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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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芽吹きの検証

 翌日から、麗華れいか翠微すいびの発見を理論的に分析する作業に入った。


 執務室の机に、翠微の実験記録と老太爺ろうたいやの伝書を並べた。春蘭しゅんらんが補助に入り、数値の照合と記録を担当した。窓からの朝日が紙の上に四角い光を落とし、墨字が白く浮かび上がっている。すずりの水面に天井の梁が映り、微かに揺れていた。机の隅には春蘭が淹れた茶が湯気を立てている。鳳凰領ほうおうりょうの山茶だ。青い香りがかすかに漂い、朝の空気と混じり合っていた。


「翠微が昨日やったこと——霊脈れいみゃくの断裂箇所を繋ぎ直す。これは老太爺が語った地養術ちようじゅつの二つ目の力、『治す力』そのものよ」


「あたしが——治す力を使ったんですか」


 翠微の声には、まだ信じきれない響きがあった。自分の手で起きたことを、頭が追いついていないのだ。両手を膝の上に置き、自分の指先を見つめている。昨日、翡翠色の光を放った指。今は何の変哲もない、農家育ちの日焼けした手だ。指先にはまだ灰色の土が爪の間に残っていて、どれだけ洗っても荒地の痕跡は消えなかった。


「間違いない。あなたの指先の光の色が変わっていた。通常の育成術では出ない色——翡翠の核のような、深い緑。あれが『治す力』の発動を示している」


 麗華は伝書を開いた。古い紙の匂いが立ちのぼる。鳳家ほうけ代々の当主が書き継いできた伝書だ。墨がせ、紙が黄ばんでいるが、文字は今も読める。紙の端が虫食いで欠けている箇所もあるが、肝心の記述は無事だった。頁をめくるたびに紙が乾いた音を立て、百年以上前の当主が記した筆跡が目に飛び込んでくる。角張った楷書で、一字一字に重みがあった。


「老太爺の伝書にはこう書かれている。『育成の力は霊脈から土へ力を移す。治癒の力は断裂した霊脈を再接続する。二つは根本的に異なる術式であり、素質者も異なる』」


「素質者も異なる——つまり、あたしみたいな人は、先生みたいな人とは別の種類の素質を持っている」


「ええ。育てる力の素質者は百人に一人。治す力の素質者は——」


 麗華は伝書の記述を指で辿った。古い墨字の上を、白い指がゆっくりと動く。


「数百年に一人、とある」


 翠微が息を呑んだ。唇が微かに開き、茶色の瞳が大きく見開かれた。膝の上の手が無意識に握りしめられ、指の関節が白くなった。


「で、でも——あたしは、そんな特別な」


「特別かどうかは関係ない。あなたにその力がある。それが事実よ」


 麗華の声は穏やかだが、断言の重みがあった。師として事実を告げている。翠微の自信のなさに配慮はするが、事実を曲げることはしない。この声を聞くと翠微は背筋が伸びる。叱られているのではない。信じてもらっているのだと分かるから。


 麗華は理論分析を続けた。


 翠微が治した範囲は直径一尺。ごく小規模だ。だがこの成功は、「荒地化は不可逆ではない」という仮説を実証した。断裂した霊脈は繋ぎ直せる。繋ぎ直せば、そこに力を注ぐことができる。


 百年間、誰もが「荒地は元に戻らない」と信じてきた。鳳家ですらそう思っていた。だが昨日、十四歳の農家の娘が——直径一尺の土を、蘇らせた。


 春蘭が音もなく席を立ち、茶を注ぎ足した。麗華の杯に先に注ぎ、次に翠微の杯に。二煎目の茶は一煎目より渋みが増すが、その分香りの奥行きが深くなる。翠微は杯を両手で包み、温もりを手のひらに感じながら、一口含んだ。渋みの後に広がるかすかな甘みが、緊張でこわばった喉を柔らかくほぐしてくれた。


 問題は——規模だ。


「翠微が一度に治せる範囲は直径一尺。鳳凰領の荒地化した面積は——」


 春蘭が数字を読み上げた。帳面に整理された数値を、淡々と。声に感情を乗せない。春蘭の仕事ぶりだ。


「現時点で、南部穀倉地帯の約四割。面積にして——」


 膨大な数字が並んだ。田畑の面積を単位で表した数字は、直径一尺の成功を砂粒のように小さく見せた。数字は冷酷だ。希望を抱いた直後に、現実の壁を突きつけてくる。翠微は杯を持つ手が止まり、口の中の茶の味が急に薄くなった気がした。


「翠微一人で全てを治すのは——物理的に不可能ね」


「はい。仮に翠微殿が毎日全力で術を使い続けたとしても、荒地化の侵食速度のほうが圧倒的に速い。穴の開いた桶に水を注ぐようなものです」


 翠微は唇を噛んだ。昨日の成功がまだ手のひらに残っている。土が応じた感触。霊脈が微かに脈打った振動。あれは確かな手応えだった。なのに、数字の前では砂粒に等しい。


「つまり——翠微の力だけでは足りない。大規模に展開するには——」


 麗華は筆を取り、新しい紙に条件を書き出した。墨を含んだ筆先が紙の上を走り、文字が次々に並んでいく。後宮仕込みの美しい筆跡が、冷酷な条件を一つずつ記していく。


 一、複数の術者による同時施術。

 二、霊脈ネットワーク全体の地図。

 三、百年前の操作の逆手順。


 趙文昌ちょうぶんしょうの文書に記されていた条件と——一致する。


「理論的には大規模な荒地治療は可能。ただし、私一人では——いえ、翠微と二人でも、足りない」


 麗華は筆を置いた。墨の匂いが指先に残っている。黒い墨が白い指を汚し、その対比が妙に鮮明だった。窓から差し込む日の角度が変わり、机の上の光が少しだけかげった。朝から分析を続けて、もう昼近くになっていたのだ。


 治す方法は見えた。だが実行するための条件が足りない。複数の術者はどこにいる。霊脈図の完全版はどこにある。操作手順は——朝廷の古文書庫に。


(全てが——朝廷に繋がっていく)


 麗華は窓の外を見た。中部の田が朝の光に輝いている。農夫が畦道を歩き、子供が用水路で水をすくっている。母親が洗濯物を広げ、老人が杖をついて散歩している。田の向こうで炊事の煙がたなびき、風に乗って誰かが作る昼餉ひるげの匂いが微かに届いた。焼きもちの香ばしさだろうか。穀物が焦げる甘い匂い。この穏やかな日常を守るために——朝廷の門を叩かなければならない日が、近づいている。


 翠微が麗華の横顔を見つめていた。師の表情に浮かぶ複雑な感情を、翠微は言葉にできない。だが——感じることはできる。土の声を聞けるように、師の心の揺れも感じ取れる。窓の外を見つめる横顔には、光と影が半々に落ちていた。


「先生。答えは——あるんですよね」


「ええ。ある。ただし、遠い」


「遠くても。——あたしは、先生と一緒に歩きます」


 麗華は翠微を見た。この少女の真っ直ぐさに、何度救われてきたことか。


「ありがとう。——一緒に、歩きましょう」


 答えは、まだ遠い。だが——道は、見えている。


 窓の外で風が渡り、田の稲がさわさわと波打った。昼の光が執務室に差し込み、机の上の伝書と帳面を白く照らしていた。翠微の杯の茶は、すっかり冷めていた。だがその冷めた茶にも、鳳凰領の山茶の余韻が残っている。長く、静かに。


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