返書を待つ
書簡を送ってから、麗華は眠れない夜を過ごした。
一日目。荒地化の進行報告が届く。南部の穀倉地帯は完全に灰色に沈んだ。中部の茶畑にも侵食が始まっている。翠微が荒地の境界線で「治す力」を使い、侵食を遅らせようとしているが、一人では焼け石に水だ。翠微は毎朝日の出とともに荒地に出かけ、日暮れまで境界線に手を当て続けている。帰ってくると足元がふらつき、春蘭に支えられて椅子に座り込む。それでも「まだ息をしてます」と報告する目だけは、力強い。
二日目。翠微が荒地の端で新たな霊脈の微弱反応を検知した。「まだ息をしています」と報告する翠微の顔には、疲労と希望が同居していた。目の下に隈があるが、瞳は明るい。荒地の土で汚れた手を洗う暇もなく、報告書を広げて説明する。報告書の字がいつもより乱れている。疲れで筆に力が入らないのだ。だが内容は的確だった。
暁風は南部の巡回を続けている。荒地化の最前線で領民の避難計画を整備し、灰色に呑まれつつある農地から作物を救出する作業を指揮していた。将軍としての本領が、ここでも発揮されている。領民を動かし、物資を配分し、混乱を抑える。戦場の指揮と同じだ。敵が人でなく荒地であることを除けば。暁風が南部から持ち帰る報告の数字は、毎日少しずつ悪くなっていた。救出できる作物の量が減り、避難が必要な農家の数が増えている。
三日目の夜。
麗華は一人で茶を淹れた。
鳳凰領の山茶。残りの茶葉が少なくなっている。荒地化が中部の茶畑にまで及んでおり、今年の新茶は昨年の半分しか採れなかった。来年はさらに減る。再来年には——ないかもしれない。茶筒を開けると、底に指二本分ほどしか残っていない。青い茶葉の香りが蓋の裏側に残っている。この香りも、やがて記憶の中だけのものになるのか。
湯を沸かした。鉄瓶の中で水が沸騰する音。ごぽごぽと泡立つ音が、静かな厨房に響く。夜の厨房は冷えていて、鉄瓶の蒸気が白く立ちのぼった。蒸気が天井に届き、梁の木肌を湿らせる。竈の残り火が赤く明滅し、厨房の壁に揺れる影を落としていた。
蓋碗に茶葉を入れ、湯を注いだ。蓋をずらして、香りを聞いた。
青く澄んだ香り。ほのかな甘み。鳳凰領の山の清水で育った茶葉だけが持つ、この穏やかな余韻。渋みがほとんどなく、飲み終わった後に口の中に残る甘さが長い。喉の奥で香りがほどけ、鼻腔にふわりと戻ってくる。一煎目特有の華やかさが、夜の厨房に小さな花を咲かせたように漂う。
一口啜った。身体に沁みる温かさ。舌の上で茶が転がり、甘みが広がり、喉に落ちていく。胃の底にぽとりと温もりが灯る。
(この香りを——守りたい)
大きな理由はいくらでもある。国の存亡。民の暮らし。百年の因縁の清算。
だが、今、麗華の胸にあるのはもっと小さなことだ。
この茶を、明日も飲めること。翠微が荒地の調査から帰ってきたときに「先生、お腹すきました」と言えること。暁風が黙って粥を食べて「旨い」と言うこと。春蘭が「お嬢様の麻婆豆腐は辛すぎます」と眉をひそめること。
日常の——ささやかな食卓。
(それを守るために、私は書簡を送った)
茶が冷める前に飲み干した。底に残った茶殻が、碗の中でかすかに緑を帯びている。この緑が、鳳凰領の最後の色にならないように。茶殻の葉が碗の底で渦を描き、水面にゆっくりと沈んでいく。
三日目の夜が更けていく。
灯台の火を細くして、麗華は窓際に立った。
星が出ている。鳳凰領の空は、帝都よりも星が多い。一面に散りばめられた光の粒が、灰色の大地の上にも平等に輝いている。天の川が淡い帯になって南北に架かり、その中に大小の星が砂粒のように散らばっている。
(返書が来なかったら——)
その可能性を考えた。皇帝が書簡を無視する可能性。朝廷が協力を拒否する可能性。あるいは、条件を吊り上げてくる可能性。
どの場合にも、対応策は考えてある。麗華は三年間、常に三手先を読んできた。最悪の場合、鳳家の秘伝と翠微の力だけで、境界線の防衛を続けながら朝廷に圧力をかける。食糧支配はまだ有効だ。
だが——
(返書が来ることを、祈っている自分がいる)
祈り。麗華らしくない言葉だ。食糧で帝国を詰ませた女に、祈りは似合わない。
それでも、今夜の麗華は——祈っていた。星に向かってではなく、この大地に向かって。まだ息をしている大地に。翠微が「まだ聞こえます」と言い続けてくれる限り、この大地はまだ生きている。
四日目の朝が来た。
東の門から早馬の蹄の音が聞こえたとき、麗華は厨房で朝粥を炊いていた。いつもの朝の習慣だ。米を研ぎ、水に浸し、弱火にかける。竈の前に立ち、粥が煮える音を聞いている。ぽこぽこという低い音。鳳凰領の朝の、穏やかな音。米が膨らみ、澱粉が溶け出して粥が白く濁っていく。今朝の粥には、小さく切った芋を入れた。翠微の干し芋の残りを水で戻して刻んだものだ。芋の甘みが粥に溶け出し、ほんのりと黄色みを帯びた粥になる。
春蘭が駆け込んできた。いつも冷静な春蘭が、小走りで。帳面を胸に抱えたまま、髪が乱れるのも構わず。
「お嬢様。帝都から——早馬です」
麗華の手が止まった。粥の鍋から湯気が立ちのぼっている。白い湯気が朝日に照らされて、金色に輝いていた。木杓子を握った手が、そのまま動かない。
「……いつ発ったの」
「昨日の払暁だと。途中、駅を三つ乗り継いでの急使です」
書簡を送ってから、わずか三日後。駅を三つ乗り継いでの急使。
それは——皇帝が書簡を読んですぐに返書を書いたことを意味する。一日も置かずに。急使を仕立てるほどの速さで。三日という日数は、帝都と鳳凰領の距離を考えれば、ほぼ最速だ。皇帝は書簡を受け取ったその日のうちに返書を認めたことになる。
麗華は粥の火を止めた。鍋の中で粥がぐつぐつと最後の泡を立て、静かになった。芋の甘い匂いが厨房に残る。
「お嬢様。……手が震えていますよ」
「知ってる」
麗華は厨房を出て、門に向かった。
朝の風が顔に当たった。鳳凰領の風。まだ緑の匂いを運んでくる風。麦の香りと、朝露の匂いと、遠くの山茶の微かな青い香り。四つの匂いが混じり合って、鳳凰領の朝の空気を作っている。まだ——この空気がある。
早馬が門前に止まっていた。使者が鳳家の門番に皇帝の封書を手渡している。黄色い封蝋に、龍の紋章が押されていた。皇帝の親書だ。宰相や官吏の文書ではない。皇帝自身の手で封じられた書簡。黄色い蝋の上で、龍が鱗の一枚一枚まで精緻に刻まれている。
帝都からの早馬が、鳳凰領の門に現れた日。
それは書簡を送ってから、わずか三日後だった。
麗華は封書を受け取った。手が震えている。だが——受け取った。黄色い封蝋の龍紋章が、朝日を受けて光っている。封書の重み。紙と蝋と墨の重み。それ以上の——この書簡に込められた何かの重みが、掌に伝わった。
厨房に置いてきた粥が、ぬるくなっている頃だろう。芋入りの粥。甘い匂いが、まだ廊下に漂っている。
だが今は——粥より先に、読まなければならないものがある。




