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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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崩れる正義

 三日間、麗華は書斎に籠もった。


 朝から晩まで机に向かっているが、何も進んでいなかった。書類の山は積み上がるばかりで、筆は乾いたまま。窓の外を見ては——目を逸らす。


 鳳凰領の田園が見えるから。


 黄金色の田は美しい。だが今の麗華には、その黄金色が他の土地から奪った力で育まれたものに見える。かつては誇りだった景色が、今は告発に見える。「お前はこの美しさの代償を知っているのか」と、田園が問いかけてくるようだ。


(「この国の穀物の七割は私の領地で採れたもの」——あの言葉を、何度繰り返してきただろう。帝都で。外交の場で。朝廷への書簡で。七割という数字を武器のように振るって、国を揺さぶった)


(でもその七割は——他の土地を犠牲にして得た七割だった)


 食糧戦略の全体像を、頭の中で巻き戻す。


 廃妃にされた麗華が、鳳凰領に帰還し、朝廷への穀物供給を絞った。権力者の食卓だけが困るように設計した精密な兵糧攻め。「正当防衛」だった。不当に切り捨てられた者が、実力で居場所を守る行為だった。


 翠微を見出し、後継者を育て始めた。食糧の力を次世代に継承する準備。


 食糧を外交の武器に使い、隣国との交渉を有利に進め、宰相・趙文昌の弾劾を勝ち取った。


 その全てが——「鳳家は天災の中で国を支えてきた正当な功臣である」という前提の上に成り立っていた。


 前提が崩れた。


(食糧を武器にすること自体は、正しかったのか間違っていたのか。民を飢えさせない一線は守った。それは変わらない。だが——その武器の根拠が、加害者の末裔の特権だったとすれば)


 思考が堂々巡りする。同じ問いを何度も回し、同じ場所に戻ってくる。輪になった道を走り続ける馬のように、出口が見つからない。


 春蘭が食事を運んできた。白飯と青菜の炒め物。蓮根と豚肉の煮物。麗華が好む素朴な献立。蓮根は鳳凰領の蓮池で採れたもので、歯触りが良く甘みが強い。豚の煮物は生姜と醤油で味付けされ、柔らかく煮込まれている。いつもなら、この香りだけで箸が動く。


「お嬢様。お食事を」


「……ありがとう。後で食べます」


 後で食べます。そう言って、昨日も一昨日も箸をつけなかった。


 春蘭は何も言わず、盆を置いて下がった。扉を閉める直前に振り返ったのを、麗華は気づいていた。だが目を合わせなかった。春蘭の目には心配の色が浮かんでいるはずだ。その心配に応える余裕が、今の麗華にはない。


 食事が喉を通らない。


 食を武器にしてきた者が、食を受け付けなくなっている。その皮肉に麗華自身が気づいている。だが気づいたところで、箸を取る気力が湧かない。食べることは生きること。食で人を生かすことが自分の信条だと、何度も口にしてきた。その「食」の意味が、今は分からなくなっている。


 白飯の湯気が消えていく。立ちのぼる白い煙が細くなり、やがて見えなくなった。蓮根と豚肉の煮物からも、生姜の香りが薄れていく。温かい食事が冷たくなる。その変化を、麗華はただ見ていた。


 冷めた飯を見つめながら、麗華は思った。


(これまで私は——食べることの意味を知っていると思っていた。食は命だと。食で人を生かすことが、私の信条だと。だけど今は——何のために食べるのかが、分からない)


(加害者の末裔として食べているのか。それとも、百年間民を養ってきた者として食べているのか。どちらの事実が正しいのか——いや、どちらも正しいのだ。どちらも事実なのだ。だからこそ——箸が取れない)


 窓の外に、荒地が見える。


 南から広がる灰色の帯。黄金色の田との境界線が、日に日に北に迫っている。三日前より、境界線が明らかに近い。目で見えるほどの速度で、灰色が這い寄ってきている。


 その荒地を作ったのは——鳳家だ。


 麗華の目に映る鳳凰領の風景が、全く違って見える。豊かさは罪の上に成り立っていた。黄金色は灰色の犠牲の上に輝いていた。あの美しい田園は、他の土地の死体の上に咲く花だ。


 冷めた飯を見つめる目に、涙はなかった。


 泣けないのだ。泣く資格があるのかどうかも分からないから。被害者として泣くのか。加害者の末裔として泣くのか。どちらの立場で涙を流すのか。


 窓の外の荒地。


 鳳家が作った荒地。


 麗華はそれを見つめ続けた。


 膳の飯が完全に冷めた頃、春蘭が音もなく部屋に入り、手つかずの膳を下げた。蓮根の煮物が、冷え切った脂で白く固まっていた。


 春蘭が去った後、暁風が廊下を通りかかった。扉は閉まっている。暁風は足を止め、扉の前でしばし立っていた。ノックしようとして——手を下ろした。今は入るべきではないと判断したのだろう。暁風の足音が遠ざかっていく。


 翠微は荒地の調査から戻って、麗華の居室の前を通った。部屋の灯りが暗いことに気づき、小声で「先生」と呼んだ。返事はなかった。翠微は唇を噛んで、自室に戻った。


 三人とも——麗華の異変に気づいている。だが誰も踏み込めない。麗華が一人で抱え込むときの壁は、後宮で鍛えた最強の防壁だ。微笑みという名の城壁が、全てを遮断する。


 二日目の夜。麗華は自分で湯を沸かし、白湯さゆを飲んだ。食事は取れないが、水だけは飲んだ。体が脱水状態になれば判断力が鈍る。それは分かっている。


 白湯の味は——ただの水だ。鳳凰領の井戸水。澄んで甘い水。この水もまた、霊脈の恵みの一つだ。荒地化した土地の井戸は枯れる。水すら飲めなくなる。


 三日目。窓の外を見た。


 境界線が、また近づいている。


 灰色が迫ってくる。鳳家が作った灰色が。


 麗華はそれを見つめた。三日間、食事をほとんど取らず、眠りも浅く、風呂にも入っていない。衣服が皺だらけで、髪も乱れている。いつも完璧だった鳳麗華の姿が、今は影も形もない。


 後宮の「微笑みの貴妃」はどこにも見えない。


 ここにいるのは——真実を知って崩れかけた、一人の女だ。


 窓の外で、風が枯れた稲穂を揺らした。南部穀倉地帯の、まだ灰色に染まっていない最後の一角。その稲穂が風に揺れるたびに、黄金色の粉が空気中に散った。


 あの稲穂も——やがて灰色に染まるのか。


 麗華は窓を閉めた。


 そして再び、冷めた飯の前に座った。箸は取れない。だが飯を見つめることはやめなかった。


 食べられなくても、見つめ続ける。食の意味が分からなくなっても、食卓を放棄はしない。


 それが——今の麗華にできる、ぎりぎりの抵抗だった。


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