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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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304/319

翠微の中核

 鳳凰領の南端。


 荒地と緑地の境界線——そのさらに奥。灰色の大地が果てしなく広がる、断裂の中心。


 翠微はそこに立っていた。


 風が吹く。灰色の砂塵が舞い上がり、目に沁みる。かつてここは豊かな農地だった。祖父母の世代が穀物を育て、子供たちが駆け回った土地。秋になれば稲穂が金色に揺れ、脱穀の音が村中に響いた。おばあちゃんがよく話してくれた。「ここらの田んぼは、嫁入りの持参田だったんだよ」と。畦道に彼岸花が咲いて、赤い列が田んぼの縁を彩っていたという。


 今は——死んでいるように見える。色のない大地。温もりのない土。風が吹くたびに灰色の砂が舞い、それ以外には何もない。草一本生えていない。虫の声もしない。鳥すら飛ばない。


 だが翠微には、聞こえていた。


(……聞こえる。まだ、息をしている。かすかに、でも確かに——)


 大地の奥深くから——微かな音。振動ですらない、気配のようなもの。翠微だけが聴き取れる、土の声。苦しそうな、だが生きている声。百年間、この声を聴いた者はいなかった。翠微が初めてだ。


 帝都の大鐘は聞こえない。鳳凰領は帝都から遠い。だが——霊脈を通じて伝わる振動が、翠微に合図を告げた。麗華の送った信号だ。緑色の光が霊脈を走り、全土のポイントに同時に届く。先生の力の色だ。優しくて、鋭くて、温かい緑。


(始まった)


 翠微は膝をつき、両手を灰色の大地に当てた。冷たい。氷のように冷たい。生きている土の温もりは、ここにはない。指先から腕へ、冷たさが這い上がってくる。骨の芯まで沁みる冷たさだ。


 指先が翡翠色に輝く。麗華の淡い緑とは異なる、深い翡翠の光。森の奥の泉の色。命の色。


「治す」力。


 断裂した霊脈の端を見つける。大地の深くに潜む、百年前に切断された霊脈の切り口。切断面は——百年の歳月で硬く閉じている。傷が癒えたのではない。かさぶたのように、痛みを封じ込めているだけだ。中には——まだ、血が流れている。微かに。


(痛かったよね。百年も、ずっと。こんなに冷たくて、こんなに固くなって——ずっと痛かったよね)


 翠微は心の中で語りかけた。理論ではなく、感覚で。麗華なら術式を組み立てるだろう。数式と理論で霊脈を操作するだろう。翠微にはそれができない。代わりに——話しかける。


(でも、もう大丈夫。あたしが——繋ぎます)


 指先の光が強くなった。翡翠色が深まり、掌全体が光に包まれる。


 翡翠色の力が大地に沁み込み、断裂面に触れる。力が土を通り抜け、深く、深く、大地の奥底へと潜っていく。


 ——硬い。


 百年の間に固まった断裂面は、翠微の力を拒むように硬く閉ざされていた。石のような硬さではない。痛みから身を守るために自分を閉じた、傷の硬さだ。触れた瞬間、翠微の指先に鈍い痛みが走った。大地の痛みだ。百年分の痛みが、翠微の指先を通じて身体に流れ込んでくる。


 力を込める。額に汗が浮かぶ。春とはいえ朝の空気は冷たいのに、身体の芯から熱が湧き出る。


(開いて。お願い)


 麗華なら、理論的に術式を組み立てるだろう。断裂面の成分を分析し、最適な周波数と圧力を計算して——


 翠微にはそれができない。


 代わりに——話しかける。


(あたしは翠微です。農家の三女で、字もろくに読めなかった。でも、土の声は聞こえます。あなたの声が、聞こえます。あなたが痛いと言っているのが——聞こえます)


 指先が震える。力が——足りない。一人では。汗が顎から滴り落ちて、灰色の土の上に小さな染みを作った。


(先生が教えてくれました。育てること。治すこと。繋ぐこと。あたしは先生の弟子です。でも——先生の真似はしません。先生のやり方は先生のもの。あたしのやり方は——あたしのもの)


 翠微は目を閉じた。


 先生の術式を使わない。先生の理論に頼らない。自分の——やり方で。


(あたしは、あたしのやり方で、あなたと話します)


 翡翠色の光が変わった。理論的に整えられた術式ではなく——生の感覚。直感。大地との対話。まるで田植えのときに苗を植えるように、一本一本丁寧に。手で土を掘り、苗を入れ、水をやる。あの作業と同じだ。指先で土を感じ、土の望む場所に力を注ぐ。頭ではなく、指が覚えている感覚。


 土の声が聞こえた。


 ——痛い。


(うん。分かるよ)


 ——怖い。


(うん。あたしも怖い。でも——大丈夫。あたし、強くなったから。先生に教わって。みんなに支えられて)


 ——また、壊される?


(壊さない。繋ぐの。もう一度、繋ぐ。あたしの手で)


 断裂面が——微かに動いた。


 硬く閉ざされていた面に、亀裂が入る。亀裂から——温もりが漏れ出す。百年間閉じ込められていた霊脈の温もりだ。春の陽だまりのような温かさ。凍りついた指先が、少しずつ溶けていく。


 翠微の翡翠色の光が亀裂に入り込み、断裂の両端を——繋いだ。


 微かに。ほんの微かに。だが——確かに。


 翠微の全身が光に包まれた。翡翠色の光が大地を走り、断裂の中心から放射状に広がっていく。灰色の大地の上を、緑の光の波紋が広がっていく。まるで水面に石を投げたように、同心円状に。


 各地のポイントの術者たちが感じ取った。断裂の中心が——動いた。


 麗華が帝都で目を見開いた。


(翠微——やったの)


 断裂の中心が繋がれば、全体のネットワークが急速に接続される。中心が鍵だ。


 翠微は両手を地面に押し当てたまま、涙を流していた。涙が灰色の土の上に落ち、小さな染みを作った。


「先生。——聞こえます。大地が、笑っています」


 師の技と、自分の力。その融合が——百年の断裂を、繋いだ。


 翠微は目を閉じた。全身が翡翠色に包まれている。髪が光に揺れ、頬を涙が伝い、灰色の土の上に落ちた涙の跡が小さな染みを作っている。


(あたしは、先生の術を継ぐ者。そして——先生を超える者)


 それは傲慢ではなかった。師への敬意と、自分の道への確信。その両方が——翡翠色の光の中に、輝いていた。


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