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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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秘伝の核心へ

 老太爺ろうたいや麗華れいかを呼んだのは、容態が悪化してから五日目の朝だった。


「麗華。——話がある。座ってくれ」


 老太爺の声は弱かったが、目には力が戻っていた。曇っていた瞳が澄み、麗華を真っ直ぐに見ている。これが最後の力かもしれないと、麗華にはわかった。蝋燭の炎が消える直前に一度大きく揺らめくように——命が最後に力を集めている。頬にわずかに赤みが差し、それがかえって痛々しかった。


 寝台のそばに座る。春蘭しゅんらんが筆記の準備をして部屋の隅に控えた。帳面を開き、墨を磨り、筆を構えている。一字も漏らすまいという覚悟が、春蘭の背筋に表れていた。すずりの上で墨が滑る音が、かすかに響く。翠微すいびも呼ばれ、入り口近くに座った。膝の上で手を組み、唇を結んでいる。


「これから話すのは——鳳家ほうけ地養術ちようじゅつの最も深い部分じゃ」


 老太爺は一つ、深く息を吸った。その息が肺の底まで届くのに時間がかかった。以前は一瞬で済んだ呼吸が、今は三拍かかる。胸が大きく上下し、骨の浮いた肋が布団の下で動いた。喉仏が動き、唾を飲み込む音が聞こえた。


「先日、地養術には三つの力があると言った。育てる力。治す力。そして——繋ぐ力」


「はい」


「育てる力と治す力は、個人の素質で使える。じゃが三つ目の『繋ぐ力』は——個人の力ではない。複数の術者が協力し、霊脈れいみゃくネットワーク全体に働きかける術じゃ」


「複数の術者」


「うむ。百年前——父が行った大規模操作も、本来はこの『繋ぐ力』の応用じゃった。霊脈の流れを変え、特定の地点に集中させる。だが父は術の制御を誤り——ネットワーク全体が断裂した」


 老太爺が咳き込んだ。乾いた、痰の絡まない咳だった。肺の奥から絞り出すような音。体が痙攣するたびに寝台が軋み、布団がずれる。春蘭が水を差し出し、老太爺が一口含んだ。水が唇を湿らせ、白い髭に滴が残った。春蘭が布で拭った。丁寧に、優しく。指先に力を込めず、老人の薄い皮膚を傷つけぬよう。


「逆に言えば——断裂した霊脈を再び繋ぎ直すのも、『繋ぐ力』の応用じゃ。ただし操作の方向が逆。集中させるのではなく——分散させ、調和させる」


「断たれた霊脈を繋ぎ直す。それが——鳳家の地養術の本質ですか」


「そうじゃ。鳳家の地養術の本質は——断たれた霊脈を、繋ぎ直す術だ」


 老太爺の声に、力が込められた。弱々しい声の中に、鳳家の当主として——地養術の継承者として——最後に残された確信が、はっきりと響いた。部屋の空気が変わった。老太爺の言葉が、部屋を満たしている。窓から差し込む朝の光が、老太爺の顔に落ちて、皺の一つ一つに影を刻んだ。


「『育てる力』は応用。作物を育てるのは、霊脈の力の末端利用に過ぎぬ。地養術の本来の目的は——大地の霊脈を健全に保ち、断裂があれば修復すること。それが鳳家の始祖から受け継がれてきた使命じゃった」


「使命」


「百年前の父は、その使命を忘れた。大地を守るために——大地を壊した。本末転倒じゃ」


 老太爺の目から涙が落ちた。一筋の涙が皺を伝い、枕に染みを作った。だがすぐに目を拭い、続けた。もう止まれないのだ。残された力の全てを、この言葉に注いでいる。声が震え、唇が乾き、だが目だけは揺るがない。伝えなければならぬという意志が、この老人を支えている。


「麗華。霊脈再生の術式は——育てる力を持つ者と、治す力を持つ者が、同時に術を発動し、互いの力を繋ぎ合わせる。育てる者が力を注ぎ、治す者が断裂を修復し、その協力によって——ネットワーク全体が再び一つに繋がる」


「育てる力と治す力の——協力」


「そうじゃ。お前の力と、翠微の力。二つが合わされば——繋ぐ力になる」


 翠微が息を呑んだ。入り口から、身を乗り出すように聞いている。膝の上の手が握りしめられ、指先が白くなっていた。目が大きく見開かれ、その奥に光が宿っている。


「あたしの力と、先生の力が——」


「お前たち二人は——ついじゃ。育てる者と治す者。二人がいなければ、繋ぐ力は発動しない」


 部屋が静まり返った。春蘭の筆が止まっている。春蘭ですら、この言葉の重みに息を呑んだのだ。帳面の上で墨が乾いていく。


 老太爺は目を閉じた。疲労が顔に出ている。皮膚が一段と薄く見え、血管が透けている。こめかみの血管が青く浮き、額に脂汗が浮いている。だが——まだ話すべきことがある。


「具体的な術式の手順は——わしの知る範囲では、ここまでじゃ。これ以上の詳細は——」


「朝廷の古文書にある」


「うむ。鳳家の伝書と、朝廷の古文書。この二つを合わせなければ——完全な術式にはならぬ」


 老太爺が再び咳き込んだ。声が弱くなっている。言葉の間の息継ぎが長くなり、目の焦点が時折ぼやける。枕元には薬湯の椀が置かれていたが、もう手をつけていない。薬湯の表面に膜が張り、苦い匂いだけが漂っていた。


「……すまぬ。もう少し話したいが——」


「十分です、祖父様。休んでください」


「麗華。——頼むぞ」


 その一言に、百年分の重みが乗っていた。鳳家代々の当主が抱えてきた使命。百年前の過ちの記憶。そして——孫娘への信頼。声は弱く、息は浅い。だがその四文字だけは、明瞭だった。


 麗華は頷いた。


「はい。——お任せください」


 老太爺の目が安堵で緩み、瞼が落ちた。呼吸が浅くなり、寝台の上で体が沈んでいく。安堵の表情だった。伝えるべきことを伝えた。不完全であっても、伝えようとした。その意志が——穏やかな眠りを許している。枕元の薬湯が冷めて、苦い匂いが部屋の隅に漂っていた。窓の外では鳥が鳴き、鳳凰領の昼の光が寝室に穏やかに差している。光が老太爺の顔に落ち、皺の影を淡く浮かび上がらせた。


 春蘭の筆が止まった。帳面を閉じ、そっと胸に抱いた。墨が乾ききっていない帳面の紙に、春蘭の体温が移る。


 老太爺の最後の講義が——終わった。


 部屋を出る三人の足音は、どれも静かだった。廊下の板がきしむ音さえ立てぬよう、爪先で歩く。翠微が立ち止まり、居室の方を一度振り返った。目が潤んでいたが、涙はこぼさなかった。唇を噛み、前を向いた。


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