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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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灰色の畑

 麗華は辺縁部を再度視察した。


 前回から十日が経っている。翠微の報告では「きしみの音がさらに大きくなっている。そして——中央部寄りの区画でも聞こえ始めた」とのことだった。報告書に添えられた翠微の手書きの地図には、「音が強い区域」が赤い丸で示されていた。赤い丸は前回の報告より三つ増えている。じわじわと中央部に向かって侵食するように。


 馬を降り、畑に入った。暁風が隣を歩いている。足元の土が、前回より硬い。靴底が滑る。生きた土の粘りが失われている。踏み出すたびに乾いた音がして、靴底に土が付かない。生きた土は靴底にまとわりつくものだ。この土は——拒絶している。


 前回はまだ枯れかけだった畑が——


「……」


 麗華は立ち止まった。


 畑が灰色だった。


 金色の穂が揺れるはずの場所に、灰色の土が広がっている。穂は完全に折れ、地面に倒れていた。枯れた茎が風に転がっている。乾いた音すらしない。音を立てる水分も繊維も、もう残っていないのだ。


 土の色が——鳳凰領の外の荒地と、同じ色だった。境界が消えている。どこまでが鳳凰領で、どこからが荒地なのか——もう区別がつかない。灰色の大地がどこまでも続いている。


「師匠」


 風が灰色の砂を巻き上げ、乾いた匂いを運んできた。生きた土の匂いがしない。腐葉土の甘さも、雨上がりの湿った香りも、微生物が息をする匂いも——何一つない。鉱物の粉末が鼻の奥を刺す。それだけだ。


 翠微が先に来ていた。辺縁部に座り込み、手を土に当てていた。翡翠色の光が弱々しく指先に灯っている。いつもの深い翡翠色ではなく、薄い水色に近い。翠微の顔色も悪い。目の下に隈があり、唇の色が薄い。毎日この畑に通い詰めて地養を試みているのだろう。その消耗が、顔に出ている。


「師匠。ここの土は——もう、声が聞こえません」


「声が聞こえない?」


「前は苦しそうなきしみが聞こえていたんです。助けてほしいって。でも今日は——」


 翠微が手を離した。指先から光が消えた。


「何も聞こえない。沈黙です。——土が、死んでいます」


 麗華は膝をつき、灰色の土に手を当てた。


 地養術を行使した。力を込めた。全力で。淡緑色の光が指先に灯り、土に向かって流れる。


 ——何も返ってこない。


 霊脈の脈動がない。力の流れがない。指先から注いだ光が、土に吸い込まれることなく消えていく。闇に向かって灯りを掲げるように——光が虚空に溶けていく。額に汗が噴き出し、視界の端がちかちかと明滅する。


「荒地化だ」


 麗華の口から、ようやくその言葉が出た。これまで「まだ断定できない」と繰り返してきた言葉の壁が、崩れた。


「鳳凰領に——荒地化が到達した」


 暁風が息を呑んだ。翠微が唇を噛んだ。風が三人の間を吹き抜け、灰色の砂を巻き上げた。砂が目に入りそうになり、翠微が反射的に腕で顔を覆った。その砂の中に、かつて穀物を育てた養分の残骸があったはずだ。今はただの鉱物の粉だ。


 麗華は灰色の土を手に取った。指で擦る。さらさらとこぼれ落ちる。養分も水分もない。生命の気配がない。砂時計の砂のように、指の間から零れて消える。匂いもない。生きた土には独特の匂いがある——雨上がりの土の匂い、微生物が分解を進める匂い。この土には、何もない。ただ乾いた鉱物の無機質な冷たさだけが、指先に残った。


(この土からは——もう何も育たない)


 立ち上がろうとした。


 膝が——動かなかった。


「師匠?」


「お嬢様」


 翠微と暁風が同時に声を上げた。


 麗華は灰色の土の上に座り込んだまま、動けなかった。


 体が動かないのではない。心が——受け止めきれなかったのだ。


(鳳凰領が——安全ではなくなった)


(食糧を武器にしてきた。穀物で帝都を揺さぶり、外交を制し、戦を止めた。その全ての前提が——鳳凰領の豊かさが——)


(崩れる)


 灰色の土の上に座り込んだ麗華の膝に、風が砂を運んできた。細かい粒子が衣に積もり、灰色の粉が藍染めの袍を汚した。払う気力もなかった。この砂は、かつて穀物を育てていた土の成れの果てだ。有機物が分解され、養分が失われ、微生物が死に、残ったのは鉱物の粉末だけ。命を育てる力を失った大地の残骸。それが今、麗華の衣に積もっている。食を武器にしてきた女の衣に、死んだ食糧の粉が。その皮肉を噛みしめながら、麗華は暁風の手を待った。



 灰色の土が風に舞い上がった。麗華の顔に、細かい砂がかかった。目に入りそうになり、反射的に目を閉じた。砂の匂いがする。乾いた、何もない匂い。


 暁風が手を差し出した。大きな手だ。日に焼けた、硬い手だ。


「立てるか」


「……ええ」


 暁風の手を取って立ち上がった。暁風の手は温かかった。大きくて、硬くて、温かい。生きている温もりだ。掌の皮膚には鍬と剣のたこが重なっている。戦場と畑を行き来した手だ。その手の温度が、灰色の世界に唯一残った色のように感じられた。風が運んでくる暁風の匂い——革と汗と、かすかに鳳凰領の茶の香り。日常の匂いだ。


(この温もりがなかったら——立てなかったかもしれない)


 麗華は灰色の大地を見渡した。


 かつて金色の穂が揺れていた場所。食糧の源。命の源。鳳家の矜持の源。


 全てが——灰色に変わっていた。


「これが——鳳凰領の未来なのか」


 暁風が横に立っている。何も言わない。ただ——そこにいる。


 翠微が反対側に立っている。翡翠色の光を宿した目が、灰色の土を見つめている。その目に涙が光っていた。拳を握りしめ、唇を噛んでいる。泣くまいとしている。


 三人で立ち尽くした。灰色の大地の前で。


 風が吹いた。枯れた土が舞い上がった。


 鳳凰領の安全神話が——崩壊した瞬間だった。

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