二つの辞令
三日後。
宮城の大広間。朝の光が高い天井から差し込み、金箔の柱を照らしていた。
承乾が二通の辞令を手にしていた。象牙色の紙に、朱の印が押されている。皇帝の正式な辞令だ。紙の端が、承乾の指の間で微かに揺れていた。緊張ではない。覚悟を確かめているのだ。
文武百官が居並ぶ中、暁風と麗華が並んで立っている。
暁風は正装だった。鉄紺の軍袍に暗銀の鱗甲。肩当ての雲雷紋が、朝の光に鈍く光っている。背筋が真っ直ぐだ。将軍の姿だ。だが——その隣に立つ女との距離は、護衛のそれではなかった。
麗華は深紅の交領袍。鳳家の紋章を織り込んだ帯。銀の簪一本。質素だが品格のある装い。背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を向いている。
二人の姿は——自然に寄り添っていた。肩が触れるほどではないが、離れてもいない。言葉を交わさなくても、同じ方向を向いている。それが——二人の関係を、何よりも雄弁に物語っていた。
「陸暁風」
承乾の声が広間に響いた。
「はい」
暁風が一歩前に出た。
「禁軍将軍の地位はそのままとする。加えて——鳳凰領守将を兼任せよ」
広間がざわめいた。ひそひそ声が波のように広がる。
禁軍の将軍が、同時に一領の守将を兼務する。前例のない辞令だった。禁軍は帝都と皇帝を守る直属の軍だ。その将軍が特定の領地の守将を兼ねるということは——鳳凰領が帝都と同格の重要拠点であることを意味する。
「これは鳳凰領の軍事防衛と、霊脈管理院の護衛を兼ねた任命である。将軍として国を守り、守将として鳳凰領を守れ」
暁風が深く頭を下げた。
「……はい。謹んでお受けいたします」
その声は——少し震えていた。感情を言葉にするのが苦手な男の、精一杯の応答だった。
承乾が次の辞令を読んだ。
「鳳麗華」
「はい」
麗華が一歩前に出た。
「鳳凰領国公の位を正式に授与する」
広間が静まった。女性への国公位の授与は——瑛朝の歴史で初めてのことだ。年老いた重臣が目を見開き、若い官吏が隣と顔を見合わせている。
「加えて——」
承乾が一瞬、間を置いた。広間の全員が息を止めた。
「陸暁風との婚姻を認める」
広間が一瞬、しん、と静まった。
それから——ざわめきが波のように広がった。衣擦れの音。囁き声。誰かが息を呑む音。足を踏み鳴らす音。
廃妃だった女と、皇帝の腹心の将軍。三年前に後宮を去った女が、皇帝の最も信頼する臣下と結ばれる。それを——皇帝自らが認めた。
暁風が麗華を見た。麗華が暁風を見た。二人の目が合った。
暁風の目は——いつものように不器用だった。何を言えばいいか分からない、という顔をしている。だが目の奥には——隠しきれない喜びが灯っていた。黒い瞳が潤み、朝の光を受けて輝いている。
麗華の目は——穏やかだった。全てを計算し尽くした知略の目ではなく。復讐の冷たい光でもなく。ただ——温かい。
二人は同時に、承乾に向かって拝礼した。深く、頭を下げて。
「ありがたく——お受けいたします」
声が重なった。
広間に——微かな拍手が起きた。最初は一人。それが二人、三人と増え、やがて広間全体に広がった。武張った手が甲高い音を立て、文官の繊細な手が控えめに叩かれ——全てが一つの祝福の音になった。
承乾は玉座から二人を見つめた。
微笑んでいた。穏やかな笑みだった。為政者としてふさわしい、公正で温かい笑み。
その微笑みの奥に——わずかな寂しさがあったことを、二人は知らない。
かつて自分の貴妃だった女が、最も信頼する臣下と結ばれる。それを認めることは——簡単ではなかった。三日間考えた、と承乾は言ったが、実際には三年間考えていた。廃妃を命じた日から——ずっと。
だが承乾は、もう操られる少年ではない。自分の感情を自分で処理できる、為政者だった。
(麗華。お前は——幸せになれ)
心の中でだけ、そう呟いた。声には出さない。皇帝が個人的な感情を公の場で見せることは——今日はしない。
「以上をもって、辞令を終える。——祝いの宴は後日、鳳凰領で行え。朕は招かれなくとも構わん」
麗華が顔を上げた。目が少し赤い。泣いていたのだろう。だが声は——いつもの麗華だった。
「陛下。——招きますよ」
「……そうか」
「鳳凰領の料理を、ぜひ。陛下の好きな月餅も焼きましょう」
「……考えておく」
大広間に穏やかな笑いが広がった。
百官の中から、誰かが言った。「廃妃と将軍か。面白い時代になったものだ」。隣の者が応じた。「面白いどころか、あの方がいなければ今ごろ飯も食えなかったぞ」。笑い声が広がった。
式典が終わった後、暁風と麗華は二人きりになった。
宮城の回廊。赤い柱と白い壁。夕日が回廊を赤く染め、二人の影を長く伸ばしている。
「暁風」
「ああ」
「認められたわ」
「ああ」
「何か言うことは?」
暁風は立ち止まった。しばらく黙っていた。言葉を探しているのだ。この男はいつもそうだ。感情が大きいほど、言葉が出てこない。
「……嬉しい」
「それだけ?」
「嬉しい。——それ以外の言葉が出てこない」
麗華は笑った。
「あなたらしいわ」
「もう少し気の利いたことを言うべきだとは思う」
「いいの。あなたの『嬉しい』は——百の言葉より重いわ」
暁風の耳が真っ赤になった。
二人は並んで回廊を歩いた。夕日が二人の影を長く伸ばしている。
「暁風」
「ああ」
「帰りましょう。鳳凰領に」
「ああ。——帰ろう」
「まだ帝都でやることもあるけれど——一度、帰りたいの。祖父に報告したい」
「分かった」
「それから——あなたに、鳳凰領の食堂を案内するわ」
「食堂?」
「ええ。あなたはまだ、鳳凰領の食堂を全部は回っていないでしょう。北の通りの饅頭屋。南門の前の麺屋。市場の奥の揚げ菓子の店。——全部、案内するわ」
「……そうだな」
「一緒に行きましょう。全部」
暁風が笑った。不器用で、ぎこちなくて——だが心からの笑みだった。
「ああ。全部、行こう」
二人は並んで歩いた。将軍と国公。伴侶として。夕日の中を。
その微笑みの奥の寂しさを、二人は知らない。
だが——それでいい。
皇帝の寂しさは、皇帝が引き受ける。二人の幸福は、二人で育てる。
それぞれの場所で、それぞれの役割を果たしながら——繋がっている。
食卓のように。




