条件の提示
共闘の大枠が決まった後、麗華は条件の具体的な詰めに入った。
卓の上に帳面を広げ、筆を走らせる。墨の匂いが淡く漂い、筆先が紙の上を滑る音だけが室内に響いている。承乾は対面に座り、暁風が壁際で腕を組んでいる。朝の光が窓から差し込み、帳面の上に格子状の影を落としていた。
「共闘の条件を、改めて整理させてください」
「聞こう」
麗華は帳面を承乾に向けた。
「第一に、鳳凰領の自治権の保証。霊脈再生事業においても、鳳凰領は朝廷の直轄ではなく独立した協力者として参画します」
「承知した」
「第二に、地養術の伝承における主導権。誰に何を教え、どのように伝えるかの決定権は、私が持ちます」
「もっともだ。秘伝の持ち主が主導権を持つのは当然だ」
「第三に、霊脈再生の現場での指揮権。大規模な術の行使は極めて繊細な作業です。霊脈の状態は刻一刻と変わる。その場で判断を下せるのは、術を理解している者だけです。朝廷の文官が口を挟む余地はありません」
「——それは少し」
承乾が言い淀んだ。皇帝の顔に、為政者の慎重さが浮かぶ。
「朝廷の事業として行う以上、朝廷側の監督がないと——」
「監督は結構です。ただし指揮は私と翠微が執る。術を知らない人間が現場で口を出せば、事故が起きます。霊脈は生き物のようなもの——繊細で、気まぐれで、機嫌を損ねると百年は元に戻りません」
承乾は少し考えてから、頷いた。
「分かった。現場の指揮はお前に一任する。朝廷の監督は、暁風を通じて行う」
暁風が顔を上げた。
「俺が?」
「お前は両方を知っている。朝廷の立場も、鳳凰領の事情も。橋渡しは、お前にしかできん」
麗華が微かに微笑んだ。
「名案ですね。暁風殿なら——双方の信頼があります」
(それに、術の現場にいてくれるなら安心だわ。この人は術は使えないけれど、誰よりも私の体調の変化に気づく)
内心の声は口にしない。暁風は黙って頷いた。だが耳の先がほんの少し赤い。
「第四に、名誉回復。昨日お話しした通り、後宮復帰ではなく、対等な協力者としての地位を」
「済みだ」
「第五に、蘇家の残党処分の最終確定。蘇家が再び暗躍する余地を残さないこと」
「これも済みだ。蘇家の調査は継続中で、処分は確定させる」
麗華は帳面に目を落とした。五つの条件が整然と並んでいる。一つ一つが、三年間の戦いから生まれた結論だ。食糧で国を詰ませ、外交で隣国と渡り合い、荒地化と戦い、暗殺者を退け——その全てを経て辿り着いた「再建」のための条件。
「以上が主要な条件です。——復讐ではなく、再建のための実務的要件として、お受け取りください」
承乾が微笑んだ。
苦笑に近い微笑み。だがそこに侮蔑はなく、むしろ敬意が滲んでいる。
「相変わらず——いや、以前にも増して手強い」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒め言葉だ。朕が後宮にいた頃のお前は、もう少し遠慮があった」
「遠慮する理由がなくなりましたので」
(後宮では陛下の顔色を窺い、大臣の動向を探り、毎日が綱渡りだった。今は自分の土地に立っている。遠慮する必要などない)
暁風が口元を隠して咳払いをした。笑いを堪えている。
承乾は帳面を手に取り、条件を一つずつ確認した。
「自治権、伝承主導権、現場指揮権、名誉回復、蘇家処分。——全て受け入れよう」
「本当ですか」
「本当だ。どの条件も合理的だ。朕が拒む理由がない」
麗華は少し拍子抜けした。もっと交渉になると思っていた。条件の一つ一つに対して反論が来る想定で、再反論まで準備していたのだが。
(この男——本当に変わった。三年前なら、趙文昌に相談してから返答する、と言ったはずだ。そして趙文昌が全ての条件を骨抜きにしただろう)
「では——合意、ということでよろしいですか」
「ああ。一つだけ、朕からも条件がある」
「何でしょう」
「霊脈再生が成功した暁には——鳳凰領の食卓を、もう一度朕に見せてくれ」
麗華は目を瞬いた。
「食卓を?」
「昨日の宴は、朕が久しぶりに味わった本物の食卓だった。あの白湯の鍋。翡翠粥。農家の娘が育てた蕪。あの食卓を——再建が終わった後に、もう一度」
麗華は微笑んだ。
「お安い御用です。——今度は翡翠粥だけでなく、もっと沢山ご用意しますから」
「楽しみにしている」
合意が成立した。
午後の日差しが窓から差し込み、卓の上の帳面を照らしていた。
条件の文字が、光の中で黄金色に輝いて見えた。五つの条件と一つの約束。六つの言葉が、新しい瑛朝の土台になる。
春蘭が茶を運んできた。鳳凰領の山茶と、翠微が作った蒸し饅頭。饅頭は丸く膨らんでいて、割ると中から干し肉と葱の餡が出てくる。農家の保存食を応用した翠微の創作料理だ。
「翠微の作か」
暁風が饅頭を手に取った。一口齧って、目を見開く。
「旨い」
「翠微の料理の腕も上がったわ」
承乾も饅頭に手を伸ばした。
「素朴だが——滋味がある。宮廷の菓子師より、よほど」
「陛下。宮廷に戻ったら、菓子師にそう言ってはいけませんよ」
「分かっている。だが事実だ」
暁風が二つ目の饅頭に手を出した。承乾も三つ目に手を伸ばす。
麗華は二人の食べっぷりを見て、微笑んだ。
(翠微に伝えたら、喜ぶわね。皇帝と将軍が饅頭を取り合ったと)
茶を啜りながら、麗華は帳面を巻いた。
合意は成った。条件は決まった。
あとは——実行するだけだ。
午後の陽が傾き始めていた。窓から差す光が橙色に変わり、承乾の筆跡を温かく照らしている。墨が完全に乾いた帳面は、もう書き直せない。
書き直す必要はない。
これが——麗華と承乾が選んだ道だ。
蒸し饅頭の最後の一つを、暁風と承乾が同時に手を伸ばした。一瞬、二人の手が止まる。
「……どうぞ、陛下」
「いや、暁風が取れ」
麗華が饅頭を二つに割った。
「半分ずつ。——食卓では平等ですよ」




