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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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交渉の席、一品目

 交渉の日が来た。

 朝から厨房は慌ただしかった。麗華れいかが前夜のうちに指示した献立は四品。蒸し物の前菜から始まり、魚料理、肉料理と続く構成だ。厨房の料理人たちは夜明け前から火を焚き、出汁を引き、餡を練り、蒸籠を組んでいた。


 鳳家屋敷の奥にある交渉の間は、普段は使われない部屋だ。壁に掛け軸が二幅——一幅は山水画、もう一幅は麗華の祖父が揮毫した「以食為天」の四文字。窓には薄絹のとばりが垂れ、中央に長い黒檀の卓が据えられている。


 麗華はその卓の上座に座った。今日の装いは、深い藍色の交領袍に銀糸の刺繍が入った腰帯。簡素だが隙のない装い。右手に春蘭しゅんらんが控え、暁風ぎょうふうは麗華の後方に腕を組んで立っている。


 対面に使節が着席する。周鶴齢しゅう・かくれいが正面、張文遠ちょう・ぶんえんがその隣、書記官が端に筆と紙を広げた。


 卓の上には何もなかった。文書も地図も。空の卓。


 張文遠が怪訝な顔をした。交渉の席に書類がないのは異例だ。


「——さて。お忙しい中、ありがとうございます」


 麗華が口を開いた。


「本日の交渉ですが、少し趣向を変えさせてください。堅苦しい議論は息が詰まりますでしょう? 食事をしながらお話ししましょう」


 手を打つと、厨房の扉が開いた。


 給仕の者が盆を運んでくる。湯気の立つ蒸籠せいろが四つ。


 一つ目の蒸籠が開けられた。


 翡翠蝦餃ひすいはーかう


 薄い翡翠色の皮で海老の餡を包んだ蒸し餃子だ。皮は半透明で、中の海老の鮮やかな赤がうっすらと透けている。蒸し上がったばかりの皮はもちもちと弾力があり、蒸籠から立ち昇る湯気に海老と生姜の香りが混じっている。


「まず前菜です。どうぞ」


 麗華は自ら箸で一つ取り、小皿に置いた。使節たちにも一つずつ配られる。


 周鶴齢が蝦餃を口に入れた。皮を噛んだ瞬間、ぷりっとした海老の食感が弾け、生姜と胡麻油の風味が口に広がる。


「うむ——」


 老官吏が目を細めた。


 二つ目の蒸籠。叉焼包ちゃーしゅーぱお。ふわふわの白い皮に甘辛い叉焼餡が包まれ、皮の割れ目から照りのある餡がのぞいている。


 三つ目。焼売しゅうまい。豚の粗挽き肉と海老の刻みを混ぜた餡を、黄色い薄皮で包んで蒸したもの。頂に枸杞くこの実が一粒、赤く乗っている。


 四つ目。春巻はるまき。筍と椎茸と豚肉の細切りを薄い皮で巻き、油で揚げたもの。皮はぱりぱりに軽く、中の餡は熱々で汁気がある。


 前菜が並んだところで、麗華は茶を啜り、卓に杯を置いた。


「では——本題に入りましょう」


 声の調子が変わった。穏やかさは残しているが、芯に鋼が入った。


「官糧の再開について、いくつかの前提条件を申し上げます」


 張文遠の目が鋭くなった。


「前提条件、とは」


「ええ。まず一つ目——」


 麗華は翡翠蝦餃を一つ取り、口に運んだ。ゆっくりと咀嚼し、飲み込んでから言った。


「官糧の再開を議論する前提として、廃妃の経緯に関する事実認定を求めます」


「事実認定?」


「私が廃妃にされた理由は、蘇家と宰相府が提出した偽証です。その偽証が事実であったのか否か——朝廷が公式に見解を示していただきたい」


 卓の上が、一瞬凍った。


 張文遠の顔が強張った。偽証の件に触れるとは予想していなかったのだ。


「鳳殿。それは——交渉の議題としては」


「前提です。議題ではありません」


 麗華は涼しい顔だった。


「偽証で追い落とされた人間に、穀物を届けろと言うのでしょう? ならばまず、その偽証がどういう性質のものだったのか——朝廷の見解を聞く権利があると思いますが」


 周鶴齢が顔を曇らせた。正使は偽証の詳細を知らないのだ。趙文昌が情報を与えていない。


「……その件は、帝都に持ち帰って確認する必要がありましょう」


「もちろんです。お時間を差し上げます。ですが——」


 麗華は叉焼包を一つ取り、皮を割った。甘辛い餡の香りが湯気とともに立ち昇る。


「確認の間、官糧の再開はございません。前提が整わないのですから」


 張文遠の箸が、叉焼包の皮を握り潰した。白い皮がぐしゃりと潰れ、餡が皿に飛び散った。


「——鳳殿。前提と仰るが、それは交渉の引き延ばしではないのか」


「引き延ばし?」


 麗華は微笑んだ。


「引き延ばしをしているのがどちらか——張侍郎ならお分かりでしょう?」


 一瞬、張文遠の目が揺れた。密命書の存在を知っているかのような麗華の言い方に、動揺したのだ。


 だが張文遠はすぐに表情を戻した。


「……仰る意味が分かりかねます」


「いいえ、お分かりですよ」


 麗華は春巻を一つ取り、ぱりっと一口かじった。


「どうぞ、冷めないうちに。春巻は揚げたてが一番です」


 周鶴齢が焼売を一つ口に運んだ。豚肉と海老の旨みが口に広がり、枸杞の実のほのかな甘みが余韻を残す。美味い。だが老官吏の表情は晴れない。


 前菜が片付く頃、第一の条件——偽証の事実認定——の輪郭が見えていた。


 麗華は交渉を急がなかった。一品ごとに区切り、食べる時間を挟み、相手に考える余裕を与える。


 与えているように見せて——実は、圧力を高めている。


 蒸籠の蓋が閉じられ、前菜の皿が下げられた。


「次のお料理の間に、少し休憩しましょう。お茶のお代わりは?」


 張文遠は無言で席を立ち、部屋の隅に移動した。周鶴齢に何か耳打ちしている。


 春蘭が麗華の耳元に囁いた。


「張副使、動揺しています。叉焼包を潰したのは癖が出たのでしょう」


「ええ。追い詰めすぎないように。まだ二品目と三品目が残っている」


 麗華は茶を啜った。


(一品目は布石。偽証の問題を突きつけて、朝廷の立場を揺らす。答えられないと分かっている問いを投げ、時間を使わせる。——本番はこれからよ。二品目で朝廷の本音を引き出し、三品目でこちらの条件を叩きつける)


 厨房から、魚を蒸す香りが微かに漂ってきた。清蒸鯉魚の準備が進んでいる。葱と生姜の香りが、交渉の間の空気を静かに変えていく。


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