鳳凰領からの知らせ
鳳凰領からの文が届いたのは、各隊を送り出して五日後のことだった。
帝都の客館で霊脈再生の全体計画を練っていた麗華のもとに、春蘭の筆跡の封書が届いた。いつもの春蘭の文とは違い、封蝋が二重に押してある。急報の印だ。
麗華は封を切り、目を走らせた。
——お嬢様。まず祖父君のご容態ですが、安定しております。意識は朦朧とする時間が増えておりますが、食事は粥を少量ずつ召し上がっています。朝は干し柿を一切れ、「甘いものが欲しい」とおっしゃいました。食への関心がある限り、ご安心くださいませ。
麗華は小さく息をついた。祖父が粥を食べているなら、まだ大丈夫だ。干し柿を欲しがるのは良い兆候だ。祖父は昔から甘いものに目がなかった。鳳凰領の干し柿は老太爺の好物で、秋になると自分で選んで吊るし柿を作っていた。あの大きな手が、丁寧に柿の皮を剥いていた姿を思い出す。柿の皮は途中で千切れないよう、螺旋状に一本で剥くのが祖父の流儀だった。「こうすると、干したとき甘みが均等に回るんじゃ」と得意げに語っていた。
読み進める。
——ただし、荒地化の件は急を要します。南部第三圃場と東部の果樹園が先月末に完全に灰色化いたしました。果樹園の杏の木は全て枯死。侵食速度はこの三月で約二倍に加速しています。
麗華の指が止まった。東部の果樹園。あそこの杏は鳳凰領で一番甘いと評判だった。春になると白い花が咲き乱れ、初夏には黄金色の実をたわわにつけた。干し杏にすれば保存がきき、冬場の貴重な甘味として領民に愛されていた。果樹園の入口に古い石碑があって、「鳳凰領杏園」と刻まれていた。祖父がまだ元気だった頃、「この杏園だけは儂の代で枯らすわけにはいかん」と言っていたことを覚えている。
その杏が——全て枯れた。
——このままでは、鳳凰領の中核農地に達するまであと半年と見積もります。お嬢様、お急ぎください。鳳凰領は——あと半年、持ちません。
春蘭の文体は常に冷静だ。感情を排して事実だけを並べる。感傷を許さない、武人のような筆致。だからこそ、最後の一文の重みが際立つ。春蘭が「お急ぎください」と書くのは、よほどのことだ。あの女は二十年以上鳳家に仕え、一度たりとも「急げ」と主に書いたことがない。
麗華は文を卓に置き、窓の外を見た。
帝都の空は晴れている。街路には人が行き交い、通り向こうの屋台から包子を蒸す湯気が上がっている。春の穏やかな風が窓辺のカーテンを揺らしている。屋台の親父が客に笑いかけ、湯気の向こうで子供が母親の手を引いて走っている。
しかしこの穏やかな風景の下で、大地は死にかけている。鳳凰領の杏の木が枯れ、圃場が灰色に染まり、荒地化が確実に領の心臓部に向かって進んでいる。
(杏の花が——もう咲かないのか)
あの白い花の下で、祖父と一緒に茶を飲んだことがある。風が吹くたびに花びらが散って、粥の中に落ちた。祖父が「花粥じゃな」と笑った。白い花びらが浮かんだ粥は、ほんのり杏の香りがした。世界で一番贅沢な粥だと、幼い麗華は思った。
「どうした」
暁風が入ってきた。麗華の顔を見て、すぐに異変を察した。
「春蘭から報告が来たわ。鳳凰領の荒地化が加速している」
文を暁風に渡した。暁風が目を通す。太い眉が僅かに寄る。
「半年、か」
「ええ。各地の修復チームの準備が整うのが早くても三月後。儀式の実行にさらに一月。——余裕がない」
「間に合うのか」
「間に合わせるしかない」
麗華は卓に広げた霊脈地図に目を落とした。
各地のポイントに印が付けてある。修復チームの派遣先。翠微が「最も重要」と判断した断裂の中心点。赤い印と緑の印が地図上に散らばっている。赤が未修復、緑が完了。まだ赤が多い。圧倒的に赤が多い。
「翠微からの報告は?」
「昨日来たわ。東部のチームは順調。北部は霊脈の深度が予想より深く、調査に時間がかかっている。南部と西部は——まだ到着報告だけ」
「北部が遅れると全体に響くな」
「そうね。でも翠微が補えるわ。あの子は——」
麗華は言葉を止めた。
(あの子に頼りすぎている?)
かつての自分と同じだ。一人に全てを背負わせる構造。それを壊すために秘伝を公開したのに——結局、翠微という一人に過剰な期待をかけている。麗華が鳳家の秘伝を一人で背負ったように、翠微に霊脈再生の要を一人で背負わせている。
「暁風」
「ああ」
「翠微に負荷が集中しすぎないよう、配分を見直さないと。——私が一番よく知っているはずよ。一人に全てを載せるとどうなるか」
「……お前が一番分かっているな、その危うさを」
「身に覚えがあるから」
暁風が僅かに笑った。苦笑に近い笑みだった。麗華が一人で全てを背負い、倒れかけたことを——暁風は最も近くで見てきた。
麗華は計画表を広げ直した。
半年。猶予はない。だが——手は増えた。
かつては一人だった。今は二十八人の術者がいる。そして翠微がいる。チームがある。連携がある。
問題は、二十八人の力を最も効率よく使い切ることだ。独占ではなく分散。一人ではなく全員。
麗華は筆を取り、修正案を書き始めた。各チームの優先順位の見直し。翠微の担当範囲の分散。北部チームへの追加支援の手配。筆が紙の上を走る音だけが、しばし執務室に響いた。
暁風が茶を淹れてくれた。帝都で買った素朴な緑茶だ。鳳凰領の春茶には及ばないが、温かさが手に沁みる。茶碗を受け取ると、暁風の指先が一瞬だけ麗華の指に触れた。意図的か偶然か——どちらにしても、その温もりが計画の修正に向かう頭を少しだけ柔らかくした。
「ありがとう」
「飯は食ったか」
「……まだ」
「食え。頭が回らなくなる」
「分かっているわよ」
暁風が棚から干し杏を出してきた。帝都の市場で買ったものだ。鳳凰領の杏ほど甘くはないが、酸味が効いている。
甘酸っぱい果実を一つ口に含む。疲れた身体に染み渡る味だった。歯を立てると、凝縮された杏の甘みと酸味が一度に広がる。舌の上に残る微かな渋みが、かえって次の一つに手を伸ばさせる。
春蘭の文を読み返す。鳳凰領の杏が枯れた。だが——帝都の市場にはまだ干し杏がある。他の産地のものだろう。
(鳳凰領の杏を取り戻す。——いや、鳳凰領だけではなく、この国中の果樹園を取り戻す)
あと半年。
麗華は干し杏をもう一つ取り、口に入れた。
食べなければ戦えない。それは——食糧を武器にしてきた自分が、誰よりもよく知っていることだ。




