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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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建て直す選択

 朝が来た。


 一睡もしていなかった。灯台の油は尽き、窓から差す朝日だけが書斎を照らしている。


 白紙は、まだ白いままだった。


 だが——麗華れいかの目に、迷いはなかった。


 夜の間に、何かが変わった。何かが定まった。言葉にはまだなっていないが、胸の奥で形を成しつつある。


 立ち上がった。身体が重い。一晩中座っていたせいで腰が痛む。指先が冷えている。


 廊下を歩いた。暁が染める廊下。柱の間から差す光が、床に長い縞模様を描いている。


 厨房に向かった。


 粥を炊こうと思った。


 米を取り出した。鳳凰領ほうおうりょうの米。地養術ちようじゅつで育てた米だ。粒が大きく、光に透かすと微かに琥珀色を帯びている。この米が——荒地化で失われようとしている。


 米を研いだ。三回。水が澄むまで。


 鍋に入れ、水を注いだ。鳳凰領の井戸水。霊脈れいみゃくの恵みを微かに含んだ水。


 弱火にかけた。


 粥が炊ける音を聞きながら、厨房の窓辺に立った。


 朝日が畑を照らしている。黄金色の麦穂が風に揺れる。用水路の水がきらきらと光る。遠くで農夫がくわを担いで畑に向かう姿が見える。


 日常の風景。


 この風景が——消えようとしている。


 南を見れば、灰色の境界線がもう視界の端に入っている。あと三年。三年で、この黄金の畑も灰になる。


 粥が炊き上がった。


 蓋を取ると、白い湯気が立ちのぼった。米の甘い香りが厨房に広がる。


 何も入れない白粥だ。おかずも薬味もない。米と水だけの、最も素朴な食事。


 椀によそった。


 匙を手に取り、一口。


 米の甘みが舌に広がった。


 地養術で育てた米。鳳凰領の水で炊いた粥。この味の奥に、大地の力がある。霊脈が水に混じり、米に宿り、粥の一口一口に命を与えている。


 二口目。


(この味を——守りたい)


 素朴な願いだった。大きな理想ではない。国を救うとか、百年の因縁を清算するとか、そういう壮大なことではなく。


 ただ——この粥を、明日も炊けること。


 翠微すいびが「お腹すきました」と言いに来ること。暁風ぎょうふうが黙って食べて「旨い」と言うこと。


 三口目。


(この味を、もっと多くの人に届けたい)


 帝都の人々にも。荒地の向こうの村の人々にも。百年間、鳳凰領以外では食べられなかったこの味を。


 四口目。五口目。


 粥を食べ終えた。椀の底に、少しだけ粥が残っている。


 麗華は椀を持ち上げ、最後の一口まで飲み干した。


 一粒も残さなかった。


 椀を洗った。手を拭いた。


 書斎に戻った。


 窓から朝日が差し込んでいる。白紙が朝の光に照らされて、輝いて見えた。


 新しい紙を広げた。


 筆を取った。墨を含ませた。


 今度は——手が震えなかった。


 書いたのは、たった一行だった。


 ——私は、建て直す方を選ぶ。


 麗華はその一行を見つめた。


 壊す力がある。食糧で国を詰ませ、朝廷を崩壊させる力がある。三年間、その力を振るってきた。


 だがその力を——建て直すために使う。


 復讐を捨てるのではない。復讐の先に何があるかを見据えた上で、別の道を選ぶのだ。


(食は武器になった。帝都を詰ませた。権力者の食卓を空にした。それは私の選択であり、必要な戦いだった)


(でも食は——本来、命を繋ぐもの。粥の一口が身体を温め、一日を支え、生きる力を与える。食が持つ最も根源的な力は——壊すことではなく、生かすこと)


(荒地を前にして、私にできることは一つだけ。この大地をもう一度生き返らせること。そのために朝廷の力が要るなら——使う。信頼ではなく、必要性で。感情ではなく、食卓で)


 麗華は帳面を閉じ、書斎を出た。


 朝の廊下は静かだった。朝露の匂いがする。


 暁風が廊下の角に立っていた。いつからいたのか。朝の見回りの途中だろうか。


「暁風殿」


「起きていたか」


「一睡もしていないわ。——でも、答えが出た」


 暁風は麗華の顔を見た。


 一晩で変わった何か。目の奥に宿る決意。疲労の滲む顔に、だが曇りのない光。


 暁風は何も聞かなかった。ただ頷いた。


「行くか」


「ええ」


 二人は東の離れに向かった。


 客間の前で、暁風が足を止めた。


「中に入るか、俺は」


「外で待っていて。——これは、二人で話すべきことだから」


 暁風が頷いた。


 麗華は扉を開けた。


 承乾しょうけんは朝食の膳を前にして座っていた。白粥と漬物。質素な朝餉あさげだ。鳳凰領で出される食事に合わせたのか、帝都の華美な朝食ではない。


 麗華が入室すると、承乾は箸を置いた。


「答えは出たか」


「出ました」


 麗華は承乾の対面に座った。


 朝日が窓から差し込み、二人の間の卓を照らしている。承乾の朝食の粥から、まだ湯気が立ちのぼっていた。


 麗華は真っ直ぐに、皇帝の目を見た。


瑛承乾えいしょうけん


 初めて、名を呼んだ。陛下でも、皇帝でもなく。


 承乾の目が微かに見開かれた。


「私は三年間、この国の食卓を空にしてきました。あなたを詰ませるために。——それは私の選択であり、後悔はしていません」


「ああ」


「食糧で帝都を兵糧攻めにした。官糧を止め、品目を制限し、白米を消し、翡翠粥ひすいがゆを消した。三年間、あなたの朝廷から食を奪い続けた」


 承乾は黙って聞いていた。


「ですが、空の食卓の先に何があるか——私は、知っています」


 麗華の声は静かだった。怒りもなく、嘆きもなく。ただ、事実を語るように。


「幼い頃、祖父に連れられて鳳凰領の外に出たことがあります。荒地の端にある集落で、飢えた子供を見ました。腹が膨れ、手足が細く、目だけが大きい子供。——あの目を、忘れたことはありません」


「……」


「食べ物がなくなったとき、人がどうなるかを知っています。鳳家の娘として、食で国を支え続けてきた一族の末裔として——食の持つ力を、誰よりも知っています」


 一呼吸。


 麗華は背筋を伸ばした。


「私は、建て直す方を選びます」


 承乾の表情が動いた。


「朝廷を潰すことはいつでもできた。壊す力がある。三年間かけて証明した。でも壊した先に待っているのは、もっと多くの空の食卓です。もっと多くの、あの目をした子供たちです」


 麗華の声が、一段低くなった。


「だから——壊さない。建て直す。壊す力を持つ者が、あえて建て直すことを選ぶ。それが——私の答えです」


「……」


「瑛承乾。共に、この国を建て直しましょう」


 沈黙が落ちた。


 朝日が窓から差し込み、二人の間に光の筋を引いた。承乾の粥がもう冷めている。


 承乾が、ゆっくりと頷いた。


「——待っていた。その言葉を」


「待っていた?」


「ああ。お前が壊す方を選ぶ人間ではないことは、暁風の報告で知っていた。あいつの書簡を読めば分かる。お前が民を飢えさせない一線を守り続けたこと、食を武器にしながらも食そのものへの敬意を失わなかったこと——全て、書いてあった」


「暁風が——」


「だが——お前自身の口から聞きたかった。お前の言葉で。お前の声で」


 承乾が立ち上がった。


「共に建て直す。——約束しよう」


 二人は向き合った。


 三年前、皇帝と貴妃だった二人が——今、対等な立場で向き合っている。


 壊す力を持つ者が、建て直すことを選んだ朝。


 鳳凰領の窓の向こうで、灰色の大地の上にも朝日が差していた。


 荒地にも朝は来る。


 ——この国にも、もう一度朝が来る。


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