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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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力の代償

 荒地での実験は毎日続いた。


 朝、目が覚めると体が鉛のように重い。だが麗華は寝台を出る。白湯を一口飲み、身支度を整え、荒地に向かう。それが、ここ一週間の日課になっていた。


 翠微の「治す力」の探索と並行して、麗華は通常の地養術での応急処置も止めなかった。荒地化の侵食速度を少しでも緩められるなら——一日でも時間を稼ぎたい。翠微が「治す力」を覚醒させるまでの間、防衛線を維持するのは麗華の役目だ。


 だが体は正直だった。


 朝、荒地に出る。地養術を全力行使する。指先の光が灰色の土に吸い込まれ、何の応答もないまま力だけが消耗していく。昼に戻り、午後は翠微の実験に立ち会い、夕方は書類に向かう。日が暮れてから、もう一度荒地に出ることもあった。月明かりの下で術を使い、冷たい夜風に晒されながら膝をつく。


 消耗が——蓄積していた。


 食事の量が減っている。春蘭が毎朝用意する粥の碗は、半分残すことが増えた。粥の表面に張った膜が冷えて固まるまで放置してしまう日もあった。昼餉は飛ばすことも珍しくなくなった。夕餉だけはしっかり食べるよう心がけていたが、疲労で箸を持つ手が重い日もあった。


「麗華」


 暁風の声が、荒地の風に乗って聞こえた。


 七日目の夕方。麗華は荒地の最前線で膝をつき、地養術を行使していた。指先が淡く光り、灰色の土にかすかな力を注いでいる。だがその光は、以前より弱い。蝋燭の火が風に煽られるように、揺れている。


「やめろ」


 暁風が近づいてきた。鉄紺の軍袍ぐんほうの裾が灰色の土埃を払い、長い影が麗華の上に落ちた。


「やめられません。ここを放置すれば、侵食がさらに——」


「あんたが倒れたら、全てが止まる。翠微の実験も、朝廷への書簡も、領地の運営も。全部あんたの肩にかかっている。——あんたが一番分かっているだろう」


「分かっています。分かっているけれど——」


 麗華は立ち上がろうとした。


 膝が——折れた。


 視界が揺れ、灰色の大地が回転する。こめかみを痛みが貫き、全身から力が抜けていく。耳鳴りがして、音が遠くなった。


 倒れる——と思った瞬間、暁風の腕が麗華を支えた。


 背中に当たる暁風の腕は、硬く、温かかった。鍛え抜かれた軍人の腕。だがその硬さの奥に、不器用な慎重さがあった。力加減を測るように、壊れ物を扱うように、麗華の体を支えている。


「……すみません」


「謝るな」


 暁風は麗華を支えたまま、静かに言った。


「言ったはずだ。一人で背負うなと」


「……言いましたね」


「何度でも言う。何度でもだ」


 暁風が麗華を立たせた。麗華の足は震えているが、暁風の腕があるから倒れない。暁風の体温が、風に冷えた麗華の体に伝わってくる。


「……少し、休みます」


「当たり前だ」


 暁風が麗華を荒地から連れ出した。歩く速度を麗華に合わせ、大股を意識して小さくしている。馬車のそばまで歩き、座らせた。


 麗華は馬車の縁に座り、空を見上げた。夕焼けが赤く染まっている。灰色の大地と赤い空の対比が、妙に美しかった。荒地の上に広がる空は、生きている土地の上と同じ色をしている。空だけは、荒地化の影響を受けない。


「暁風殿」


「なんだ」


「私は——一人で抱え込む癖が、なかなか治りませんね」


「知っている」


「知っていて——止めてくれる」


「それが俺の仕事だ」


「仕事ですか」


「仕事だ。——それだけじゃないが」


 風が荒地の上を吹き抜けた。灰色の土埃が舞い上がり、二人の間をすり抜けていく。乾いた風だ。生きている土地から吹く風には水と草の匂いがあるが、荒地の風は乾いている。何の匂いも運ばない。


 暁風が目を逸らした。夕陽に照らされた横顔の、耳の先が赤い。


 麗華は小さく笑った。笑える程度には、回復していた。


 馬車に乗り、屋敷に戻った。春蘭が温かい汁物を用意していた。鶏骨で取った清湯チンタンに、細切りの葱と薄切りの生姜が浮いている。澄んだスープは琥珀色で、灯火の光を透かしている。


 麗華は汁物を一口啜った。鶏の旨味が舌に沁みる。生姜の辛味が喉を温め、葱の香りが鼻を抜ける。空っぽだった胃に温かい液体が落ち、体の芯から熱が戻ってくる。


 深く息を吐いた。


(一人で背負うなと——何度も言われている。分かっている。だけど体が動いてしまう。止められない。目の前の荒地を見れば、じっとしてはいられない)


(でも——暁風殿がいるから、止まれる。一人では止まれない。誰かが止めてくれるから、止まれる)


 それは——弱さではない。


 少なくとも、以前よりは——そう思えるようになった。


 清湯を最後の一滴まで飲み干した。碗の底に残った葱の欠片を匙で掬い、口に運ぶ。


 春蘭が無言で二杯目の汁物を注いだ。碗に注がれた清湯から、再び湯気が立ちのぼる。琥珀色の液体が灯火の光を透かし、葱の緑が浮かんでいる。


 麗華は「ありがとう」とだけ言って、それも飲んだ。


 暁風が向かいの椅子に座っていた。自分の碗には手をつけず、麗華が汁物を飲み終わるのを見ている。麗華が二杯目を飲み干したのを確認してから——ようやく、自分の碗に手をつけた。


「暁風殿。自分のも冷めますよ」


「お前が先だ」


「……頑固ね」


「お互い様だ」


 翠微が厨房から顔を覗かせた。


「先生、暁風さん。おかわりありますよ」


「翠微。あなたは食べたの?」


「あたしは先に食べました。三杯」


「……食いしん坊ね」


「体力勝負ですから。先生も、もっと食べてください。明日もあるんですから」


 翠微の素朴な言葉が、今の麗華にはありがたかった。明日もある。それは当たり前のことだが、荒地化と戦う日々の中では——約束ではなく、祈りに近い。


 清湯を最後の一滴まで飲み干し、碗を卓に置いた。


 明日も、荒地に出る。明日も、術を使い、体を削り、倒れそうになり、暁風に支えられる。


 だがそれでも——諦めるわけにはいかない。翠微が残した粥を見て、「食べてください」と言ったその声を思い出す。食べることは、戦うことだ。


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