二品目——朝廷の本音
休憩は茶一杯分の時間だった。
麗華はその間、自分の茶をゆっくりと飲みながら、使節たちの様子を観察していた。張文遠は部屋の隅で周鶴齢と何かを低い声で話し合い、書記官は筆を走らせて先ほどのやりとりを記録している。
使節が席に戻った。張文遠の顔色は平静を取り繕っていたが、目の奥に焦りが見えた。唇が薄く引き結ばれ、頬骨の下に影が落ちている。周鶴齢は温厚な表情を保ちつつも、眉間に深い皺が刻まれていた。
給仕が新たな皿を運んできた。
清蒸鯉魚。
鳳凰領の清流で獲れた活きの良い鯉を丸ごと一尾、蒸し器で蒸し上げたものだ。白い陶器の長皿に横たわる鯉は、身がふっくらと蒸し上がり、皮がうっすら光を帯びている。その上に白髪葱と生姜の千切りが山のように盛られ、熱した落花生油がジュッと回しかけられた。
油が葱と生姜に触れた瞬間、芳醇な香りが交渉の間に満ちた。
「二品目です。どうぞ」
麗華は箸を取り、鯉の身を上品にほぐした。白い身が箸先で簡単にほぐれ、蒸し汁と葱油が絡む。一口。舌の上で魚の甘みと葱の香りが重なり、生姜の辛味が後味をすっきりと引き締める。
周鶴齢も箸を伸ばした。一口食べ、目を閉じた。
「……この鯉は、川魚とは思えぬ。臭みが全くない」
「鳳凰領の川は霊脈の恩恵で水が清いのです。魚は水の質をそのまま映しますから」
張文遠も箸を動かした。食べないわけにはいかない。魚の身を口に入れた瞬間——うまい、と認めざるを得ない顔をした。だがすぐに表情を引き締め、箸を置いた。
「鳳殿。本題に入りたい」
「ええ。二品目ですから、二つ目の話をしましょう」
麗華は魚の身をもう一口食べてから、箸を置いた。
「先ほどの偽証の件は帝都にお持ち帰りいただくとして——次にお伝えしたいのは、朝廷が私たちに何を望んでいるのか、という点です」
「それは明白だ。官糧の再開です」
「ええ。でも——それだけではないでしょう?」
麗華の視線が張文遠を捉えた。
「官糧の再開だけなら、条件をすり合わせれば済む話です。なのに朝廷は——趙宰相は、交渉使節に正使と副使を分けて送り、副使に別の任務を持たせた」
張文遠の眉がぴくりと動いた。
「別の任務とは何のことか」
「鳳凰領の内情調査です」
麗華は穏やかに言った。周鶴齢が驚いた顔で張文遠を見た。
「張侍郎。巡検のとき、あなたは農地の面積を目測していましたね。水路の幅を歩幅で測り、書記官に数字を記録させていた」
「それは——」
「領兵の数と配置も、城門を入ったときに数えていたでしょう。監視役の陸将軍の動向にも気を配っていた」
暁風が後方で身じろぎした。自分の名前が出たからだ。
「交渉使節が内情調査を兼ねる——これ自体は珍しいことではありません。外交の常套手段です。ですからお咎めするつもりはありません」
麗華は清蒸鯉魚を箸でもう一切れ取り、自分の碗に置いた。
「ただ、一つだけ申し上げたい。朝廷の本音が『官糧の再開』ではなく『鳳凰領の弱点の調査』にあるのなら——この交渉は成立しません」
張文遠の顔が蒼ざめた。
「それは——曲解だ。我々は交渉のために来た」
「では、交渉に必要な権限をお持ちですか?」
静かな問い。張文遠の口が閉じた。
「条件を提示し、朝廷の回答を持ち帰る。それは交渉ではなく、伝書鳩の仕事です。趙宰相が本気で交渉する気があるなら——決定権を持つ使者を送るべきでした」
周鶴齢が口を開きかけ、閉じた。正使である自分にも、実際のところ決定権はない。それを麗華に見透かされていることが、老官吏には痛かった。
「復位と引き換えに官糧の全面再開を。——それが、朝廷の提案ですか?」
張文遠が覚悟を決めたように言った。これは趙文昌から与えられた「交渉カード」だったのだろう。唯一の切り札を出すしかなくなった。
「復位?」
麗華は箸で鯉の身をほぐした。ゆっくりと。一筋ずつ。白い身が箸先で扇のように開いていく。急がない。この沈黙が、相手の緊張を高めることを知っている。
魚の身を一切れ、碗の飯に載せた。蒸し汁が飯に染み、ほのかに香る。
それから——顔を上げた。
「——復位は望みません」
交渉の間が、凍りついた。
張文遠の目が見開かれた。周鶴齢も固まっている。書記官の筆が止まった。
「鳳殿、それは——」
「復位は望みません」
麗華はもう一度、穏やかに繰り返した。
「後宮に戻る気はございません。ここが——鳳凰領が私の居場所です」
鯉の身を一口食べた。魚の甘みが口に広がる。鳳凰領の清流の恵み。この味を知っていれば、後宮の人工的な贅沢がいかに薄いものか、分かるはずだ。
(後宮に戻る? 冗談でしょう。偽証で追い落とした女を呼び戻す? それで官糧が戻ると思っているなら、朝廷は私を随分甘く見ていたものね。——復位など、鎖つきの首輪と同じよ。二度と首を差し出すものですか)
内心の毒舌は、もちろん口には出さない。表情は穏やかな微笑みのまま。
「では——何を望まれるのですか」
周鶴齢が声を絞り出した。正使の手が膝の上で握られている。
「それは——三品目でお話ししましょう」
麗華は微笑んだ。
「魚が冷めてしまいますよ、周大人。どうぞ、召し上がれ」
清蒸鯉魚の残りを、使節たちが黙々と食べた。
うまかった。葱油の香りと魚の甘みは変わらない。だがその味を楽しむ余裕は、もう誰にもなかった。復位という最大の交渉カードが一撃で斬り捨てられた後では、鯉の味など舌の上を素通りしていく。
書記官だけが、筆を走らせながらも魚の骨を丁寧に外して食べていた。若さゆえの食欲か、あるいは——この食事にありつけるのも、今日が最後かもしれないと察しているのか。
暁風は後方に立ったまま、麗華の背中を見つめていた。
(あの女は——最初から、復位を蹴る気だったんだな)
復位を望まない廃妃。朝廷にとって、これほど扱いにくい相手はいない。後宮に戻りたいと言えば、条件をつけて復位させ、再び朝廷の枠の中に取り込める。だが「要りません」と言われてしまえば——朝廷の手札は一枚もない。
(俺の知る限り、あの女が後宮を懐かしがったことは一度もない。ここが居場所だと——本当にそう思っているんだ)
張文遠の箸が、小さく震えていた。




