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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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暁風の言葉

 麗華が書斎に籠もって四日目の夜だった。


 暁風ぎょうふうが来た。


 扉を叩く音はしなかった。ただ、「入るぞ」と短い声がして、暁風が入ってきた。手には何も持っていない。茶も食事も持たず、ただ自分の体一つで来た。


 麗華は机に向かっていた。書類は広げているが、筆は動いていない。墨はすずりの上で乾きかけている。顔色は白く、目の下の隈が深い。食事を取っていないことは、春蘭から聞いていた。四日間で口にしたのは白湯と、翠微が無理やり持ち込んだ芋粥を数口だけ。


「暁風殿。何か——」


「飯は食ったか」


 いきなりそれだった。暁風らしい。回りくどいことが言えない男。だがこの直截さが——四日間、誰にも心を開かなかった麗華の壁を、最も的確に揺さぶった。


「……後で」


「三日間、同じことを言っている。春蘭から聞いた」


 暁風は椅子を引き、麗華の正面に座った。灯火に照らされた暁風の顔は険しかった。眉間に皺が寄り、顎のラインが鋭くなっている。怒っているのではない。心配しているのだ。だが暁風は心配を心配らしく表現できない。だから険しい顔になる。不器用な男だ。


「あんたは——先代の罪に押し潰されている」


「押し潰されてなど——」


「いる。飯を食えなくなっている。書類も進んでいない。荒地化は日に日に進行しているのに、あんたが止まっている」


 麗華は口を閉じた。反論できない。事実だから。


 暁風は腕を組まなかった。いつもの癖を封じて、膝の上に手を置いたまま、麗華を真っ直ぐに見た。組んだ腕は壁だ。今夜は壁を作らない。


「言いたいことがある」


「……聞きます」


「あんたは先代ではない」


 一言だった。


 短く、硬い。暁風らしい。だがその一言に込められた力は、どんな長い慰めの言葉よりも重かった。論理的な分析でも、感情的な同情でもない。ただの事実。「あんたは先代ではない」。それだけだ。


「百年前に術を使ったのは、あんたの曾祖父だ。あんたじゃない。蘇家と手を組んだのも、隠蔽したのも——あんたじゃない」


「けれど、私はその恩恵を受けて——」


「受けた。それは事実だ。鳳凰領の豊かさが先代の過ちの結果だということも事実だ。だが——」


 暁風の声が、ほんの少し柔らかくなった。硬い声の角が一つだけ取れた、そんな変化。


「あんたが食糧を武器にして、この国を動かしたのは事実だ。民を飢えさせなかったのも事実だ。先代の罪と、あんたの行いは、別だ」


「別だと——言い切れますか」


「言い切る。先代の罪はお前の罪ではない」


 暁風の目が真っ直ぐだった。嘘がつけない目。この目で「お前の罪ではない」と言われると——信じたくなる。後宮で三年間、嘘ばかりの世界を生きてきた麗華にとって、暁風の「嘘がつけない目」は——何よりも信頼できる証拠だ。


「だが——お前がどうするかは、お前の選択だ」


「私がどうするか」


「ああ。先代が壊したものを、直すかどうか。逃げるかどうか。それを決めるのはあんたであって、先代じゃない。過去は変えられない。だがここから先は——あんたが選べる」


 暁風は立ち上がった。


「飯を食え。話はそれからだ」


「暁風殿」


「なんだ」


「……あなたに言われると、信じられそうになる」


 暁風の耳が赤くなった。視線を逸らし、窓の外を見る。暗い窓には何も映っていないが、暁風はそこを見つめ続けた。


「信じろ。俺は嘘がつけない」


「知っています」


 暁風が部屋を出た。足音が廊下を遠ざかっていく。軍靴の硬い音。いつもと同じ足音。だが今夜のその音は、麗華にとって——灯台の光のように、暗い廊下を照らしていた。


 しばらく動かなかった。暁風の言葉が、胸の深いところに沈んでいく。石が水の中に沈むように、ゆっくりと。


(先代の罪はお前の罪ではない。だが——お前がどうするかは、お前の選択だ)


 過ちと責任。


 先代の過ちは、百年前の先代が負うべきものだ。麗華がそれを背負う必要はない。過ちの責任と、現状への責任は別のものだ。


 だが、過ちの結果を放置することは——麗華自身の罪になる。


(先代が壊した。私が知った。知った以上——放置するわけにはいかない。放置することは、新しい罪だ。祖父のように五十年間隠し続けることは——もうできない。するつもりもない)


 麗華は机の上の書類に目をやった。趙文昌の文書に記された逆手順の存在。翠微の「治す力」の可能性。老太爺の告白。


 手がかりはある。道はある。ただし——一人では歩けない道だ。


 麗華は、四日ぶりに筆を取った。


 まだ、何を書くかは決まっていない。だが——筆を取ることはできた。乾きかけた墨に水を足し、硯の上で磨り直した。墨を磨る音が、静かな執務室に響いた。


 それが、大きな一歩だった。


 翠微が置いていった芋粥が、机の隅にあった。もう冷めている。だが麗華はそれを手に取り、一口飲んだ。冷たい芋粥は、芋の甘みだけが舌に残った。


 食べられた。


 四日ぶりの——食事だった。


 芋粥は翠微が作ったものだろう。翠微の芋粥は素朴だ。農家出身の少女らしく、飾りのない味。芋を潰して粥に混ぜただけ。塩もほとんど入っていない。だがその素朴さが——今の麗華には、ちょうどよかった。後宮仕込みの手の込んだ料理は、今は喉を通らなかっただろう。


 碗を空にした。


 空の碗を見つめる。翠微がこれを作ってくれた。四日間、何も食べない師のために、毎日芋粥を作って置いていったのだ。冷めると分かっていても。捨てられるかもしれないと分かっていても。


(あの子は——私を見捨てない。暁風殿も。春蘭も)


 一人ではない。そのことが——食事の味よりも、深く沁みた。


 筆を取り直した。


 まだ書くべき内容は定まっていない。だが筆を持つ手は、四日前より確かだった。震えが、少し収まっている。


 暁風の声が耳に残っている。「先代の罪はお前の罪ではない。だが——お前がどうするかは、お前の選択だ」。


 選択は——まだ先だ。だが選択の前に必要なのは、立ち上がることだ。


 麗華は深く息を吸い、筆先に墨を含ませた。


 四日間の闇が——わずかに、薄くなっていた。


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