祖父の衰え
老太爺の体調が、急速に悪化した。
告白から二週間。秘密を吐き出した直後は穏やかな表情だった老太爺だが、精神的な張りが解けたことで、抑え込んでいた身体の衰えが一気に表面化した。緊張の糸が切れた——という表現がこれほど似合う状況もない。百年の秘密を守り続けるために老太爺が費やしてきた気力は、想像を超えるものだったのだ。
朝、麗華が居室を訪ねると、老太爺は寝台から起き上がれなくなっていた。
「祖父様」
「ああ……麗華か。すまんな。今朝は——少し、動けぬ」
声がかすれている。昨日まではまだ半身を起こせたのに、今朝は枕に頭を沈めたまま目だけが動いている。肌に土気色が差し、かつて光っていた瞳が曇っている。頬がこけて、顎の骨が浮いていた。手をとると——冷たかった。節くれ立った指先に、血の気がない。脈を探ると、弱く不規則な拍動が指に触れた。
「医者を呼びます」
「いや——大したことは」
「祖父様。大したことあります」
麗華の声は静かだが、有無を言わせぬ鋭さがあった。老太爺は黙った。孫娘の声に、かつての自分の厳しさの反響を聞いたのかもしれない。
麗華は医者を呼んだ。鳳凰領で最も腕のいい医師が、すぐに駆けつけた。白髭の老医師で、鳳家に三十年仕えている。老太爺が当主だった頃からの付き合いだ。往診の鞄を片手に、老医師は足早に居室に入った。長年の経験が、急を要する容態を足音の速さで表していた。
診察は丁寧だった。脈を取り、舌を診て、胸に耳を当て、手足の温度を確かめた。老太爺は医師の手に委ねながら、薄く目を開けていた。診察の間、老太爺の視線は天井の梁をぼんやりと追っていた。梁に染みた茶色い跡を、何か思い出すように見つめている。この屋敷に住んで何十年になるのか。天井の木目一つ一つに、記憶が染みついているのだろう。
診察の後、医師は麗華を廊下に呼んだ。声をひそめ、周囲に人がいないことを確かめてから口を開いた。
「お嬢様。老太爺様は——長年にわたる気力の消耗と精神的負荷が、一気に体に出ています。ここ数日で急激に衰弱が進みました」
「……持ちますか」
「正直に申し上げます。予断を許さない状態です。養生すれば——少しは」
「少しは、というのは」
医師が言い淀んだ。その沈黙が答えだった。白髭の下の唇が、わずかに震えていた。三十年仕えた主家の長老に、これ以上を言う言葉が見つからないのだ。老医師の目の縁が赤くなり、視線が廊下の板の間に落ちた。
麗華は居室に戻った。
老太爺は寝台で薄く目を開けていた。天井の梁を見つめている——いや、梁の向こうの、見えない何かを見ている目だった。百年前の記憶か。それとも、もっと遠い何かか。瞳の焦点がどこにも合っていない。
「医者に何と言われた」
「養生すれば大丈夫だと」
「嘘が下手じゃのう、麗華。お前は皇帝を詰ませた女じゃろうに」
老太爺が薄く笑った。声は弱いが、知性は衰えていない。目元に皺が寄り、一瞬だけかつての鋭い祖父の表情が戻った。
麗華は椅子を寝台のそばに引き寄せ、座った。椅子の脚が床に擦れる音が、静かな部屋に響いた。
「祖父様。まだ聞きたいことがあります。地養術の三つ目の力——『繋ぐ力』の詳細。それから百年前の術式の具体的な手順」
「ああ……。伝えなければならぬことが、まだある。分かっておる」
「無理はしないでください。でも——時間が」
「分かっておるよ」
老太爺は目を閉じた。皺だらけの瞼が震え、睫毛の先に涙のような光が宿った。深い皺の間に、涙が吸い込まれていく。
「少し……休ませてくれ。午後には——」
「はい」
麗華は居室を出た。
廊下で、春蘭と翠微が待っていた。春蘭は帳面を胸に抱え、翠微は壁に背を預けて立っていた。二人とも、麗華の表情を見て、すぐに事態を悟った。
「お嬢様。老太爺様は——」
「急いで。祖父様の体力が持つうちに、秘伝の核心を聞き出さなければ」
「お嬢様。焦りすぎてはお身体に——」
「祖父様の体が先よ」
翠微が唇を噛んだ。目に涙が浮かんでいる。三つ編みの先を握りしめている。
「おじいさま……」
午後、麗華は老太爺の居室に戻った。粥を持って。
今日の粥には蓮の実を入れた。蓮の実は滋養に良い。ほくほくとした食感と淡い甘みが、弱った胃に優しい。麗華は厨房で自ら粥を仕上げた。米を丁寧に煮崩し、蓮の実を加えてさらに弱火で炊いた。蓮の実が崩れすぎないよう、火加減を見極める。匙に粥をすくうと、蓮の実の白い粒が米粒の中に見えた。粥の表面に薄い膜が張り、温かい米の香りが椀から立ちのぼっている。ほんのりと甘い湯気の中に、蓮の実の清らかな風味が混じっていた。
老太爺は粥を一口啜ったが、二口目は——手が止まった。匙を持つ手に力が入らず、粥が匙から滑り落ちそうになった。麗華がそっと手を添え、匙を支えた。祖父の手の上に孫娘の手が重なる。冷たい手と、温かい手。
「……食が進まんのう」
匙が皿に当たる小さな音。かちん、という陶器の触れ合う音が、静かな部屋に響いた。粥の湯気が、白く立ち昇って消えた。蓮の実の甘い匂いだけが漂っている。
老太爺の食事の量が、日ごとに減っている。
麗華はそれを——数えていた。
三日前は粥を碗の半分。二日前は三分の一。昨日は数口。
今日は——一口。
食が細くなることの意味を、麗華は誰よりも知っている。食は命だ。食べられなくなることは——命が細くなることだ。何千人もの人々の食を管理してきた女が、最も大切な一人の食を守れないでいる。穀物の収穫量を計算し、備蓄を管理し、配給を差配してきた手が、祖父の口にもう一口の粥を運ぶことすらできない。
(時間がない)
麗華は微笑んだ。いつもの微笑み。穏やかで、品があり、相手を安心させる笑顔。だがその奥に——焦りと恐怖が渦巻いていた。祖父が食べられなくなるということは、祖父の中に残された知識も、やがて届かなくなるということだ。
粥の湯気が、ゆっくりと消えていく。椀の中の蓮の実が、冷えた粥の中に沈んでいた。白い粒が白い粥に紛れ、見えなくなっていく。




