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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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荒地化の報告

 食卓を片付け、麗華は卓の上に翠微が作成した地図を広げた。


 鳳凰領の全域を描いた地図だ。緑色で塗られた農地と、灰色で塗られた荒地。三年前と現在の比較が一目で分かるよう、翠微が丁寧に色分けしたものだった。緑と灰の境界線には、月ごとの日付が書き込まれている。侵食の速度を目で追えるようにした工夫だ。翠微が半年かけて足で歩き、手で触れ、耳で聴いて描いた地図である。


「これが現状です」


 承乾は地図に目を落とした。表情が変わった。宴席で穏やかだった瞳に、為政者の鋭さが戻る。


「南部が——全て灰色だ」


「はい。南部の穀倉地帯は一年前に完全に荒地化しました。あの地域はかつて鳳凰領で最も実り豊かな土地でした。秋になれば一面の黄金色で——農夫たちが刈り入れの歌を歌っていた場所です」


 麗華の声は淡々としていたが、右手の人差し指が左手首の内側を無意識に撫でた。怒りを感じたときの癖だ。怒りではなく——悲しみかもしれない。


「現在、侵食は中部にまで及んでいます」


 麗華は指で境界線をなぞった。爪先が灰色と緑の間を滑っていく。


「この線が、荒地と農地の境界です。一日にわずかずつ、北に向かって動いています」


「進行速度は」


「月に約一里。このまま放置すれば、三年以内に鳳凰領の中心部——つまり、この屋敷のある場所にまで達します」


 承乾の顔が青ざめた。先ほどまでの食卓の温もりが、嘘のようだった。


「三年——」


「鳳凰領が荒地に呑まれれば、瑛朝で穀物が採れる土地はなくなります。備蓄がどれほどあろうと——食糧は有限です」


 麗華は地図の上で指を止めた。灰色の部分に触れる。その指先がほんの微かに震えているのを、承乾は見逃さなかった。


「それだけではありません」


 麗華は別の帳面を開いた。翠微の調査記録と、老太爺の証言を照合してまとめた分析だ。


「老太爺の証言と、北の遊牧国家の伝承、そして趙文昌から押収した文書。三つの情報源が一致しました。——百年前の霊脈震は、人為的なものでした」


「人為的——」


 承乾の声が掠れた。暁風が壁際で微かに身じろぎした。


「百年前、鳳家の先代当主が霊脈を鳳凰領に集中させる大規模操作を行いました。蘇家の先代に唆されてのことです。その操作が失敗し、霊脈ネットワークが断裂。結果として国土の大半が荒地化しました」


 承乾は無言だった。灯台の火が微かに揺れ、壁に映る影が歪む。


「さらに——霊脈震には百年の周期があることが判明しています。次の周期が、数年以内に訪れます。放置すれば、残された農地——鳳凰領を含むすべての農地が荒地に呑まれます」


「待て」


 承乾が身を乗り出した。


「百年前の災害が……人為的だと?」


「はい」


「鳳家と蘇家が——」


「どちらも同罪です。鳳家は野心に負けて術を行使し、蘇家はそれを唆した。百年間の対立は、罪の隠蔽に根ざしていました」


 その言葉を口にするとき、麗華の声はどこまでも平坦だった。自分の一族の罪を語る痛みを、冷静さで包み込んでいる。だが暁風には分かっていた。この数日間、麗華がどれほど苦しんでこの真実を受け入れたかを。


 承乾は椅子の背に身を預けた。


 しばらく天井を見つめていた。灯台の火が天井に小さな光の輪を描いている。先ほどまで翡翠粥を味わっていた皇帝の顔に、深い疲労と衝撃が刻まれていた。


「……つまり、この荒地は——天災ではなく、人災だった」


「その通りです」


「そして今、その人災が再び訪れようとしている」


「はい」


 承乾は地図をもう一度見た。灰色に塗られた南部。三年前は緑だった場所。そこに住んでいた農夫たちは今、鳳凰領の中部に押し込められるようにして暮らしている。


「解決策は——あるのか」


 麗華は頷いた。


「あります。地養術には『育てる力』のほかに、『治す力』——断裂した霊脈を再接続する力があります。翠微がその素質を持っています。ただし、大規模に実行するには」


「何が要る」


「二つ。一つは、朝廷の玄天閣に保管されている古文書。百年前の霊脈操作の技術的詳細が記されています。これと鳳家の秘伝を合わせれば、霊脈再生の手順が完成します」


「もう一つは」


「複数の術者です。地養術を使える者を一人でも多く育てなければ、国土全体の霊脈を再接続することはできません。つまり——鳳家の秘伝を、公開しなければなりません」


 承乾の目が見開かれた。


「秘伝の公開——百年間守ってきたものを」


「ええ。守ったまま滅ぶか、開いて生き延びるか。——その選択です」


 沈黙が落ちた。窓の外から虫の音が聞こえた。鳳凰領の夜は静かだ。この静けさの下で、大地が日々死んでいく。


 暁風が壁際で腕を組んだまま、黙って二人の対話を見守っている。将軍の顔は動かないが、握りしめた拳の関節が白い。


 承乾がゆっくりと口を開いた。


「百年前の災害が……人為的だったとは」


 その声に、怒りはなかった。


 あるのは——衝撃と、そして決意の萌芽だった。


 春蘭が音もなく茶を運んできた。鳳凰領の山で採れる野草の茶だ。素朴な苦みの中に、ほのかな甘みがある。疲れた身体に沁みる味だった。


 承乾が茶碗を手に取った。先ほどの翡翠粥と同じ手つきで——だが、その手はもう穏やかではなかった。微かに震えている。


 百年前の真実を知った皇帝の手が、茶碗を握りしめている。


 麗華は黙って待った。


 ここから先は、承乾が自分の言葉で語るべきだ。食卓で共有した温もりの余韻が、二人の間にある。その余韻が——冷たい真実を受け止める緩衝材になることを、麗華は知っていた。


 食卓は、こういう場所だ。


 温かいものを分け合った後だからこそ、冷たい話を聞ける。満たされた腹が、心の余裕を作る。


(食で人を繋ぐ。それが——私のやり方よ)


 灯台の火が揺れた。承乾の影が壁で大きく揺れ、また小さくなった。


 夜が、深くなっていく。


 窓の外で、鳳凰領の夜鳥が一声鳴いた。その声が闇に溶けるように消えていく。


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