三品目——麗華の要求
三品目の料理が運ばれてきた。
紅焼肉。
厚切りの豚の三枚肉を、醤油、氷砂糖、紹興酒、八角、桂皮でとろ火に煮込んだもの。煮込みに三刻はかけたであろう肉は、箸を当てるだけで崩れるほど柔らかい。脂身は煮込みの中で透き通り、赤身は飴色の照りを帯びている。皿に添えられた煮卵は、黄身の中心にまで甘辛い煮汁が染みて、切ると断面が美しい褐色のグラデーションを描く。
八角の甘い香りと桂皮の芳ばしさが、交渉の間に漂った。
「三品目です」
麗華は自ら箸で紅焼肉を一切れ取り、碗に載せた白飯の上に置いた。煮汁が飯に染み、白い米粒が琥珀色に染まっていく。
「——では、私の望みを申し上げます」
張文遠の背筋が伸びた。周鶴齢は箸を置き、正座を正した。暁風は後方で腕を組んだまま、微動だにしない。
「条件は三つです」
麗華は紅焼肉を一口食べた。脂が舌の上で溶け、八角の香りと醤油の旨みが広がる。飲み込んでから、指を一つ立てた。
「一つ目。鳳凰領の自治権の拡大」
「自治権?」
「現在、鳳凰領は瑛朝の一地方領地として朝廷の監察を受けています。課税、法令、人事——すべてに朝廷の認可が必要。これを改めていただきたい」
「何を——」
「具体的には、鳳凰領内の税制・法令・人事に関する自主裁量権の付与。朝廷の監察は年一回の報告に限定する。つまり——」
麗華は碗の飯を一口食べ、紅焼肉の煮汁とともに咀嚼した。
「実質的な自治です」
張文遠が立ち上がりかけた。だが周鶴齢の横で、かろうじて腰を落とした。
「暴論だ。一地方の領地に自治権を与えるなど——帝国の統治機構が崩壊する」
「崩壊していないのは、鳳凰領の穀物があるからですよ」
麗華は穏やかに返した。
「二つ目」
指を二本立てた。
「廃妃の弾劾に使われた偽証の撤回と、朝廷による公式の謝罪」
交渉の間が、再び凍った。
「謝罪は文書で。朝廷の公文書として発行し、鳳凰領に伝達してください。内容は——偽証によって廃妃が不当に行われたことの認定。それだけです。復位は求めません。ただ——」
麗華の声が、一瞬だけ硬くなった。
「嘘を嘘だと認めていただきたい。それだけです」
周鶴齢は俯いていた。老官吏の顔に、苦渋の色が濃い。
「……三つ目は」
「三つ目。地養術の管理に関する鳳家の独占的権限の保障」
「地養術?」
「鳳凰領の穀物が他の領地と違うのは、地養術があるからです。この術は鳳家の秘伝であり、鳳家のみが保有・管理する。朝廷がこれを強制的に公開させたり、術者を徴用したりしないことを、公式に保障していただきたい」
三つの条件が出揃った。
自治権。謝罪。地養術の保障。
いずれも朝廷にとっては重い。いや——重いどころではない。
張文遠が立ち上がった。今度はこらえなかった。
「到底、受け入れられません」
声が震えている。怒りか、焦りか、あるいはその両方か。
「自治権の付与は帝国の解体に等しい。謝罪は朝廷の過ちを認めることであり、趙宰相の——いや、朝廷の権威を」
「趙宰相の、と仰りかけましたね」
麗華が静かに遮った。
「……」
「いいえ、お気になさらず。失言は誰にでもあります」
麗華は紅焼肉の最後の一切れを取り、碗に置いた。煮汁が白飯にとろりと流れる。
「張侍郎。条件が重いことは承知しています。即答を求めてはおりません」
「当然だ。こんな条件——」
「ご検討ください。肉料理は温かいうちが美味しいですよ」
張文遠は箸を見つめた。紅焼肉は皿の上で艶やかに光っている。八角の甘い香りが鼻をくすぐる。食欲をそそるのは事実だ。だが今、この肉を食べる気にはなれなかった。
周鶴齢は——黙って紅焼肉を一切れ、口に運んだ。
噛みしめた。脂が溶け、肉の繊維がほろりとほどける。甘辛い煮汁が喉を通る。
「……美味い」
呟いた。小さな声だった。感嘆でも賛辞でもない。ただ——事実を認めるしかない人間の、諦めに似た声だった。
「ありがとうございます」
麗華は微笑んだ。
「本日の交渉はここまでにしましょう。三つの条件を帝都にお持ち帰りいただき、朝廷のご回答をお待ちします。お帰りの際には、手土産をご用意しますね」
使節たちが立ち上がり、交渉の間を出ていった。
張文遠は振り返らなかった。背中が硬い。
周鶴齢は一度だけ振り返り、麗華に深く頭を下げた。何も言わなかった。だがその礼は——謝罪に見えた。
使節が去り、交渉の間に麗華と春蘭と暁風だけが残った。
暁風が口を開いた。
「あの条件——通ると思っているのか」
「通らないわ」
麗華は即答した。
「えっ」
暁風が目を瞬いた。
「通らない条件を出したのか」
「通らないからこそ出したのよ」
麗華は紅焼肉の残りを見つめた。使節たちが食べ残した肉が、皿の上で冷めかけている。
「趙宰相はこの条件を蹴る。蹴れば『交渉を壊したのは朝廷だ』という事実が残る。次の交渉では、こちらが主導権を握れる」
暁風は腕を組み、天井を見上げた。
「——政治ってのは、よく分からん」
「分からなくていいのよ、陸将軍。あなたは正直でいてくれればそれでいい」
麗華は立ち上がり、交渉の間を出ようとした。
暁風がぼそりと言った。
「——紅焼肉、うまかった」
麗華は足を止め、振り返った。
「まだ残っていますよ。冷めてしまったけれど——温め直しましょうか」
「いや、いい。冷めたのでいい」
暁風は席に戻り、張文遠が食べ残した紅焼肉を一切れ取って口に運んだ。
冷めた紅焼肉は、脂が固まりかけて歯触りが変わっている。だがそれでも——うまいものはうまかった。
麗華は暁風の食べる姿を少しだけ見て、小さく息を吐いた。
それから背を向け、春蘭とともに交渉の間を後にした。




