再会
皇帝が鳳凰領に到着したのは、五日後の昼過ぎだった。
供回りは確かに最小限だった。近衛兵が四名と、文官が一名。皇帝にしては考えられない少人数だ。帝都からの行幸であれば通常は百名を超える随員が付き、街道筋の宿場を事前に押さえ、行列の先触れが半日前から走る。それが——六名。馬車一台と馬五頭。街道を行く商人の一団と変わらない規模だった。
麗華は本邸の正門前で待っていた。
正式な迎賓の装い。廃妃後はほとんど着ることのなかった深紅の絹の交領袍に、鳳家の紋章を織り込んだ帯を締めている。袍の裾には鳳凰紋の地紋が微かに浮かび、陽光を受けると金糸が淡く輝いた。簡素な銀の簪を一本。後宮時代の金の鳳凰簪は箱の中に眠っているが、今日はあえて選ばなかった。あの簪は——過去の自分のものだ。
暁風が右斜め後ろに立ち、春蘭が左後方に控えている。暁風は正装の軍袍に鱗甲の胸当て。腰に長剣を佩いている。将軍の装いだが、今日は護衛としてではなく——橋渡し役としてここにいる。
馬車が門前に止まった。
車輪が石畳の上で軋む音がして、馬の鼻息が白く上がった。初夏とはいえ、鳳凰領の高地は帝都より涼しい。
扉が開き、皇帝が降り立った。
麗華は息を呑んだ。
三年ぶりの瑛承乾。
変わっていた。
後宮で見た青年——聡明だが迷いの多い、少年の面影を残した皇帝の姿はそこにはなかった。
痩せていた。頬がこけ、目の下に隈がある。食糧危機と政治の重圧が、二十五歳の帝王を削り取ったのだろう。龍の意匠が施された黒の旅装は仕立てこそ上等だが、身体に対して僅かに大きく、痩身を際立たせていた。だがその目には、以前にはなかった光がある。
迷いのない目。自分の足で立っている者の目だ。
瞳の奥に——覚悟が宿っている。かつての繊細な琥珀色の瞳は変わらないが、そこに宿る感情の質が根本的に異なっていた。
「——久しいな、麗華」
皇帝の第一声は、驚くほど静かだった。
威厳を示す口調でも、謝罪を込めた低い声でもない。ただ静かに、事実を述べるように。声は以前より低くなっていた。少年の澄んだ声ではなく、為政者の落ち着いた声だ。
「お久しぶりでございます、陛下」
麗華は頭を下げた。後宮仕込みの完璧な礼。背筋を伸ばしたまま、深く、だが品格を失わずに。
顔を上げたとき、二人の目が合った。
三年間の歳月が、その視線の間に凝縮されていた。
かつて後宮で向き合ったときとは、全てが違う。あのときの麗華は貴妃で、承乾は皇帝で、二人の間には身分と権力と政略が横たわっていた。
今、麗華は廃妃であり鳳凰領の主。承乾は自ら臣下の領地に赴いた皇帝。立場が変わった。いや——二人とも、変わったのだ。
「鳳凰領に、ようこそお越しくださいました」
「領地が広い。門から見える風景は——」
承乾が視線を南に向けた。その視線の先に——灰色の大地が見える。鳳凰領の緑と荒地の灰色が、はっきりとした境界線を描いていた。
「報告の通りだな」
「はい。南部は全て荒地に沈みました」
「……朕の目で見たかった。見なければならなかった」
承乾は再び麗華を見た。目を細め、麗華の装いと表情を確かめるように見つめた。
「お前も変わったな、麗華」
「陛下も」
「どう変わった」
「お強くなられた」
承乾は一瞬だけ目を伏せた。長い睫毛が影を落とす。後宮時代と変わらない癖だ——考え込むときに目を伏せ、長い睫毛が頬に影を作る。白磁のように白かった肌にはうっすらと旅の日焼けが載り、手指の長さは変わらないが、握り方が違っていた。かつての書と棋に秀でた繊細な手は——為政の重みを知った手になっていた。
「……強くならざるを得なかった。趙文昌を失ってから——いや、趙文昌に頼っていたことを恥じてから、朕は自分の足で立つことにした」
「それは——良いことです」
「良いかどうかは分からん。だが必要なことだった」
暁風が進み出た。
「陛下。長旅でお疲れでしょう。お部屋にご案内します」
承乾が暁風を見た。旧友の目だった。
「暁風か。——変わらんな、お前は」
「変わりました。少しは」
「そうか」
承乾の目が、暁風と麗華の間を一瞬だけ行き来した。何かを察したような気配があったが、口には出さなかった。その目の動きは鋭かったが——深追いはしない。聡明な男だ。察しはつけても、言葉にはしない。
皇帝一行は東の離れに案内された。春蘭が心を砕いた準備が功を奏して、離れの室内は簡素だが品のある空間に仕上がっていた。菊枕の香りが漂い、障子越しの光が柔らかく室内を満たしている。壁に掛けた一幅の山水画は、鳳凰領の南嶺を描いたもので——今は荒地に沈んだ山々が、かつての翠緑を湛えている。承乾はその画を見て、小さく息をついた。その一息に、何かを察する聡明さを麗華は感じ取った。
麗華は正門に残り、南の空を見た。
灰色の大地の上に、雲が流れている。雲の影が荒地を渡っていく。緑のない大地に落ちる影は、まるで大地に穴が開いているように見えた。
(あの男は——変わった)
少年の躊躇は消えていた。為政者の覚悟が、痩せた身体の奥に宿っている。
(ならば——話ができるかもしれない)
風が吹いた。畑の方角から、土と穀物の匂いが届いた。
麗華は踵を返し、厨房に向かった。
宴の支度が、待っている。白湯の鍋は今朝から煮込み始めている。八刻かけた出汁が乳白色に仕上がる頃には——宴の時間だ。
深紅の交領袍の裾が、廊下の上を静かに滑っていった。
厨房に入ると、白湯の鍋がぐつぐつと煮えていた。乳白色の出汁の表面に、小さな泡が無数に浮かんでは消えている。鶏骨の旨味が溶け出した芳醇な香りが厨房を満たし、梁の木にまで染み込んでいるかのようだった。
麗華は鍋の蓋を開け、匙で出汁を掬い、唇に当てた。
濃厚だが、くどくない。鶏の骨髄から滲み出た膠質が出汁にとろみを与え、舌の上を滑るように広がっていく。あと一刻ほど煮込めば、理想の仕上がりになるだろう。
(この味で——あの男を迎える)
匙を置き、野菜の仕込みに取りかかった。白菜の外葉を落とし、蕪の皮を剥く。蓮根を輪切りにすると、切り口から澄んだ汁が滴った。どの食材も鳳凰領の畑で育ったものだ。荒地に囲まれながらも、地養術で守り続けた畑の恵み。
三年前、この食材を武器にした。
今日は——この食材で、人を迎える。
同じ食材だ。同じ畑だ。
だが込める意味が——違う。
麗華は蕪を薄く切りながら、微笑んだ。
宴の準備は——整いつつある。




