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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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祖父の顔

 祖父の部屋は、屋敷の奥にあった。


 長い廊下を歩いた。足音が板張りの床に響く。廊下の両側に並ぶ柱は古い欅材で、長年の手入れで飴色に光っている。鳳家の屋敷は派手な装飾こそないが、一つ一つの木材が丁寧に選ばれ、手をかけて磨かれてきた。柱の表面に手を触れると、滑らかな木肌の下に年輪の凹凸がかすかに感じられる。この屋敷を建てたのは三代前の当主だと祖父に教わった。


 麗華は襖を開けた。鳳老太爺ほうろうたいやが窓辺の椅子に座り、庭を眺めていた。窓から差し込む光が、白髪を銀色に染めている。庭の木々は葉を落としかけ、枝の間から灰色の空が覗いていた。


「お祖父様」


「おう。麗華か。入りなさい」


 部屋には白檀の香りが薄く漂っていた。祖父が好む香だ。その下に、薬湯の苦い匂いが混じっている。以前はなかった匂いだ。


 老太爺は白髪を後ろで束ねた穏やかな老人だ。かつて鳳家を率い、地養術の先代継承者として鳳凰領を守り続けた人。今は引退しているが、その存在感は衰えていない。ただ——以前より、小さく見えた。肩の幅が狭くなり、背が丸まっている。杖が椅子の脇に立てかけてあり、以前は使わなかった杖が今は手放せないものになっている。


「辺縁部の状況を、ご報告に参りました」


「聞いておる。辺縁部の畑が枯れたと」


「はい。穂が完全に変色し、土の養分が——」


「荒地化じゃな」


 老太爺が静かに言った。麗華が口にできなかった言葉を、祖父はあっさりと言った。その声には、諦めでも驚きでもなく——長い覚悟の重みがあった。何十年も前から、この日が来ることを知っていたかのような。


「お祖父様。ご存じだったのですか」


「知っておったというより——予感しておった。いつか来ると」


 老太爺が窓の外に目をやった。庭の向こうに、鳳凰領の畑が広がっている。冬小麦の緑が、曇り空の下で沈んだ色をしていた。


「また——来たか」


 その呟きを、麗華は聞き逃さなかった。


「『また』——とは?」


 老太爺が振り返った。皺だらけの顔に、複雑な表情が浮かんでいた。後悔と恐怖と、そして——何かを決意しかけている目。


「お祖父様。何かご存じなのですか。荒地化について——百年前の霊脈震について」


 老太爺は黙った。


 長い沈黙が落ちた。窓の外で風が庭木を揺らし、枯れ葉が一枚、窓枠に落ちた。老太爺の指が膝の上で微かに震えている。節くれだった指。かつて大地に力を注ぎ続けた手だ。


「……麗華」


「はい」


「わしは——お前に、話すべきことがある。だが——」


 老太爺が目を閉じた。眉間に深い皺が刻まれている。


「まだ……言えぬ」


「なぜですか」


「今はまだ——お前に、その重荷を負わせたくない」


「お祖父様。私は鳳家の当主です。鳳凰領を預かる身です。知るべきことがあるなら——」


「わかっておる。わかっておるが——」


 老太爺の声が震えた。この人が声を震わせるのを、麗華は初めて見た。幼い頃から厳しく地養術を叩き込まれた。その全てにおいて、祖父の声は常に落ち着いていた。叱る時ですら穏やかで、だからこそ重みがあった。その声が——今、震えている。


「すまぬ。疲れた。——また明日にしてくれ」


 老太爺が目を伏せた。肩が小さく見えた。齢の重みだけではない。何か——見えない重荷が、祖父の背を曲げている。


 麗華は祖父の食事を確認した。膳が置かれているが、半分以上が手つかずだった。白飯はほとんど減っておらず、煮物も箸をつけた形跡が少ない。汁物の碗は表面に膜が張り、冷めている。


「お祖父様。もう少し召し上がってください」


「食が細くなっての。年には勝てん」


「お好きなものを作りましょうか。蓮の実の甘露煮は」


 蓮の実の甘露煮を作りながら、麗華は祖父の食欲の衰えを案じた。以前は白飯を二膳平らげていた人だ。煮物の大根を「もう一切れ」と求め、漬物を「もう少し厚く切れ」と注文した人。その食欲が半分以下に落ちている。老いだけが原因ではない。心が食を拒んでいるのだ。何かを抱え込んだ人間は、食が細くなる。それを麗華は後宮で何度も見てきた。秘密の重さが食欲を奪う。



「……そうじゃな。あれは好きだった」


 麗華は厨房に戻り、蓮の実の甘露煮を作った。祖父が昔から好きな甘味だ。蓮の実を水で戻し、丁寧に薄皮を剥いて芯を取る。苦い芯が残っていると、祖父は顔をしかめる。それを知っているから、一つ一つ丁寧に。氷砂糖を加えて弱火でことこと、砂糖が溶けて蓮の実に染み込むまで。甘い蒸気が厨房に満ち、鼻の奥に幼い日の記憶を呼び起こした。祖父の膝の上で、この甘露煮を分けてもらった記憶。祖父の大きな掌が匙を持ち、小さな麗華の口に運んでくれた。蓮の実が舌の上で崩れた時の、あの優しい甘さ。砂糖の甘みとは違う、蓮の実そのものの粉っぽい淡白な甘みが、氷砂糖の艶やかな甘さと溶け合っていた。


 祖父の部屋に戻ると、老太爺は椅子で眠りかけていた。頭がわずかに傾き、寝息が聞こえる。杖を握ったまま眠っている。


「お祖父様。甘露煮を」


「おう……」


 老太爺が一つ口に入れた。蓮の実が舌の上で崩れ、砂糖の甘みが広がる。


「旨い。——お前の作るものは、いつも旨い」


「ありがとうございます」


「麗華。お前なら——大丈夫だ」


 老太爺がそう言って、目を閉じた。


 麗華はしばらく祖父の寝顔を見つめていた。皺の一本一本が、歳月の重みを物語っている。


(お祖父様は何を隠しているのだろう。百年前について。鳳家について。——「また来た」と言った。「また」。荒地化は以前にもあったということか)


 老太爺の食べ残した膳を片づけながら、麗華は唇を噛んだ。


(お祖父様。教えてください。私に——何ができるかを。知らないまま、守れるはずがない)


 その願いは、まだ届かなかった。

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