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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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暁風の鎮圧

 東部からの急報が届いた。


 ——残党、鎮圧完了。蘇玉蘭殿の説得により投降。死者なし。負傷した術者は右腕の治療中。命に別状なし。


 麗華は文を読み、小さく息をついた。執務室の窓から差し込む朝の光が、文の上に白い四角を落としている。光の中で墨文字が鮮やかに浮かび上がる。


「玉蘭が——自分で止めたの」


 暁風が隣で頷いた。軍装に着替え直し、腰の剣の位置を確認している。鉄紺の軍袍の襟元を正し、帯を締め直す。戦場に出る前の所作だ。


「ああ。増援が到着する前に、玉蘭が単独で蔵に乗り込んだらしい。武器も持たず、声だけで投降させた」


「……あの人も、変わったわね」


「お前もだ」


 麗華は暁風を見た。暁風は真っ直ぐな目で麗華を見ている。武人の目だが、そこに温もりがある。鉄のような硬さと、湯の温かさが同居している。


「残党は鎮圧した。東部の術式は修正案で対応できる。——あとは、やるだけだ」


「ええ」


 儀式の開始まで、あと二刻。


 麗華は客館の前庭に立った。朝の光が石畳を白く照らしている。空気はまだ冷たいが、春の匂いがする。花の気配はまだないが、風の中に土の柔らかい匂いが混じっている。凍りついていた大地が、少しずつ緩み始めている証だ。


 帝都に残っている術者たち——八名が集まっている。彼らは帝都近郊のポイントを担当する。半月前、広間で初めて地養術を習った人々だ。今は——覚悟を決めた術者の顔をしている。


「状況を報告します」


 麗華の声が静かに響いた。穏やかだが、よく通る。後宮で培った声の使い方が、こういうときに生きる。


「東部で蘇家残党による妨害がありましたが、すでに鎮圧されました。術者一名が負傷しましたが、残りの三名で対応します。儀式は予定通り行います」


 術者たちの顔に安堵が広がる。それと同時に、緊張も増す。本当にやるのだ、という現実感。


「各自、持ち場に向かってください。術式の開始は——正午。合図は、帝都の鐘です」


 八名が散った。それぞれの方角に、それぞれの速さで。農家の少年——東部で負傷したのは彼ではなかった、良かった——は南に向かい、老人は西に向かった。元僧侶の男は静かに合掌してから北に歩き出した。漁村の女は鋭い目で東を睨み、力強い足取りで去った。


 暁風が麗華の隣に来た。


「俺は帝都近郊のポイントの護衛につく。残党の二の舞がないとも限らん。お前は——」


「ここで全体を指揮するわ。各地の術者と霊脈を通じて繋がる。中核ポイントの役割を、帝都から果たす」


「分かった」


 暁風が一歩踏み出しかけて、振り返った。


「麗華」


「何」


 暁風の目が、一瞬だけ揺れた。将軍の目ではなく、一人の男の目になった。鉄の硬さが溶けて、その下にある温かさが露わになる瞬間。


「……無理をするな」


「それは、あなたもよ」


 暁風が微かに笑った。笑うことの少ない男の、ほんの僅かな表情の変化。口の端が持ち上がり、目尻に皺が寄る。それだけの変化が、麗華の胸を温かくする。


「二度と、あなたを一人にはしない」


 その言葉を残して、暁風は馬に跨った。鉄紺の軍袍の裾が風に翻る。肩の雲雷紋が朝日に光る。


 蹄の音が遠ざかっていく。石畳を叩く硬い音が、徐々に小さくなり、やがて帝都の喧騒に溶けた。


 麗華は一人、客館の執務室に戻った。


 霊脈地図の前に座る。全ポイントの配置。術式の手順。タイムライン。連絡体制。予備の術式。


 全てが頭の中に入っている。あとは——実行するだけだ。


 正午が近づく。


 帝都の大鐘が鳴る準備の音が、微かに聞こえた。鐘楼の方角から、金属が揺れる低い振動が伝わってくる。


 麗華は目を閉じ、深く息を吸った。


 掌を地面に当てる。執務室の板張りの床を通して、帝都の大地に触れる。木の板は冷たい。だがその奥に——石があり、土があり、そして霊脈がある。


 微かに——脈打っている。


(聞こえる。大地の声が。帝都の下にも、霊脈はある。細く、弱く——だが確かに)


 百年前に断たれた脈が、今日、繋がる。


 大鐘が鳴った。


 深く澄んだ音が帝都の空に広がる。正午を告げる鐘の音。同時に——それは、儀式の開始の合図だ。青銅の鐘の余韻が空気を震わせ、麗華の骨にまで響く。


 麗華は掌から淡い緑の光を放った。中核ポイントとしての信号を、霊脈を通じて全ポイントに送る。


 ——始まった。


 同時刻。


 暁風は帝都近郊の丘に立っていた。術者の一人——元僧侶の中年の男が、霊脈ポイントの上で術式を開始するのを、剣に手をかけて見守っている。


 術者の掌から光が溢れ、大地に沁み込んでいく。淡い金色の光だ。元僧侶らしい、静かで穏やかな光。まるで読経の声のように、一定のリズムで大地に降り注いでいる。


 何者も近づけさせない。


 この術者が術に集中できるように。麗華が指揮に集中できるように。


 誰一人、もう一人にはさせない。


 暁風は思った。


 俺は術を使えない。霊脈の声も聞こえない。この国を救う力は、俺にはない。


 だが——守ることはできる。


 この手で。この剣で。この身体で。


 二度と、あの人を一人にはしない。


 丘の上に風が吹いた。春の風だ。草の匂いがする。そして微かに——土の匂いが変わった気がした。暁風に霊脈は感じられない。だが風の匂いの変化くらいは——分かる。


 暁風はその光景を——黙って見守っていた。


 帝都の客館。


 麗華は地図の前で目を閉じていた。全身の感覚を霊脈に集中させている。体温が下がっていく。意識が大地に沈んでいく。


 各地のポイントから——微かな振動が伝わってくる。


 東。南。西。北。鳳凰領。


 術式が、同時に動いている。二十八人の掌が、同時に大地に触れている。


 麗華は両手を広げ、全体の制御に意識を注いだ。


 百年の断裂を繋ぐ。一人ではない。二十八人の手で。


(暁風——あなたが守ってくれているから、私はここに集中できる)


 見えない場所で背中を守ってくれている男。術は使えない。だが——誰よりも、強い。


 この人が、強い。


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