↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
272/329

暁風の忠義

 合意が成立した日の夕刻。


 暁風は承乾の前に進み出た。


「陛下。一つ、申し上げたいことがあります」


 承乾は椅子に座ったまま、暁風を見上げた。夕日が窓から差し込み、皇帝の横顔を橙色に染めている。


「何だ」


「臣は——この三年間、鳳凰領で多くのものを見ました。荒地化の進行。領民の暮らし。麗華殿の戦い。そして——この国が本当に必要としているものを」


「ああ」


「臣は陛下に忠義を誓った身です。その忠義は今も変わりません」


「分かっている」


「ですが——臣の忠義は、陛下お一人に向いているのではなく、この国に向いています。陛下がこの国のために動かれるなら、臣は全力で支えます。そして——」


 暁風は一度言葉を切った。喉が乾いている。額に汗が浮いている。戦場で剣を振るうときよりも、今この瞬間のほうが緊張している。


「——麗華殿と、同じ方を向いております」


 沈黙が落ちた。夕暮れの風が窓から入り、灯台の炎を揺らした。


 承乾の目が細くなった。


「同じ方を向いている——か」


「はい」


「それは、将軍としてか。それとも」


 暁風は真っ直ぐに承乾を見た。この目を逸らしたら、一生後悔する。


「両方です」


 承乾は椅子の背に身を預けた。天井を見た。しばらく黙っていた。灯台の火が揺れる音だけが、室内に響いている。


 暁風は身動きせず待った。将軍の姿勢で。だが心臓は、将軍とは思えない速さで打っている。


「……暁風。お前は昔から正直だった。嘘がつけない男だ。だからこそ朕はお前を信じてきた」


「はい」


「今の言葉も——正直だな」


「はい」


 承乾がゆっくりと顔を暁風に戻した。皇帝の目に——怒りはなかった。複雑な感情が渦巻いているようだったが、それを押さえ込む意志の力があった。


「朕にとって、お前は最も信頼できる臣下だ。その信頼は変わらん。——だが、将軍としてだけでなく、お前個人としてもお前を尊重する」


「陛下——」


「麗華のことは——分かっていた。書簡の文面を見れば分かる。あの文面を書ける男は、監視対象に心を動かされた男だ」


 暁風の耳が赤くなった。書簡の文面にそこまで感情が出ていたとは——本人に自覚はなかった。


「お前の忠義がこの国に向いていて、麗華と同じ方を向いているなら——朕が止める理由がない。むしろ、二人がこの国のために並んでくれるなら、朕にとってこれ以上の力はない」


「……ありがとうございます」


「礼は要らん。ただし」


 承乾が少しだけ笑った。その笑みに——微かな寂しさが混じっていることに、暁風は気づいた。


「麗華を泣かせたら——朕が許さんぞ。元夫としてではなく、為政者として」


 暁風は一瞬だけ面食らった顔をしてから、深く頭を下げた。


「肝に銘じます」


 承乾が頷いた。


 暁風は客間を出て、廊下を歩いた。夕日が廊下の板張りを橙色に染めている。裸足で歩くと、日に温められた木の温もりが足の裏に伝わった。


 麗華が廊下の先に立っていた。


 目が合った。


 麗華の目に、問いがあった。何を話したのか、と。夕日を背にした麗華の輪郭が、金色に縁取られている。


「……陛下に、伝えた」


「何を」


「俺の忠義は、あなたと同じ方を向いていると」


 麗華の瞳が微かに揺れた。琥珀色の瞳が、夕日の光を受けて金色に輝いている。


「それは——忠義の話?」


「忠義の話だ。——それだけじゃないが」


 暁風は視線を逸らした。耳がまだ赤い。


「……それだけじゃない、の部分は」


「今は言えん。順番がある」


 麗華は微笑んだ。後宮の微笑みではなく、ただの女の——柔らかい微笑み。


「順番——ね」


 二人は並んで廊下を歩いた。


 夕日が長い影を作っている。廊下の窓から差し込む斜光が、暁風の横顔を照らしていた。日焼けした肌に、疲労と——安堵が同居している。


「暁風殿」


「ああ」


「夕餉が済んでいないでしょう。今夜は——干し肉と葱の雑炊ぞうすいを作るわ。身体が温まるから」


「……頼む」


「あら、素直ね」


「腹が減っているときに遠慮はしない」


 麗華は微笑んだ。


 厨房に向かいながら、暁風が半歩後ろを歩く。その距離が——護衛のそれではなく、寄り添う者のそれに変わっていることに、麗華は気づいていた。


 暁風が隣にいる。


 その事実が——今日は、いつもよりほんの少し、温かかった。


 厨房で鍋に湯を沸かし、干し肉を戻す。葱を刻む。残り飯を入れて弱火で煮る。雑炊の湯気が天井に白く立ちのぼり、厨房が温かくなった。


 二つの椀に盛り、卓に並べた。


 暁風が一口食べて、箸が止まった。


「……旨い」


「知ってるわ」


 二人の食卓に、夕暮れの最後の光が差し込んでいた。


 翠微が厨房に顔を出した。


「先生、暁風さん。あたしの分もありますか」


「あるわよ。座りなさい」


 翠微が三つ目の椀を持って卓についた。雑炊を一口食べて、ぱっと顔が輝く。


「美味しい。干し肉の出汁が効いてる」


「葱をもう少し入れたかったのだけれど、切らしてしまって」


「十分ですよ。——先生の料理は、何を食べても温かいんです」


 翠微がもう一口。暁風がもう一口。二人の食べっぷりを見ながら、麗華は自分の椀にも箸をつけた。


 雑炊は質素だった。宮廷の料理人が見たら鼻で笑うような一品だ。残り飯と干し肉と葱。それだけ。


 だがこの食卓には、三人がいる。暁風がいて、翠微がいて、麗華がいる。それだけで——十分に温かい。


(承乾の条件は受け入れた。暁風は忠義を再定義した。翠微は成長している。春蘭は鳳凰領を守っている。祖父は眠っている。そして私は——)


 麗華は椀を持ち上げ、最後の一口を啜った。


(建て直す道を——選んだ)


 厨房の小さな窓から、最後の夕日が消えていった。代わりに、灯台の火が三人の顔を照らしている。


 明日から——新しい旅路が始まる。暁風と、翠微と、共に。


 灯台の火が、静かに揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。