再建の朝
霊脈再生の成功から十日。
帝都は——少しずつ、変わり始めていた。
目に見える変化ではない。街路の石畳が新しくなったわけでも、建物が増えたわけでもない。だが——空気が違った。街を覆っていた灰色の倦怠が、わずかに薄らいでいる。人の足取りが軽い。声が明るい。三年近く帝都に漂っていた、あの重苦しい不安——食糧が足りなくなるのではないか、次の冬を越せるのかという不安——が、薄紙を一枚はがすように、少しだけ軽くなっている。
麗華は帝都の大路を歩いていた。暁風が半歩後ろについている。朝露に濡れた石畳を踏みながら、麗華はさりげなく周囲を観察した。
朝市が立っている。露店に並ぶ野菜の種類が、ほんの少しだけ増えている。先月まではなかった蕪と大根が並び、その隣には青々とした小松菜の束がある。蕪は丸々と太り、朝日に照らされて白い肌が艶めいていた。大根は泥つきのまま竹籠に入れられ、みずみずしい葉先に露が光っている。
「おや。鳳凰領の方ですかい」
露店の親爺が声をかけてきた。日に焼けた顔に、人の好い笑みが浮かんでいる。歯が何本か欠けているが、それが逆に親しみやすさを醸している。
「いいえ。ただの通りすがりですよ」
「へえ。しかし、いい時代になったもんだ。荒地が止まったってな。うちの畑も、来年はもう少し広げられるかもしれねえ。倅に言ったんだ、帝都の外にもう一反、借りようってな」
親爺の目が——未来を見ていた。それが、麗華にとって何よりの成果だった。荒地が止まっただけでは足りない。人が未来を描けるようになること。来年の話を、笑いながらできること。それが本当の回復の始まりだ。
「それは楽しみですね。美味しいお蕪が、もっと増えるのを楽しみにしていますよ」
麗華は微笑んで通り過ぎた。蕪を一つ買おうかと思ったが、やめた。今日は買い物に来たのではない。
暁風が小声で言った。
「気づかれなかったな」
「廃妃の顔を覚えている庶民はそういないわよ。後宮にいた三年間、民の前に出る機会はほとんどなかったもの」
「……そうか」
「でもいいの。顔を知らなくても——食卓が変わっていけば、それでいい。この国を変えたのが誰かなんて、露店の親爺が知る必要はないわ。ただ——蕪が太っていればそれでいいの」
暁風が横目で麗華を見た。小さく頷いている。その目に——温かいものが宿っていることを、麗華は気づいていた。気づいていて、あえて触れない。今は仕事の時間だ。感情は後で。そう思いながらも、隣を歩く暁風の体温が心地よかった。
大路を抜け、宮城の方向に向かう。
今日は朝廷での会議がある。霊脈再生の成功を受けて、国家規模の復興計画を策定する最初の会合だ。百年間放置されてきた荒地を、どう蘇らせるか。食糧の生産体制を、どう再構築するか。答えは一朝一夕には出ない。だが今日が——その第一歩だ。
宮城の門をくぐると、官吏たちが行き交っていた。以前は怠惰な足取りが目立った宮城の廊下が、今は忙しなく動いている。書簡を抱えた文官が小走りに角を曲がり、兵士が整列して敬礼する。
麗華の姿を見て、足を止める者がいた。
「あれは——鳳家の」
「ああ。廃妃だった方だ」
「今は違う。霊脈再生の指揮を執った方だぞ。軽々しく呼ぶな」
ひそひそ声が通り過ぎる。
麗華は気にしなかった。ひそひそ声には慣れている。後宮で三年、鳳凰領で三年。陰口は——もう武器にならない。かつては陰口が刃になった。蘇家が流した噂が弾劾の布石になった。だが今の麗華には、陰口は風のようなものだ。吹いて過ぎる。それだけのこと。
会議の間に入る。
広い部屋だった。長い卓が据えられ、椅子が二十ほど並んでいる。各部の長官と、主要な官吏が着席している。卓の上には茶器が並び、湯気が細く立ち昇っている。
承乾が上座に座っていた。麗華が礼をすると、承乾が頷いた。その動作に、かつての躊躇はなかった。
「鳳麗華。——待っていた」
「陛下。お待たせいたしました」
席につく。暁風が壁際に立つ。護衛として——そして、麗華を見守る者として。
会議の議題は明確だった。霊脈再生の成功を受けて——これからの国をどう建て直すか。
「荒地化は止まった」
承乾が口を開いた。声に迷いはなかった。かつて趙文昌の言葉に頼っていた少年の面影が、もうここにはない。
「だが枯れた大地はまだ灰色のままだ。ここから——長い道が始まる」
麗華が頷いた。
「ええ。完全回復には数十年を要します。霊脈の流れが戻っても、土壌そのものが蘇るには時間がかかります。だが——」
麗華は卓の上の地図に手を伸ばした。
「これは暗い話ではありません。確実に良くなるという見通しが、初めて立ったのです。百年間、見通しすらなかった。それが今日——変わりました」
会議は半日にわたった。
農業復興計画。術者育成の制度化。各地の霊脈管理体制の構築。食糧流通の再編。議題は山積みだったが、一つ進むごとに未来の輪郭が明瞭になっていく。
麗華は一つ一つの議題に、具体的な提案を出した。数字と根拠を添え、実現可能な工程表を示し、必要な人材と予算を明記する。かつて食糧を武器にした女が、今度は食糧で国を建て直す。同じ知識。同じ戦略眼。同じ緻密な計算。
だが——目的が違う。
壊すためではなく、建て直すために。
会議が終わったとき、夕日が宮城の窓を赤く染めていた。甍の金の鸞鳳が赤く輝き、三年前の廃妃の日と同じ色を放っている。同じ夕焼けだが——見る者が変わった。
承乾が麗華を呼び止めた。
「鳳麗華」
「はい」
「お前がいなければ——この国はとうに詰んでいた」
「詰ませたのも私ですが」
「ああ。——だからこそ、お前にしかできない仕事だ」
麗華は微笑んだ。
「これからが本当の仕事です。——長い道のりになりますわよ」
「望むところだ」
承乾の目には、かつての少年の躊躇はなかった。為政者としての覚悟が、確かに宿っていた。
荒地化は止まった。だが枯れた大地はまだ灰色のままだ。ここから——長い道が始まる。




