交渉の夜
交渉は三日目に入った。
大枠は合意しているが、具体的な条件の詰めには時間がかかる。
午前中は、霊脈再生事業の実務的な工程表の作成に費やした。麗華が計画を説明し、承乾が朝廷側の対応を確認し、暁風が双方の齟齬を調整する。
「まず、玄天閣の古文書の調査に二ヶ月。鳳家の秘伝との照合に一ヶ月。合わせて三ヶ月で再生手順を完成させます」
「三ヶ月か。朝廷の学士院から書物の扱いに長けた者を手配する」
「ありがたい。翠微一人では竹簡の整理に手が回りません」
「並行して、後継者の素質者を各地から招集する。素質の判定は麗華殿に一任するが、募集と移送は朝廷が負担する」
「結構です」
暁風が口を開いた。
「素質者の護衛も必要だ。荒地の拡大に伴い、野盗が増えている。各地からの移動は安全を確保しなければならん」
「暁風の言う通りだ。禁軍から護衛を出そう」
工程表が埋まっていく。技術的な問題、人員の手配、物資の輸送。一つずつ具体化していく。
午後は、名誉回復の形式について詰めた。
「廃妃の詔の撤回は、朝廷の正式な詔として布告する。同時に、鳳麗華を霊脈再生事業の最高責任者に任じる。——この形でいいか」
「任命という形は少し引っかかります。朝廷に任じられる、ということは朝廷の臣下になるということでは」
「では——招聘という形にする。朝廷が鳳麗華殿を招聘し、対等な立場で事業を主導していただく」
「それなら。ただし、招聘の文面に『鳳凰領の自治権を侵さない』旨を明記してください」
「分かった」
深夜まで議論が続いた。
暁風が何度か茶を入れ直し、翠微が夜食を持ってきた。干し柿と白湯。
「先生、暁風さん、皇帝陛下。夜食です」
「ありがたい」
承乾が干し柿を手に取った。
「甘いな。これは——」
「鳳凰領の干し柿です。秋に収穫した柿を、冬の間干して作ります」
「美味い」
翠微が嬉しそうに笑った。
「あたしの家で作ってるんです。おばあちゃんの代から」
「農家の知恵か」
「はい。鳳凰領の農家は、保存食が得意なんです。冬が長いですから」
承乾が干し柿を噛みながら、呟いた。
「この味は——宮廷にはない」
麗華が微笑んだ。
「宮廷の干し柿は、砂糖漬けにして甘みを足しますからね。素朴な甘みは——土から生まれるものです」
交渉は深夜に及んだ。
だが詰め切れない条件が一つ残った。
名誉回復の「形」だ。
廃妃の詔の撤回は合意した。だがそれだけでは、世間の認識は「廃妃が許された」に留まる。
「世間に対して、どう見せるかが問題です」
麗華が言った。
「私は後宮には戻らない。では何者として帝都に戻るのか。廃妃が許されただけでは——廃妃の烙印が消えるわけではありません」
承乾は黙った。
「それは——お前自身が決めることだ。朕が名前をつけるのではなく、お前が選ぶべきだ」
「私が選ぶ」
「ああ。お前は——廃妃ではなく、何者として帝都に来たいのか。その答えが、名誉回復の形になる」
麗華は考えた。
答えは——まだ出ない。
だが出るまで待つ。承乾はそう言った。
合意は近い。だが一つ——麗華自身の中で定まっていないものがある。
夜が更けていく。交渉の卓の上に、食べ終えた干し柿の種が並んでいた。
翠微が夜食の二皿目を持ってきた。今度は塩味の落花生と、蒸し芋だ。蒸し芋は湯気を立てており、割ると中から黄金色のほくほくした実が現れた。
「翠微。いつの間に芋を蒸したの」
「先生たちが長引きそうだったので。お芋は脳に良いって、おばあちゃんが言ってました」
承乾が蒸し芋を手に取った。
「これは——」
「鳳凰領の紅芋です。地養術で育てた芋は甘みが違うんです」
一口齧って、承乾が目を見開いた。
「……甘い。砂糖は使っていないのか」
「使ってません。土の力だけです」
翠微が誇らしげに胸を張った。承乾は二口目を齧りながら、なにやら感慨深げな顔をしている。宮廷の菓子師が何日もかけて作る甘味と、農家の娘が蒸しただけの芋が——同じ皇帝の口に入っている。
麗華は干し柿の種を卓の端に並べながら、交渉の残り部分を頭の中で整理していた。
(名誉回復の形。これが一番難しい。廃妃の詔を撤回するだけでは、世間の認識は変わらない。「許された廃妃」ではなく——何者として帝都に立つのか。その答えを出さなければ)
暁風が三杯目の茶を注いだ。深夜の茶は苦みが強い。だがその苦みが、眠気を払い、思考を鋭くする。
「麗華殿。名誉回復の形を、もう少し詰めましょう」
承乾が蒸し芋を食べ終え、指先についた澱粉を拭いながら言った。皇帝の手が——農家の芋で汚れている。三年前なら考えられない光景だ。
「ええ。これが最後の難題です」
夜が更ける。干し柿の種が一列に並び、茶の湯気が天井に溶けていく。交渉はまだ終わらない。だが食べ物がある限り——人は話し続けられる。
麗華は四つ目の干し柿に手を伸ばした。
名誉回復の「形」——それは、世間に対してどう見せるかの問題だ。
廃妃の詔が撤回される。それは決まった。だが世間の目は単純だ。「廃妃が許された」「後宮に戻れる」——そう受け取られれば、麗華が三年間築き上げたものは「皇帝の恩赦」に矮小化される。
そうではない。
麗華は自分の足で立っている。皇帝に許されたから帝都に行くのではない。自分の意志で、自分の力で、この国を建て直すために行く。
(答えは明日出す。今夜は——この芋のように、じっくり蒸して考えるわ)
窓の外で、鳳凰領の月が雲に隠れては現れを繰り返していた。明けない夜はない。答えの出ない夜も——ない。
暁風が席を立ち、窓を閉めた。夜気が冷え込んできたのだ。
「身体を冷やすな」
「ありがとう」
この男は、いつもこうだ。言葉は少ないが、行動で気遣う。蒸し芋の温もりが、まだ掌に残っていた。
夜は深く——交渉の灯は、まだ消えない。




