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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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術の反動

 儀式は二刻を過ぎたあたりから、厳しくなった。


 全ポイントの霊脈を同時に活性化し続ける。その負荷は、時間が経つほどに術者たちの身体を蝕んでいく。人間の身体は霊脈の力を通すための器としては脆い。長時間にわたって大量の力を流し続ければ、器にひびが入る。


 麗華の掌から淡い緑の光が溢れ続けている。全体の制御を一手に引き受ける彼女の負荷は、個々のポイントを担当する術者の比ではない。中核ポイントとして全三十七ヶ所からの信号を受け取り、全体のバランスを調整し、力の配分を刻一刻と変えている。全身が霊脈の通り道になっている。身体の中を力が奔流のように駆け抜け、骨が軋み、筋肉が痙攣する。


 額に汗が流れた。腕が震え始めた。指先の感覚が鈍くなりつつある。掌と大地の間にあった明確な境界が、溶けてなくなるような錯覚に襲われる。自分がどこまでで、大地がどこからなのか——分からなくなりかけている。


(まだ——止まるな。まだ止まるな)


 各地のポイントから、異変の気配が伝わってくる。霊脈を通じた感覚だ。術者たちの体調まで分かるわけではないが——力の揺らぎで、何が起きているかは推測できる。


 南部のチーム——術者の一人が意識を失いかけている。力の出力が不安定に揺れている。波打つような不規則な振動。ろうそくの炎が風に煽られるように、力が明滅している。


 西部のチーム——河川域の霊脈が不安定に揺れ、術式を維持するのに全力を要している。水脈と霊脈の干渉が、術者の消耗を加速させている。水の流れが霊脈の力を散らし、術者は散った力を集め直すために余計な体力を使っている。


 北部のチーム——術者二名が膝をつき、予備の弟子が交代で支えている。草原の霊脈は深く、引き上げるのに体力が要る。深い井戸から水を汲み上げるような作業を、何刻も続けている。


 東部は——残党の襲撃で一人欠けたまま、三名で四ポイントを賄っている。一人あたりの負荷が限界に近い。修正案で配分を調整したが、それでも通常の一・三倍の負荷がかかっている。三人の力の波形が乱れ始めている。


 鳳凰領では翠微が断裂の中心に全力を注いでいる。翠微の力は安定しているが、断裂の中心は他のどのポイントよりも力を要する。翡翠色の力が、途切れることなく大地に注がれ続けている。


 そして帝都で、麗華が全体を制御している。


(崩れるな。——崩れるな。ここで崩れたら、全てが水の泡になる)


 南部の術者が完全に意識を失った。


 全体の術式にかかる力が不均一になり、ネットワークが揺れた。南部からの出力が途切れ、その空白が隣接するポイントに波及する。均衡が崩れかける。張り詰めた糸が一本切れたように、全体に震動が走った。


「——!」


 麗華が力を増した。南部の空白を自分で補う。自分の力を南部に向けて送り出し、失われた出力を肩代わりする。


 身体が軋んだ。関節という関節が悲鳴を上げる。


(足りない。——力が、足りない)


 一人で全体を制御し、さらに空白を補う。それは麗華の身体が許容できる範囲を超えていた。器に罅が入る音が聞こえた気がした。乾いた、細い音。骨か、それとも魂か。


 視界が歪む。執務室の壁が揺れて見える。蝋燭の炎が二つに分裂し、また一つに戻る。


 指先の感覚が遠のく。自分の掌がどこにあるのか、目を閉じていると分からなくなる。指を動かそうとしても、動いているのかどうか、確認する術がない。


 耳鳴りがする。高い音が頭の中で鳴り響き、他の音を飲み込んでいく。


(倒れるわけには——いかない)


 麗華は歯を食いしばった。奥歯が軋む音が頭蓋骨に響いた。


 膝が震えている。座ったまま術式を維持しているが、背筋を保つのがやっとだ。身体が前に倒れそうになるのを、腕の力で支えている。腕も震えている。支える力すら、尽きかけている。


(ここで倒れたら——全てが、水の泡になる)


 百年の断裂。祖父の遺志。翠微の努力。弟子たちの覚悟。暁風の誓い。皇帝との約束。二十八人の術者が命を削って積み上げた成果。


 全てが——この瞬間にかかっている。


 指先の光が——弱まった。


 意識が遠のきかける。暗闇が視界の端から這い寄ってくる。暗い水の中に沈んでいくような感覚。


(駄目——)


 そのとき。


 背中に、温もりを感じた。


 誰かが——後ろから支えている。


 大きな手。武骨で温かい手。掌が広く、指が太く、剣胼胝がある。


「……暁風」


「動くな」


 暁風が後ろから麗華の背中を支えていた。いつ戻ったのか。西の丘の持ち場から——術式の異変を感じ取ったのではない。暁風に霊脈は感知できない。だが——麗華の身体の異変は、分かる。何か嫌な予感がしたのだろう。暁風はいつもそうだ。理屈ではなく、勘で動く。


「俺は術は使えない。だが——お前を支えることはできる」


 暁風の手が、麗華の背中に当てられた。肩甲骨の間に。しっかりと。


 術の力はない。霊脈を操る能力もない。


 だが——温かかった。


 人の手の温もり。武人の身体の熱。その温かさが——冷えきった麗華の背中に伝わった。


 不思議なことに——暁風に背中を支えられた瞬間、遠のきかけた意識が戻った。暗闇が退き、視界が明るくなる。暁風の体温が背中から染み込み、冷えきった身体の芯にまで届く。術の力ではない。もっと原始的な、もっと根源的な力。人の温もりという、最も古い力。


 指先の光が——再び強くなった。


「……ありがとう」


「喋るな。集中しろ」


 暁風の声は厳しいが、背中に当てた手は優しかった。壊れ物を扱うように、だが離さないように。この手をどれだけ待ち望んだか。麗華は言葉にはしなかったが、全身でその温もりを受け止めた。


 麗華は目を閉じ、術式の制御に集中した。暁風の温もりを背中に感じながら。


 身体が軋む。限界が近い。——だが、ここで倒れるわけにはいかない。


 暁風がいる。翠微がいる。二十八人の仲間がいる。


 一人ではないから——まだ、やれる。


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