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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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正使の困惑

 巡検の翌日。

 正使の周鶴齢しゅう・かくれいが、一人で麗華れいかの元を訪ねてきた。


 副使にも書記官にも告げず、朝食後に客間を出て、庭を横切り、麗華の私室に通じる回廊に現れた。春蘭しゅんらんが取り次ぎ、麗華は私室ではなく書斎の隣の小間で会うことにした。


 小間は八畳ほどの部屋で、窓の外に小さな庭がある。石を配した枯山水の庭で、隅に一本だけ残った紅葉が赤く色づいていた。


「急にお訪ねして申し訳ない、鳳殿」


 周鶴齢は腰を折った。温厚な老官吏の礼は丁寧で、形式的なものではなかった。


「いいえ。どうぞお掛けください」


 麗華は周鶴齢を座らせ、自ら茶の支度を始めた。


 今日の茶は特別なものだった。


 茶葉を棚から取り出す。小さな陶器の壺に入った、深い緑色の葉。鳳家の裏山で育てた茶樹の若葉を、祖父——鳳老太爺ほう・ろうたいやが直々に焙煎した茶だ。


「この茶は、祖父が育てた茶葉です」


 麗華は急須に茶葉を入れ、湯を注いだ。湯気が立ち、茶の香りが小間に広がる。草のような青さと、焙煎の芳ばしさと、その奥にある花のような甘い残り香。


「お祖父様の」


「ええ。祖父はもう高齢で、茶畑に出ることは少なくなりましたが、この茶だけは毎年自分で作ります。大切な客人にお出しするようにと」


 茶杯に注がれた茶は、澄んだ黄緑色をしていた。周鶴齢は杯を手に取り、まず香りを嗅いだ。


「——素晴らしい香りだ」


 一口飲む。


 老官吏の目が、ゆっくりと閉じられた。


「甘い。これほど甘い茶は、生涯で初めてかもしれない」


「祖父が言うには、茶は土の力をそのまま映すそうです。良い土で育った茶は、自然に甘くなる」


 周鶴齢は茶杯を両手で包み、しばらく黙っていた。窓の外では紅葉の葉が一枚、ゆっくりと落ちていく。


「鳳殿」


 老官吏が口を開いた。


「一つ、お聞きしたいことがある。個人的な疑問です。使節としてではなく——一人の人間として」


「どうぞ」


「なぜ、朝廷と敵対されるのですか」


 静かな問いだった。敵意はない。非難もない。純粋な疑問。目の前の茶の甘さを知り、領地の豊かさを見て、この女が統べる世界の完成度を肌で感じた老人が、どうしても分からないと言っている顔だった。


「これほどの領地を治める方が——これほどの食を生み出せる方が、なぜ朝廷と敵対する必要があるのですか。互いに手を取れば、国全体が豊かになれるのでは」


 麗華は茶杯を卓に置いた。


「周大人。一つだけ訂正させてください」


「はい」


「敵対しているのは、朝廷の方です」


 声は穏やかだった。微笑みも崩れていない。だがその言葉の重みに、周鶴齢は息を呑んだ。


「私は後宮で三年間、皇帝陛下に仕えました。鳳家は百年にわたってこの国の食糧を支えてきました。その私を——偽証で追い落とし、廃妃にしたのは朝廷です」


「……」


「私は追い出されたのです。自分から出ていったのではない。そして追い出された後も、民間の食糧流通は止めていません。帝都の民が飢えていないのは、鳳家の商会が市糧しりょうを維持しているからです」


「では——官糧かんりょうを止めたのは」


「止めたのではありません。届ける理由がなくなったのです」


 麗華は自分の茶杯を手に取り、一口飲んだ。


「朝廷は鳳家を切り捨てました。切り捨てた相手に、なぜ年貢を届ける義理がありましょう。私は朝廷の貴妃ではなくなった。鳳家は朝廷の忠臣ではなくなった。ならば——官糧は、交渉の対象です」


 周鶴齢は俯いた。


 茶が冷めかけている。麗華は黙って急須を手に取り、周鶴齢の杯に二煎目を注いだ。二煎目の茶は一煎目より渋みが出るが、代わりに深みが増す。


「……仰る通りかもしれません」


 周鶴齢の声は小さかった。


「私は帝都で——朝廷の中にいて、鳳家のことを何も知らなかった。廃妃の経緯も、食糧の仕組みも。趙宰相の説明を、そのまま信じておりました」


「周大人が悪いのではありません。知る機会がなかっただけです」


「いや——知ろうとしなかったのです。それは、私の怠慢だ」


 老官吏は二煎目の茶を飲み、深く息をついた。茶碗を両手で包む仕草が、茶の温もりにすがるように見えた。


「朝廷にいると、書類と口上だけで世の中が回っているように錯覚します。穀物は数字でしかない。何石、何俵、何月の納入——数字を操作すれば問題が解決すると、趙宰相も、私たちも、そう思い込んでいた」


 周鶴齢は窓の外の紅葉を見つめた。


「だが数字の向こうには、この土地がある。この水がある。この茶のように、土の力がそのまま宿るものがある。それを知らずして、何が交渉でしょう」


「周大人——」


「鳳殿。私にできることは限られています。交渉の決定権は、帝都に——趙宰相に握られている。しかし」


 周鶴齢は顔を上げた。


「帝都に戻ったら、私が見たことをそのまま報告します。脚色はしない。この目で見た鳳凰領を、この舌で味わった食をそのまま——」


「それだけで十分ですよ」


 麗華は微笑んだ。穏やかな、本物の笑み。


「事実を伝えてくださるだけで。判断するのは、陛下です」


 小間の窓から秋の風が入り、茶の湯気をさらった。


 紅葉がもう一枚、庭に落ちた。


 周鶴齢が小間を去った後、麗華はしばらく一人で座っていた。冷めた茶杯を両手で包み、庭の紅葉を見つめている。


(周大人は誠実な人だわ。でも——誠実な人だけでは、朝廷は動かない。朝廷を動かすのは、利害と危機感。そしてそのどちらも、趙宰相が握っている限り、周大人の声は届かない)


 指先で左手首の内側を無意識に撫でた。怒りの癖だ。だが今は怒りというより、静かな決意に近い。


(周大人が事実を持ち帰る。それは種だ。すぐには芽を出さないかもしれない。だが蒔いておけば、いつか——)


 冷めきった茶を最後の一口で飲み干した。祖父の茶は、冷めても甘みが消えなかった。渋みが少し増すが、それも味のうちだ。


(次は——交渉の本番よ。食卓で決着をつける。鳳麗華の流儀でね)


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