凰領だ。
「皆様にご報告があります」
静かに、しかしよく通る声だった。
「先日、朝廷からの使節がお帰りになりました。朝廷は廃妃の不当性を認め、謝罪と復位を提案してくださいました。——わたくしは、復位をお断りしました」
ざわめきが広がった。椅子が軋み、隣同士で顔を見合わせる音がする。
「復位を断ったということは、朝廷との関係は——」
農夫の代表格である陳伯が立ち上がった。六十を超えた古参の農夫で、鳳凰領の畑を知り尽くした男だ。日に焼けた顔に刻まれた皺が、長年の農作業の証だった。
「はい。朝廷とは条件を出して交渉を続けます。しかし、結果を待つだけでは何も変わりません」
麗華は一歩前に出た。
「わたくしは今日、鳳凰領の農業改革五年計画を発表します」
春蘭が壇上に帳面を広げた。麗華が描いた図表が並んでいる。区画の配置図、水路の設計概要、穀物の品種一覧。後宮の三年間で培った事務処理能力が、ここに活きていた。
「三本の柱があります。第一に、灌漑の改良。新しい水路を引き、地養術に頼らずとも水が行き渡る仕組みを作ります」
指を一本立てた。
「第二に、品種の改良。鳳凰領の気候と土壌に最も適した穀物を選び抜き、収穫量を二割増やします」
二本目の指。
「第三に——」
麗華は指を三本立てた。
「商業路の拡充。鳳凰領の穀物を原料とした加工品を開発し、民間の市場に直接売り出します。穀物を朝廷に納めるだけの時代は終わりです」
領民たちは互いに顔を見合わせた。期待と不安が入り混じった空気だった。若い農夫は身を乗り出し、年配の者は腕を組んで黙っている。
「お嬢様」
陳伯が口を開いた。皺の深い顔に困惑がある。
「朝廷なしで、本当にやっていけるのでしょうか。百年の間、鳳凰領はずっと朝廷の下で——」
「百年の間、この領地が朝廷を食べさせてきたのです」
麗華の声に、静かな力がこもった。
「逆ではありません。わたくしたちが朝廷を支えてきた。この国の穀物の七割は、この土地で採れたもの。ならば、わたくしたちが自分の足で立てないはずがないでしょう」
陳伯は口を閉じた。周りの農夫たちも黙った。反論ではなく、納得の沈黙だった。
麗華は壇を降り、領民の席に歩み寄った。
「この領地には食がある。食がある限り、人は立てます。——共に参りましょう」
領民たちの間に、静かに頷きが広がった。全員が立ち上がるわけではない。不安を残した顔もある。だがそれでいい。一歩ずつ進むのだ。信頼は結果で示す。
宣言を終えた後、麗華は領民と共に食堂へ向かった。
鳳家屋敷の大食堂——と言っても、長卓を並べただけの質素な広間だ。壁には薄い煤の跡があり、天井の梁からは干し草の匂いがする。窓から差し込む昼の光が、木の卓の上に温かな四角を描いていた。
膳に並んだのは、粟飯と青菜の炒め物。蕪の漬物に、葱と豆腐の汁物。
質素だ。だが一つ一つが丁寧に作られていた。粟飯はふっくらと炊き上がり、噛むと穀物の甘みがじわりと広がる。鳳凰領の粟は地養の力を受けているから、他の土地の粟とは味の深さが違う。粒が立ち、舌の上で弾ける甘みには余韻がある。
青菜は塩と油だけで炒めてあるのに、葉の苦みと茎の歯触りが心地よい。鳳凰領の野菜は、そのまま食べても味が濃い。蕪の漬物は歯ごたえが良く、塩加減が絶妙だった。汁物は葱の甘みが出汁に溶け、豆腐がふるふると揺れている。
麗華は領民と同じ席に座り、同じ膳を食べた。
(食の国を標榜する者が、自分で食べなくてどうするの)
粟飯を一口。甘い。この甘さを守るために、すべてを賭ける。
隣の席で陳伯が黙って粟飯を食べていた。箸を置き、麗華を見た。
「お嬢様。さっきの話——本気ですな」
「ええ」
「なら、わしら老いぼれも鍬を握りますよ。水路の工事、人手がいるでしょう」
「ありがたいわ、陳伯」
麗華は微笑んだ。
領民の一人一人が、この食卓を通じて繋がっている。同じ飯を食べ、同じ席に座る。それだけで、言葉よりも深い信頼が生まれる。
「お嬢様」
春蘭が隣に座り、小声で耳打ちした。
「帝都の備蓄は残り三ヶ月を切りました。宰相府では緊急会議が続いているそうです」
「そう。——でも、こちらから動く必要はないわ」
麗華は箸を動かしながら、穏やかに答えた。
「朝廷が困っているのは自業自得。わたくしたちは自分の領地を豊かにすることだけ考えましょう」
汁物を一口啜った。葱の甘みが口に広がる。温かい。この温かさを、領民全員に届けたい。
「待つのはやめましょう、春蘭」
麗華の琥珀色の瞳に、朝廷への怒りではなく、静かな覚悟が宿っていた。
「これからは——自分たちの手で、作る」
その言葉は春蘭にだけ向けられたものではなかった。食堂の空気を通じて、領民の耳にも届いていた。粟飯を食べる手が止まり、何人かが顔を上げた。
鳳凰領の新しい朝が、始まろうとしていた。
窓の外で、秋風が稲穂を揺らしていた。黄金色の波が、午後の陽光にきらきらと光る。この豊かさは——自分たちの手で、守るものだ。




