表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
213/242

将軍の統率

 市場の混乱を収めたのは、麗華の言葉だけではなかった。


 暁風ぎょうふうが兵を率いて到着したのは、麗華の演説のすぐ後だった。


「第一隊は市場東口、第二隊は穀物街の通り、第三隊は南門。配置につけ。民に手を出すな。ただ立っていろ。落ち着いた顔でな」


 暁風の指示は端的だった。無駄な言葉が一つもない。


 兵士たちは武器を抜かず、ただ整然と配置についた。鉄紺の軍袍ぐんほうに身を包んだ兵が通りの角に立つだけで、騒ぎを起こそうとする者の足が止まる。威圧ではない。秩序の可視化だ。暁風は鳳凰領で一年以上暮らす中で、この領地の民が力ではなく信頼で動くことを学んでいた。


「買い占めに走った荷車は」


「南門で止めた。三台。穀物屋が普段の仕入れの五倍を買い付けようとしていた」


「押収するな。ただし『通常量を超える取引は当面自粛するよう領主の指示がある』と伝えろ。あくまで要請だ。強制はするな」


 暁風の判断は軍人のそれだったが、同時に鳳凰領で一年以上暮らした者の判断でもあった。力で押さえればかえって不安を煽る。領民が信頼しているのは鳳家であり、その信頼を損なう行動は取れない。


 麗華は暁風の指揮を、市場の二階の茶楼ちゃろうから眺めていた。窓際の席に腰を下ろし、出された菊茶には手をつけずに、通りを見下ろしている。


(的確だわ)


 混乱の鎮静に必要なのは三つ——正確な情報、秩序の可視化、そして時間。麗華が情報を与え、暁風が秩序を見せ、あとは時間が民の恐怖を冷ましていく。


 二人が打ち合わせたわけではない。暁風は麗華の演説を聞いて、独自に判断して兵を動かした。息が合っている——と言ってしまえば簡単だが、麗華にはそれ以上のものが見えた。


(暁風殿は——この領地のことを、自分の任務として引き受けている。監視役として来た人が、いつの間にか、守り手になっている)


 一年前の暁風なら、兵を武装させて通りを封鎖しただろう。軍人としての正解はそれだ。だが今の暁風は、兵に「落ち着いた顔で立っていろ」と命じた。それは鳳凰領の民を知っている者の判断だ。


 茶楼を出て階段を降りると、暁風が通りの角に立っていた。周囲を見渡し、状況が落ち着いたことを確認している目だ。鉄紺の軍袍の肩に、朝の陽光が当たっている。


 麗華が近づくと、暁風が振り返った。


「落ち着いたか?」


 簡潔な問い。暁風らしい。


「……ええ。あなたのおかげで」


 素直に出た言葉だった。


 暁風の目がわずかに見開かれた。麗華が礼を言うのは珍しいことではないが、「あなたのおかげで」という言い方は——あまりしたことがない。麗華は常に自分の手柄を他人に帰属させない。それは矜持であると同時に、「私が全てを制御している」という宣言でもある。


「俺は兵を立たせただけだ」


「それが難しいのよ。立たせる場所を間違えれば、民の不安を煽る。暁風殿の配置は完璧だった」


「……そうか」


 暁風が視線を逸らした。耳の先がわずかに赤い。麗華はそれに気づかないふりをした。


(不器用な人)


 だが、その不器用さが——信頼できる。口で巧みなことを言う男は後宮にいくらでもいた。だがこの男は、言葉の代わりに行動で示す。


 二人の視線が交わった。一瞬だけ。市場の喧騒の中で、その一瞬は奇妙に静かだった。


 暁風が先に目を逸らし、腕を組んだ。


「それより——南部の現場に行くんだろう」


「ええ。今日中に」


「俺も行く」


「監視役の職務範囲を超えていませんか?」


「とっくに超えている」


 暁風の声に、照れも躊躇もなかった。事実を述べただけだ、とでも言うような口調。


 麗華は小さく笑った。


「では——お願いします」


 市場の通りを二人で歩いた。民がすれ違いざまに頭を下げる。「鳳様」「陸将軍」。いつの間にか、暁風も領民に名前で呼ばれるようになっていた。帝都から監視役として送り込まれた将軍が、今や「陸将軍」として領民に親しまれている。それ自体が、暁風の人柄を物語っていた。


 粥売りの大鍋が通りに湯気を立てている。麗華は足を止め、銅銭を置いて粥を二杯頼んだ。


「暁風殿。朝食は」


「食っていない」


「だと思いました」


 粥売りの婆さんが、碗にたっぷりと粥をよそってくれた。「鳳様、いつもありがとうございます」と頭を下げる婆さんの手は、何十年も鍋を回してきた手だ。

 土碗に盛られた粥を暁風に渡す。白粥に刻みねぎと塩漬け菜が添えられた素朴な品。鳳凰領の米で炊いた粥は、米粒がほどよく膨らんで、表面に絹のような薄い膜が張っている。塩漬け菜の塩気が粥の甘みを引き立てる、市場の朝の定番だ。暁風は一口啜り、いつものように箸が止まった。


「……旨い」


「市場の粥ですよ。特別なものではないわ」


「それでも旨い」


 暁風の「旨い」は、いつも同じ調子だ。語彙は少ないが、その一言に嘘がない。麗華の後宮仕込みの料理を食べても、市場の素朴な粥を食べても、暁風の「旨い」は同じ温度で発される。食べることに対する素朴な感謝。軍の粗食しか知らなかった男が、鳳凰領の食で「味」というものを知った。


 麗華も粥を啜った。穀物の甘みが舌に広がる。鳳凰領の穀物で炊いた、当たり前の粥。葱の香りが鼻に抜け、温かさが胃に落ちる。


 この当たり前を——守らなければならない。


 粥の碗を返し、二人は南部穀倉地帯に向けて歩き出した。


 市場は平静を取り戻していた。通りには蒸籠の湯気が再び立ちのぼり、呼び込みの声が飛び交い始めている。日常が戻りつつある。


 だが麗華の胸の内には、民の「鳳様がいれば大丈夫」という声が——まだ響いていた。


 隣を歩く暁風の足音は、一定で揺るぎない。軍靴が石畳を踏む硬い音。それが不思議と、心を落ち着かせた。


(この人がいなければ——今日の市場は、もっと酷いことになっていた)


 麗華は自分にそう認めた。一人で全てを制御してきた。それが鳳麗華のやり方だった。だが今日、暁風がいたことで救われた部分がある。


 それを認めることは、弱さではない。


 少なくとも——今の麗華は、そう思えるようになりつつあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ