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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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皇帝の膝

 宴の前に、皇帝が面会を求めてきた。


 東の離れの客間。障子越しの午後の光が室内を柔らかく照らし、卓の上に置かれた茶碗から湯気が細く立ちのぼっている。春蘭が淹れた鳳凰領の緑茶だ。澄んだ黄緑色の液体は、後宮の高級茶とは違う——土の匂いを微かに含んだ、素朴で力強い味わいだ。


 承乾は卓の向こうに座り、麗華は対面に座った。暁風は扉の外に控えている。扉越しに暁風の気配を感じながら、麗華は承乾と向き合った。


 二人きりだった。


「麗華。話がある」


「はい」


 承乾は姿勢を正した。旅装から着替えた紺色の常服は仕立てがよく、痩せた身体を品良く包んでいる。


 そして——膝を折った。


 麗華は目を見張った。


 皇帝が、膝を折っている。


 座った状態から、さらに深く頭を下げる。額が卓のすぐ手前まで下がった。黒髪を結い上げた冠が卓の縁にかすかに触れ、衣擦れの音が静寂の中に響いた。


「陛下——」


「朕が間違っていた」


 声は低く、だが明瞭だった。震えてはいない。用意してきた言葉ではなく——腹の底から絞り出された言葉だった。


「廃妃の詔は朕の過ちだった。蘇家と趙文昌の偽証を見抜けなかった。いや——見抜こうとしなかった。疑えば朝廷の調査機構そのものを否定することになると、そう言い訳をして、目を閉じた」


 麗華は動けなかった。指先が僅かに冷たくなっていく。三年間、幾度となく想像した場面だった——この男が謝罪する姿を。だが実際に目の前にすると、想像とは全く違う感情が押し寄せてくる。


「あの夜——詔を下す前の三日間、朕は眠れなかった。疑念があった。だが三日の逡巡の末に、朕は保身を選んだ。お前を犠牲にして、朝廷の体面を守った」


 承乾が顔を上げた。


 その目に——後悔がある。生々しく、癒えていない後悔。三年間、この男の中で傷として残り続けてきた感情が、琥珀色の瞳の奥に揺れていた。目の下の隈がその深さを物語っている。三日間眠れなかったのは——あの夜だけではなかったのだ。


「朕がお前に与えた苦しみは、頭を下げて済むものではない。だがまず——朕が誤ったと、言わねばならなかった」


 沈黙が落ちた。客間の外で鳥が一声鳴き、遠くの畑で風が穂を揺らす音がかすかに聞こえた。


 麗華の胸の中で、三年分の感情がうねった。


 怒り。悲しみ。屈辱。そして——予想していなかった感情。


 皇帝の頭がこんなにも低く下がっている。かつて自分を切り捨てた男が、自らの過ちを認めている。権力の頂にある者が膝を折る重みを——麗華は知っている。後宮で三年、政の渦中にいた女は、この行為がどれほどの覚悟を要するか理解していた。


(——三日間、眠れなかった)


 知っていた。暁風からの密書で、以前に聞いていた。文字の上で読んだ事実だった。


 だが本人の口から聞くと、その言葉の重みが違う。文字と声では——温度が違う。


「陛下」


 麗華の声は、自分でも驚くほど静かだった。怒りの底を突き抜けた先にある、穏やかな声だった。


「お顔を上げてください」


 承乾が顔を上げた。


「三年間——恨みがなかったと言えば嘘になります」


「ああ」


「食糧で帝都を詰ませたとき、私は確かに復讐を楽しんでいました。あなたの食卓を寂しくすることが、痛快でした」


 承乾は何も言わなかった。ただ、真っ直ぐに麗華を見ていた。瞬きもせずに。受け止めている。言い訳をせず、弁明もせず、ただ——聞いている。かつて趙文昌の言葉に流されていた男とは、別の人間のように。


「翡翠粥が帝都の食卓から消えたと聞いたとき——正直に言えば、笑いました。あなたが好んでいた粥が消えた。それが嬉しかった」


 承乾の目が微かに揺れた。だが視線を逸らさなかった。


「でも今は——」


 麗華は一度、目を閉じた。瞼の裏に、鳳凰領の畑が浮かんだ。金色の穂と灰色の荒地。その境界線が、日ごとに近づいてくる。


「今は、それよりも大事なことがあります」


 目を開けた。


「陛下の謝罪は——受け止めました。許すかどうかは、これから先のあなた次第です」


 承乾がかすかに頷いた。


「厳しいな」


「当然です」


「……ああ。当然だ」


 承乾は膝を戻し、姿勢を正した。顔つきが変わった。感情から政務に切り替わる、為政者の顔だ。目元の柔らかさが消え、顎の線が引き締まった。


「では——本題に入ろう。荒地化の件だ」


「はい。ですがまず——宴の支度ができております」


 承乾が少し驚いた顔をした。


「宴?」


「食卓を囲みながら、話をしましょう。——私のやり方です」


 承乾の口元がかすかに緩んだ。


「お前はいつも——食で人を動かすな」


「食は命です。命を分かち合うのが、最も正直な対話ですから」


 麗華は立ち上がり、扉を開けた。


 廊下で待っていた暁風が、二人の顔を見て何かを察したようだった。暁風の目が麗華の表情を読み、次いで承乾の姿勢を見た。将軍の目だ。戦場で敵味方の意図を瞬時に読む、あの目。


「済んだか」


「ええ。——これからよ」


 宴の準備が整った厨房から、白湯パイタンの鍋の香りが漂ってきていた。八刻かけて煮出した鶏骨の出汁の、濃厚で甘い香り。鳳凰領の大地が育てた食材の匂いだ。


 その香りに——承乾が足を止めた。


「……いい匂いだ」


 小さな呟き。帝都の宮廷では決して嗅ぐことのない、土の匂いを含んだ食の香り。宮廷の宴では香辛料と油の匂いが先に立つ。だが鳳凰領の食卓は——素材そのものの香りが主役だ。


 鶏骨の出汁の甘み。新米を炊く蒸気の清涼さ。蕪を切ったときの瑞々しい青い香り。そして翡翠粥を仕上げる胡麻油の、ほんのひと筋の芳ばしさ。


 それら全てが——廊下に漂い、承乾の足を止めた。


 食で人を動かす。食で意思を示す。食で——対話を始める。


 麗華は微笑んだ。


 食卓の準備は——整った。


 謝罪は受け止めた。許しはまだ出さない。だがここから先は——食卓が語る。


 三年前に空にした食卓を、今度は自らの手で満たす。


 それが——鳳麗華の答えだ。


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