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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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足りないもの

 条件を書き出すほどに、麗華れいかの表情は険しくなった。


 大規模霊脈れいみゃく再生に必要なもの。


 一、複数の術者。治す力を持つ素質者が少なくとも数名必要。だが「数百年に一人」の素質者を、そう簡単には見つけられない。翠微すいびの他に素質者がいるかどうかすら分からない。鳳凰領ほうおうりょうの民の中に眠っているかもしれないが、見つけ出す方法がない。素質者の発見は偶然に頼るしかなく、偶然は計画に組み込めない。


 二、霊脈ネットワークの全体地図。百年前の操作で断裂した霊脈の正確な位置を把握しなければ、繋ぎ直す作業はできない。鳳家ほうけにあるのは鳳凰領の霊脈図だけだ。瑛朝えいちょう全土の霊脈図は——蘇家そけが密かに集めていた分の一部は押収されたが、完全版ではない。


 三、百年前の操作の逆手順。趙文昌ちょうぶんしょうの文書に「玄天閣げんてんかくの五番庫」と記されていた。朝廷の古文書庫にある。麗華の手元にはない。


 四、大規模な術の行使を支える物資と人員。霊脈再生は一日で終わる作業ではない。術者の食糧、移動手段、護衛——朝廷の支援なしには実行できない規模の事業だ。


「足りないものだらけね」


 麗華は書き出した条件を見つめた。筆で書かれた墨字の列が、机の上に並んでいる。整然とした文字だ。後宮仕込みの美しい筆跡。だがその筆跡の美しさが、内容の重さとの対比で痛々しかった。墨が乾いていく匂いが微かに漂う。硯の端に溜まった墨汁が、灯火の光を映して黒く光っていた。


「お嬢様。整理すると——」


 春蘭しゅんらんが帳面に手を置いた。


「足りないもののうち、二つは朝廷にあります。霊脈図の全容と、玄天閣の古文書。そして大規模な支援体制も、朝廷の力なしには構築できません」


「ええ」


「つまり——朝廷との協力が、避けられないということです」


 春蘭は事実を述べただけだ。だがその事実が、麗華の胸に鈍く刺さった。春蘭の声は平坦で、抑揚がない。だからこそ、事実の輪郭がくっきりと浮かび上がる。飾りのない言葉は、時に刃物より鋭い。


 執務室の窓から、昼の光が斜めに差し込んでいた。机の上に落ちた光の四角形が、条件リストの上を横切っている。光に照らされた墨字が白く浮かび、影に沈んだ墨字が黒く沈む。明と暗の境界線が、紙の上を横断していた。荒地と緑の境界線のように。


(朝廷。自分を廃妃はいひにした場所。食糧戦略で揺さぶった相手。趙文昌を弾劾に追い込んだ場所。——その朝廷に、助けを求める)


 暁風ぎょうふうが腕を組んだ。考え事のときの癖だ。眉間に皺が寄っている。暁風なりに、この状況の重さを噛みしめている。腕を組む力が強いのか、軍袍ぐんほうの袖に皺が深く刻まれていた。指が二の腕を掴む力も、普段より強い。暁風は言葉にするより先に体が反応する男だ。


帝都ていとに連絡を取る手段はある。俺が書簡を送れば、陛下に直接届く」


「それは——分かっています。手段の問題ではないの」


「なら何が問題だ」


「私の——」


 麗華は言いかけて、口を閉じた。右手の人差し指が、無意識に左手首の内側を撫でた。怒りの時の癖だ。だが今、怒りの対象は朝廷ではなく——自分自身だった。手首の薄い肌の上を、指の腹が何度も往復する。脈が指先に触れ、自分の鼓動の速さに気づいた。


 プライド。それが問題だ。


 廃妃にされた屈辱。食糧を武器にして抗ってきた矜持。「自分を捨てた場所に頭を下げる」ことへの抵抗。三年間、麗華を支えてきたのはこの感情だ。怒りと矜持を燃料にして、食糧戦略という精密な機械を動かしてきた。


 論理的には、朝廷との協力以外に道はない。荒地化を止め、霊脈を再生し、この国を救うためには——朝廷の資源が必要だ。


 だが感情が——追いつかない。


 窓の外から、厨房の方向で昼餉ひるげの支度をする物音が聞こえた。鍋の蓋を開ける金属音。水を汲む音。下働きの女が野菜を洗い、まな板の上で包丁がとんとんと小気味よく鳴る。日常の音だ。この屋敷で毎日繰り返される、食の営み。


「先生」


 翠微が声をかけた。椅子の上で背筋を伸ばし、少し前のめりに師を見ている。手を膝の上で握りしめ、指先が白くなっている。


「あたしは——難しい政治のことは分かりません。でも一つだけ分かることがあります」


「何?」


「荒地が広がっています。あたしの耳には、毎日大地の悲鳴が聞こえています。朝も夜も。寝ていても、目が覚めるくらい。昨夜も三度起きました。そのたびに、荒地の方角から——きしむ音が。骨が折れるような、乾いた音です。それを止められるなら——何でもしたい。誰と組んでもいい。——先生も、そうじゃないですか」


 翠微の言葉は、いつも直球だ。理屈ではなく、感覚で核心を突く。大地の悲鳴を実際に聞いている少女の言葉には、論理を超えた切迫がある。


 麗華は翠微を見た。素朴な農家の娘。名門でも教養人でもない。だが——この少女の声には、大地そのものが宿っている気がする。荒地の声を聴ける耳を持つ者だけが語れる言葉だ。


「……ええ。そうね」


 窓の外で、風が畑を渡る音がした。稲穂が擦れ合うさわさわという音。まだ——この音がある。まだ、生きている大地の音が。その音に混じって、遠くから鶏の鳴き声が届いた。昼餉の匂いが風に乗って漂ってくる。味噌を溶いた汁物の、あたたかい香りだろうか。この領地のどこかの家で、誰かが家族のために汁を作っている。


 麗華は机の条件リストに目をやった。


 足りないもの。多すぎる。


 だが足りないと嘆いている間にも、荒地化は進行している。翠微の耳に届く大地の悲鳴は、日を追うごとに大きくなっている。


(足りないものは——取りに行くしかない。自分の手元にないなら、ある場所から。たとえその場所が——自分を捨てた場所であっても)


 表情が険しいままだが——麗華の目には、決意の種が宿り始めていた。まだ芽は出ていない。だが種は、蒔かれた。


 春蘭が静かに立ち上がり、冷めた茶を下げて新しい茶を注いだ。湯気が白く立ちのぼり、山茶の青い香りが執務室に広がった。何も言わず、ただ温かい茶を差し出す。十五年間変わらない春蘭の所作だった。その一杯が、今の麗華には何よりも沁みた。


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