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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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翠微の観察

 翠微すいびは一人で荒地化した土壌に向き合っていた。


 麗華と暁風が南部穀倉地帯から戻った翌日、翠微は誰にも告げずに荒地の最前線に来ていた。師の麗華が地養術を全力で行使しても止められなかったという報告は聞いている。昨夜、麗華が執務室に戻ったときの顔色の悪さを、翠微は見ていた。額に汗の痕が残り、手が小刻みに震えていた。師がああなるのを見るのは初めてだった。だからこそ、自分の目で確かめたかった。


 灰色の大地に膝をつき、両手を土に置く。


 朝の日差しが荒地を照らしているが、光は土に吸われもしない。ただ白く乾いて横たわるだけの灰色。この土を見て、翠微は実家の畑を思い出した。鳳凰領の南端にある小さな農家の娘だった翠微は、物心ついたときから土に触れて育った。朝に畑に出れば土が温かく、手を突っ込めばみみずが驚いて逃げる。夏の畑は湿った草の匂いがし、秋の畑は穀物の甘い香りに包まれる。土は生きていた。


 目の前の土は——違う。


 麗華の地養術は「注ぐ」術だ。霊脈れいみゃくの力を土に注ぎ、穀物を育てる。翠微もその基礎は学んでいる。だが翠微の感覚は、師とは違う。


 麗華は霊脈を「感じる」。翠微は霊脈を「聞く」。


 目を閉じ、耳を澄ませるように意識を沈めた。


 最初は何も聞こえなかった。灰色の土の下には、沈黙だけがある。麗華が言った通り、霊脈の脈動がない。空っぽだ。実家の畑なら、目を閉じるだけで土の中のざわめきが聞こえたものだ。虫の動き、根の伸びる音、水が浸み込む音——そして霊脈の、遠くで太鼓を叩くような低い脈動。この荒地にはそれが何もない。


 だが——翠微はもう少し深く耳を傾けた。


 もっと深く。日常の音ではなく、土の底の底にある、かすかな気配を探して。


 沈黙の底に、かすかな音がある。


 音というよりは——気配だ。遠くで誰かが寝息を立てているような、微かな振動。規則的ではないが、完全に止まってもいない。断続的に、ごく弱い脈動が土の奥底から伝わってくる。水たまりに落ちた雫の波紋のように、かすかに、かすかに広がっては消える振動。


「……いる」


 翠微は呟いた。


 この土は死んでいない。


 麗華の地養術が効かなかったのは、霊脈が死んでいるからではない。霊脈は——眠っているのだ。深く、深く眠り込んで、外からの呼びかけに応えられないだけ。眠っている人間を起こすのに大声で叫んでも起きないことがある。それと同じだ。師の術が効かなかったのは力が足りないのではなく、呼びかけの方法が違うのかもしれない。


 翠微はさらに意識を沈めた。指先が翡翠色ひすいいろに光る。麗華の術の光とは微妙に色味が違う。麗華の光は淡い緑だが、翠微の光はもう少し深い青緑だ。以前から気づいていたが、意味は分からなかった。師に聞いても「素質の個性でしょう」と言われただけだ。


 眠っている霊脈に、翠微は話しかけた。声を出したわけではない。だが翠微の感覚では、これは「話しかける」ことだった。畑の作物に「元気?」と話しかける農家の娘。馬鹿げていると笑われるかもしれないが、翠微にとっては自然なことだ。


(ねえ。聞こえる? 起きて。起きなくてもいいけど——あなたがまだそこにいることだけ、教えて)


 返事はなかった。だが、脈動がほんのわずかだけ強くなった気がした。


 翠微は目を開け、灰色の土を見つめた。変化は見えない。肉眼では何も変わっていない。だが翠微の感覚は、確かに捉えていた。


 この大地は、まだ生きている。


 立ち上がり、服の土を払う。膝の裏が灰色の土で白くなっていた。早足で鳳凰領の屋敷に戻った。足取りが、来たときよりも速い。伝えたいことがある。


 麗華は執務室にいた。昨日の消耗が残っているのか、顔色がいつもより白い。だが背筋は伸び、書類に目を通す姿勢に緩みはない。机の上に春蘭が置いたなつめ入りの白湯が、湯気を立てていた。


「先生」


 翠微は部屋に入るなり言った。


「南の荒地に行ってきました」


「翠微。一人で行ったの?」


 麗華の目に心配の色が浮かんだ。師の目がこちらを見るとき、いつも教師の目と保護者の目が混じっている。翠微はそれが少しくすぐったい。


「すみません。でも、どうしても確かめたかったんです」


「……何を確かめたの」


 翠微は一歩前に出た。胸を張り、師の目を真っ直ぐに見た。


「先生。この土は——死んでいるのではなく、眠っているように感じます」


 麗華の手が止まった。


「眠っている?」


「はい。霊脈の脈動は——完全には止まっていません。すごく弱いけれど、まだ動いています。遠くで太鼓を叩いているような……ううん、もっと弱い。寝息みたいな音です。先生の術が効かなかったのは、眠り込んでいて応答できないだけじゃないかと」


 麗華は椅子に深く腰を下ろした。翠微の報告を咀嚼そしゃくするように、しばらく黙っていた。棗入りの白湯に手を伸ばし、一口含んだ。考えるときの癖だ。


「翠微。あなたが聞いたのは——霊脈の残響ではなく?」


「残響じゃないです。断続的に脈動している。弱いけど——生きています」


「生きている」


 麗華は呟き返した。その言葉に、かすかな光が宿った。


(死んでいるのではなく——眠っている。もしそうなら——起こす方法があるかもしれない)


 だがすぐに、麗華は自分を戒めた。希望的観測に飛びつくわけにはいかない。翠微の感知能力は信頼できるが、理論的な裏付けが必要だ。何より、この報告を聞いて安易に楽観すれば、判断を誤る。


「ありがとう、翠微。明日、一緒に確認しましょう」


「はい!」


 翠微が明るく頷いて部屋を出た後、麗華は窓の外を見た。


 夕暮れの空が赤く染まっている。その下に広がる穀倉地帯は、まだ黄金色だ。だが南の果てには灰色が忍び寄っている。


(眠っている——か。もし翠微の感覚が正しければ、荒地化は不可逆ではないかもしれない。だけど、眠った霊脈を起こす術を、私は知らない)


 知らない。


 だが誰かが知っているかもしれない。


 麗華の視線が、部屋の奥——祖父の書斎がある方角に向いた。


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