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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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鳳家の罪

 老太爺の書斎は、朝の光に満ちていた。


 窓から差す陽光が白壁を照らし、書棚の古い伝書の背表紙に温かな色を落としている。壁に掛かった霊脈図の写しが、朝日を受けてかすかに金色に光った。穏やかな朝だった。だがその穏やかさが、これから語られる真実とのあまりの落差に、麗華は後から思い知ることになる。


「座りなさい、麗華」


 老太爺の声は静かだった。いつもの飄々さが消え、代わりに荘厳とも言える重みがあった。白髪を束ねた紐が朝風にかすかに揺れ、痩せた肩が——背負い続けてきた重荷の形をとっているように見えた。


 麗華は祖父の正面に座った。


「祖父様。お聞きします」


「うむ。——百年前の話をしよう」


 老太爺は一度、深く息を吐いた。窓の外で小鳥が鳴いている。その声が妙に遠くに聞こえた。


「百年前の霊脈震れいみゃくしん。公式の記録では天災とされておる。霊脈が周期的に震動する自然現象が大規模に起き、鳳凰領ほうおうりょう以外の国土が荒地化した——と」


「はい。子供の頃から、その歴史は学びました」


「それは嘘じゃ」


 一言が、書斎の空気を変えた。


 小鳥の声が止まったわけではない。朝の光が翳ったわけでもない。だが老太爺の一言が落ちた瞬間、書斎という空間の温度が変わった。


「霊脈震は——天災ではなかった。人の手が起こした災害じゃ」


 麗華は微動だにしなかった。だが指先が冷たくなるのを感じた。後宮で培った平静は、ここでも麗華を守っている。だが心の奥底で——何かが軋む音が聞こえた。


「百年前の鳳家当主——わしの父が、霊脈の大規模操作を試みた」


 老太爺の声が、過去に沈んでいく。


「当時すでに、国土の荒地化は始まっておった。ゆっくりと、しかし確実に、大地から霊脈の力が抜け落ちていた。辺境の農村から穀物が採れなくなり、民が飢え始めた。朝廷は手をこまねき、学者は原因を突き止められず——このままでは瑛朝えいちょうの全土が荒地になると、誰もが恐れておった」


 老太爺は窓の外に目をやった。鳳凰領の田園が朝日に輝いている。その風景を見つめながら、百年前の記憶を語る。


「父は——当代随一の地養術の使い手じゃった。お前よりも、わしよりも。天才と呼ばれた男じゃ。その父が——一つの計画を立てた」


「祖父様のお父上が——何をなさったのですか」


「霊脈の力を鳳凰領に集中させようとした。ゆるやかに枯れていく国土の中で、せめて鳳凰領だけでも確実に守る。そのために霊脈ネットワークの流れを変える大規模な術を行使した」


 老太爺の手が震えた。節くれ立った指が、膝の上で互いを握りしめている。


「動機は——悪意ではなかった。むしろ善意じゃった。このままでは全てが枯れる。全土の荒地化は止められぬ。ならばせめて一つだけでも確実に守り、そこを拠点にいつか再生を図ろうと。切羽詰まった——善意だった」


 老太爺の声が震えた。


「わしの父は……英雄でも愚者でもなかった。ただ、この土地を守りたかっただけじゃ。その『守りたい』が、取り返しのつかぬことを引き起こした」


「けれど」


「失敗した」


 老太爺の声が、掠れた。


「霊脈ネットワークは繊細なものじゃ。大地の下に張り巡らされた力の道。水路のように複雑に絡み合い、互いに支え合っている。一部に力を集中させれば、他の部分から力が引き抜かれる。父はそれを制御できると信じていた。天才の自負が——目を曇らせた」


 老太爺は一つ、深く息を吸った。


「だが——術の規模が大きすぎた。制御を失い、霊脈ネットワークそのものが断裂した。水路に例えるなら——堰を切って水を一か所に集めようとしたら、堰が壊れて洪水になったようなものじゃ」


「断裂——」


「鳳凰領に力が集中した。その代わり、それ以外の大地から霊脈の力が一気に引き抜かれた。一夜にして。数日のうちに。結果——」


 老太爺は目を閉じた。皺だらけの瞼の奥に、見えない記憶が映っているのだろう。父から聞いた記憶。語り継がれた災厄の夜。


「瑛朝の国土の大半が、急速に荒地化した。穀物が枯れ、水が涸れ、土が灰色に変わった。数年のうちに国土の七割以上が不毛の大地と化した。飢饉が起き、民が死んだ。それが——百年前の霊脈震の真相じゃ」


 沈黙が書斎を満たした。


 朝の光は変わらない。小鳥はまた鳴き始めていた。だが麗華にとって、世界は——一変していた。


 麗華は動けなかった。


 百年前の霊脈震。瑛朝を衰退に追い込んだ大災。数千万の民が飢え、国土の大半が不毛の荒地と化した悲劇。歴史書に記され、子供の頃から教わった「天災」。


 それが——天災ではなく。


 鳳家が。


 自分の先祖が。


「……つまり、祖父様」


 麗華の声は、自分でも驚くほど平坦だった。感情が追いつかないとき、人は逆に冷静になる。後宮で鍛えた自制が、崩壊の瀬戸際で麗華を支えている。


「この荒地は——鳳家が作ったのですか」


 老太爺は答えなかった。ただ、涙が頬を伝った。


 七十八年の人生で幾度涙を流したか分からない。だがこの涙は——五十年間の沈黙の重みが、一筋の水となって溢れたものだった。


 その沈黙が、何よりも雄弁な答えだった。


 麗華は立ち上がれなかった。


 椅子に座ったまま、窓の外の光を見つめた。穏やかな朝の光。鳳凰領の——鳳家が独占的に守ってきた土地の、朝の光。


(この土地が豊かなのは——他の土地から力を奪ったからだった。鳳家が国を食わせてきたのではない。鳳家が国土を枯らし、唯一残った自分の土地で、その罪を知らぬ顔で補ってきた)


 食糧戦略の全てが、新しい意味を帯びた。


 帝都を兵糧攻めにしたこと。「この国の穀物の七割は私の領地で採れたもの」と誇ったこと。食糧を武器に朝廷を揺さぶったこと。帝都で交わした笑顔の下の冷徹な計算。外交の席での堂々たる交渉。


 その全てが——加害者の末裔の、無自覚な傲慢だったのか。


 七割。この国の穀物の七割は私の領地で採れたもの。


 その七割は——百年前に他の土地から力を奪った結果だった。


「麗華——」


 老太爺が声をかけた。声はかすれ、力がない。だが孫の名を呼ぶ声には、切実な響きがあった。


 麗華には——まだ応える言葉がなかった。


 書斎の中で、祖父と孫が向かい合っている。百年前の秘密が、二人の間に横たわっている。


 朝の光は変わらない。鳳凰領の田園は黄金色に輝いている。


 だが麗華の目に映る世界は——もう、昨日までと同じではなかった。


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