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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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夏の成長

 夏。


 鳳凰領の田圃に、緑が満ちていた。


 麗華は朝早くから畑を見回っていた。暁風が隣を歩く。最近は毎朝の日課になっている。陽が昇りきる前に門を出て、畑の間を縫うように歩く。朝露が草の葉に光り、足元の土が柔らかく湿っている。露が靴を濡らすが、構わない。この湿り気が——畑の命だ。


 春に蒔いた冬小麦の芽が——すくすくと育っている。


 まだ穂は出ていないが、青々とした葉が風に揺れる様は、鳳凰領のどの畑にも劣らない。腰の高さまで伸びた穂先が、朝日を受けて黄緑色に輝いている。風が吹くたびにさわさわと音を立て、畑全体が海のようにうねる。


「元気に育っているわ」


「ああ。立派なものだ」


「ここがまだ荒地だったなんて——信じられないでしょう」


 暁風が周囲を見渡した。


 辺縁部の畑。半年前まで灰色の砂塵が舞っていた土地。今は——緑と茶色の畑が広がっている。畦道の脇には野草が生え、蝶が飛んでいる。白い蝶が小麦の葉の間を舞い、その向こうでは蜂が野花に集まっている。虫が戻ってきたということは、土壌の回復が本物だということだ。蚯蚓が土を耕し、蜂が花粉を運ぶ。命の循環が——始まっている。


「信じられん。——が、事実だ」


 各地からも報告が届いていた。


 東部——穀倉地帯の復活が順調。今年の秋には、鳳凰領以外で初めての大規模収穫が見込まれる。東部の農夫たちが「先祖の代から見たことがない色の穂が出た」と喜んでいるという。褐色だった土地が緑に変わり、水路に水が戻り始めた。


 南部——山間部の茶畑が再生。新茶の初摘みが行われた。百年ぶりの南部茶は、独特の花の香りがあるという報告が添えてあった。茶の木が若く、まだ収穫量は少ないが、味は素晴らしいという。


 西部——河川の生態系が回復し、川魚が戻った。漁村に活気が戻り始めている。市場に並んだ鮎は、小ぶりだが味が濃いと評判だ。清流が蘇りつつある証拠だった。


 北部——草原の牧草が豊かに育ち、牧畜が再開された。乳製品が市場に出始めている。白い乳酪は、草原の匂いがするという。


 翠微からも手紙が来ていた。


 ——先生。東の果てに着きました。ここの霊脈は思ったより元気で、修復はすぐ終わりそうです。それより、ここの食べ物が面白いんです。貝と海草で出汁を取った粥があって、すごく美味しいです。先生にも食べさせたい。あと、干し海老が絶品です。次の荷物で送りますね。あ、海風が強くて髪がぼさぼさです。翡翠の簪だけはちゃんとつけてます。


 麗華は手紙を読んで笑った。翠微の手紙は、いつも食べ物の話が半分以上を占めている。霊脈の報告は数行で終わり、その後に延々と食べ物の感想が続く。


「翠微は元気そうね」


「ああ。手紙の半分が食べ物の話だな」


「あの子らしいわ。霊脈の報告より食べ物の報告のほうが詳しいの」


「健啖家は健在か」


「健在どころか、進化しているわ。各地の郷土料理に詳しくなっているみたい」


 承乾からの便りもあった。


 ——朝廷の運営は順調だ。霊脈管理院の予算も確保した。各地の復興報告を読むと、あの日の儀式が間違いではなかったと実感する。東部の新米が帝都にも届き始めた。百年ぶりの東部米は、やや粘りが強い。朕の好みとは少し違うが——民が喜んでいるならそれでよい。


 そして最後に一行。


 ——お前の作った茶菓子が恋しい。だが——朕は帝都の菓子で我慢する。


 麗華は承乾の便りを畳んだ。


「何が書いてあった」


「承乾が、私の茶菓子が恋しいですって」


「……送ってやればいいだろう」


「送ったら負けた気がするわ」


「何の勝負だ」


「さあ。——でも、今度帝都に行ったときに作ってあげるわ。あの人が好きだった胡桃の飴菓子を」


 暁風が微かに眉を寄せた。眉の間に皺が一本、くっきりと刻まれる。戦場で敵の動きを読むときと同じ顔だ。ただし敵は目の前にいない。


「皇帝にか」


「嫉妬?」


「していない」


「嘘つき。耳が赤いわよ」


「暑いからだ」


「夏だからって、片耳だけ赤くなるものかしら」


「……していない」


 麗華は笑った。暁風の耳が赤い。夏の暑さのせいではないことは、明白だった。


「暁風。皇帝に菓子を作ったくらいで嫉妬しないの。私の料理を毎日食べているのは——あなたでしょう」


「……ああ」


「それに、私の粥を食べて箸が止まるのも——あなただけよ」


 暁風は何も言わず、ただ前を向いて歩き続けた。耳だけが赤い。


 畑を一通り見回った後、二人は屋敷に戻った。


 夏の朝食は軽めだ。冷やした粥に、夏野菜の漬物。きゅうりの浅漬けは塩加減が絶妙で、噛むとしゃくりと音がする。翡翠のような緑色の断面から、瑞々しい汁が溢れる。茗荷の甘酢漬けは鼻に抜ける爽やかさがあった。薄紅色の花穂が酢で透き通り、歯触りが軽い。冷やした粥の上に葱を散らし、胡麻油を一滴。それだけで——夏の朝にふさわしい一膳になる。


「涼しくて美味しいわ」


「ああ」


 暁風が粥を啜った。三杯目だ。夏でも暁風の食欲は衰えない。暁風の箸が動くたびに、漬物の皿が少しずつ空になっていく。麗華は笑いながら、台所から新しい漬物を持ってきた。茄子の味噌漬けだ。夏茄子を味噌に漬け込み、生姜を利かせたもの。噛むと茄子の柔らかさの中に味噌の旨味が広がる。


「これも美味いな」


「暁風が好きかと思って、漬けておいたの」


「……いつから」


「一週間前。あなたが帰ってくるのに合わせて」


 暁風の耳がまた赤くなった。今日は赤くなりっぱなしだ。


「完全回復には数十年。——でも、確実に良くなっている」


「ああ。——去年よりも、確かに」


 窓の外に、鳳凰領の夏が広がっている。蝉の声が遠くから聞こえ始めた。庭の木の葉が濃い緑に茂り、影が地面に濃い模様を描いている。朝顔の蔓が塀に這い上がり、紫と白の花が咲いている。去年はなかった花だ。土壌が回復し、種が自然に芽吹いたのだろう。


 緑が増えている。去年よりも、確かに。


 食卓の上の茶碗に、窓の外の緑が映っている。麗華はその緑を見ながら思った。食卓から見える景色が、一年ごとに豊かになっていく。それが——一番の復興の証だ。


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